ラッセル「The Conquest of Happiness(幸福論)」を解釈する(1)
Bertrand RussellのThe Conquest of Happinessについて、学習の忘備録として、文構造の解説的なものを残します。
主節はthe monkからhappyまで。untilを見ただけでは、後に続くのが名詞(句)か文なのか確定しません。has madeという動詞句を発見することによって、until S Vの形であると確信できます。
untilが導く副詞節の内容について、主語the routine of the monasteryという無生物が主語。文の要素としての役割に忠実に「修道院での日課が」と訳すよりも 、副詞的に「修道院の日課によって」と訳すのが自然です。またSVOCの文であり、OとCは主語述語の関係にあります。
He forget his own soul
と解釈すると自然な訳になるといえるでしょう。つまりは「修道院の日課によって彼は自身の魂を忘れる」という副詞+主節の形でSVを副詞的に、OCを主節として訳出するということです。
The happinessは主語のように思えます、しかしこの時点では断定はできません。文頭の名詞は主語になることが多いですが、必ずそうではありません。
which以下の文はthe happinessを修飾する形容詞節です。attribute A to Bで「BをAに帰する」。ここでは目的語であるAの部分が目的格の関係代名詞whichとして文頭に移動しています。
he could have obtainedを見て、疑問に感じられるのは重要な感覚です。The happinessという名詞とそれを修飾する形容詞節はあるもののそれをまとめる語がないのです。The happinessとheが同格と考えるのはやや難しいです。ここでobtainedという動詞の後に続く目的語がないことに違和感を感じましょう。ここはOSVの倒置形となっているのです。なので元の文は、
He could have obtained the happiness which he attributes to religion.
と考えることができます。強調したい内容であるOのthe happinessとそれを修飾するwhichが導く形容詞節が文頭に移動しているのです。
from becoming a cross-sweeperはobtainedまでの文を修飾する副詞節。providedはやや硬い表現で「もし…ならば」という意味の副詞節を導く表現です。oneが指し示すのは前文のthe monkです。
主節はExternalからhappinessまで。forから文末までは副詞句です。for those unfortunatesで「不運な人々にとって」。unfortunatesの単語を知らないと、品詞が動詞であるように思えてしまうかもしれません。その場合、those whoのwhoを省略した形として(those whoのwhoはしばしば省略されます)、thoseがS、unfortunatesがVのように誤って解釈することになってしまいます。しかし、続くwhoseを見て解釈を修正できます。whose以下の形容詞説が修飾する名詞がなければならないからです。そのためthoseが冠詞、unfortunatesが名詞とか解釈できます。。
このwhoseは所有格の関係詞でここではtheirに相当すると考えられます。whose以下は形容詞節でthose unfortunatesを修飾します。too A to Vの形で「過剰なまでにAなのでto Vできない」というふうに解釈できます。
in any other wayはwhose self-absorptionから始まる節全体を修飾する副詞句です。