宮本球優人 みやもときゅうと

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最近の記事

【訃報】宅和本司さん(南海・近鉄)/高卒新人シーズン最多勝利記録、史上最年少「投手3冠」

南海ホークス・近鉄バファローに在籍した宅和本司さんが8月4日、89歳で亡くなった。 宅和本司、南海ホークスに入団、同期に皆川睦男、野村克也 宅和本司は1935年7月18日、福岡県北九州市門司に生まれた。 地元の福岡県立門司東高校(現在は廃校)の野球部のエース右腕として、3年春に第24回センバツ大会(1952年)に出場予定であったが、学校の不祥事により出場辞退を余儀なくされている。 1953年オフ、鶴岡一人率いる南海ホークスに入団、同期には皆川睦男、野村克也らがいた。

    • 萩原康弘さん(巨人/広島/ヤクルトOB)の喫茶店を再訪した日

      文春オンラインの「文春野球」が開催する「文春野球フレッシュオールスター2024」にコラムを掲載していただきました。

      • 石井茂雄/岸孝之が破った「パ・リーグ最年長の無四球完封勝利記録」保持者

        やっと、この投手にスポットライトを当てるべき時が来た。 7月13日、楽天生命パーク宮城での楽天対西武戦で、楽天先発の岸孝之が9回を投げ切り、被安打3、2奪三振、無四球、無失点で、完封勝利を挙げた。 岸は今季、プロ18年目で、39歳7か月での完封勝利は、パシフィック・リーグでは、毎日オリオンズの若林忠志(42歳8か月)、オリックス・ブルーウェーブの佐藤義則(40歳11か月)、ロッテオリオンズの村田兆治(40歳10か月、40歳7か月)に次いで史上5位タイとなる年長記録である。

        • 巨人と阪神で監督を務めた唯一の野球人・藤本定義(前編)

          2024年7月4日、阪神タイガースがマツダスタジアムでの広島カープ戦に勝利し、阪神の指揮を執る岡田彰布監督が514勝目となり、タイガース歴代監督で勝利数がトップタイとなった。 これまでの監督最多勝利は、藤本定義で、1960年から1968年まで9シーズンを指揮を執り、リーグ優勝は1962年と1964年の2度、514勝424敗、24引分、勝率.548という成績を残していた。 藤本定義は、読売ジャイアンツの事実上の初代監督でもあり、ジャイアンツとタイガースの両チームで監督として

        【訃報】宅和本司さん(南海・近鉄)/高卒新人シーズン最多勝利記録、史上最年少「投手3冠」

          日本ハム・球団初代オーナー/大社義規、背番号「100」

          北海道日本ハムファイターズは今日7月12日から、本拠地・エスコンフィールド北海道で、千葉ロッテマリーンズを迎えて3連戦を戦う。 そして、7月2日から行われる本拠地9試合で、日本ハムファイターズの初代オーナーである大社義規さんの背番号「100」をつけたユニフォームで戦うという。 北海道日本ハムファイターズは、1974年、日本ハムファイターズとして再スタートを切って50周年を迎えるが、その初代の球団オーナーが大社義規さんである。 大社さんは1915年2月1日、香川県大川郡津

          日本ハム・球団初代オーナー/大社義規、背番号「100」

          【訃報】ウィリー・メイズ/史上最高の中堅手

          「MLB史上最高のセンターフィルダー」と言われた、元メジャーリーガーのウィリー・メイズさんが6月18日に亡くなりました。 93歳でした。 ウィリー・メイズさんは1931年5月6日、アラバマ州ウェストフィールドに生まれた、右投げ右打ちの外野手です。 幼少の頃からスポーツ万能で、地元のフェアフィールド・インダストリアル高校に入学すると、野球以外にも、バスケットボールでは得点王となり、アメリカンフットボールではクォーターバック、フルバック、パンターを務めました。 野球の二グロリ

          【訃報】ウィリー・メイズ/史上最高の中堅手

          一言多十と熊耳武彦/1946年、セネタース創立初の公式戦に先発した新人バッテリー

          NPBの2023年シーズンの「セ・パ交流戦」も残すところあと1試合となりました。 今日、6月18日、甲子園球場で行われる阪神タイガース対北海道日本ハムファイターズ戦ですが、また新庄剛志監督がビッグサプライズを発表しました。 2023年ドラフト会議で1位指名した投手の細野晴希(東洋大学)、そして2位指名した進藤勇也(上武大学)を揃って先発起用することを自身のインスタグラムで明言したのです。 新人バッテリーの同時初出場は1946年の一言多十と熊耳武彦以来 ファイターズの歴

          一言多十と熊耳武彦/1946年、セネタース創立初の公式戦に先発した新人バッテリー

          【訃報】若生智男さん(毎日・大毎、阪神、広島)

          毎日、大毎、阪神、広島で投手として活躍された若生智男さんが6月3日、船橋市の病院で亡くなられた。87歳であった。 船橋から程近い、幕張では、若生智男さんの古巣である、ロッテと阪神が交流戦を戦っており、その3連戦が終わった日の訃報であった。 若生智男さんの現役時代を知っている人も少なくなっているだろう。 1956年に毎日オリオンズに入団し、1976年に広島カープで現役を引退しているが、1964年から1974年まで在籍した阪神タイガースのイメージが強いのではないだろうか。

          【訃報】若生智男さん(毎日・大毎、阪神、広島)

          千葉ロッテマリーンズ、11連勝

          千葉ロッテマリーンズの勢いが止まりません。 19年ぶりの11連勝です。 19年前といえば、2005年、ボビー・バレンタインが2度目の監督に就任して2年目、パ・リーグで勝率2位ながら、クライマックスシリーズで西武、ソフトバンクを破り、日本シリーズに進出したシーズンです。 そして、ロッテが日本シリーズで対戦したのは、岡田彰布監督率いる阪神タイガースで、4連勝で一気に1974年以来となる31年ぶりの日本一を決めました。 ロッテにとって本拠地を千葉県幕張に移して以来、初のリーグ

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          西鉄ライオンズの「貴公子」こと玉造陽二さん

          宮本球優人です。 野球についてコラムを書いています。 宮本球優人はペンネームですが、「優人」は、読売ジャイアンツの秋広優人選手、千葉ロッテマリーンズの投手・木村優人選手から取っています。 「球優人」は「きゅうと」と読み、千葉ロッテの上田希由翔選手の「きゅうと」から取っています。 この度、文春オンラインさんで、私が書いた文章が掲載されました。 テーマは、1950年代の西鉄ライオンズ黄金時代に「野武士軍団」に所属した外野手・玉造陽二さんです。 玉造陽二さんに興味を持った方に

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