やはり「大切なものは目に見えない」と思う
久しぶりに授業で泣いた。
発達障害論という授業。ADHD(注意欠如・多動性)という特性を持った子どもとその親の悩みや葛藤を描いたフィクションのアニメ「ADHDのお子さんの日常」というのを観る時間だった。
なんで泣いたんだろう?まず子どもに感情移入した。わたしも持っている特徴がいくつかあった。だけどわたし以上に強い特徴を持つその少年にとって、その特性は「障害(=生活に支障をきたすほどのもの)」といえるまでのもので、わたしのは多分そこまでではないんだなと思った。
今度はそんな息子の子育てに不安やストレスを抱えながらも、子どもを信じて良いところを伸ばしてあげようと奮闘するお母さんの立場になって考えて、また泣けた。
そのときなんだか、「GIFT」という言葉が頭の中に浮かんだ。
思った。もしもわたしの子どもが発達障害だったり、外からは見えないような息苦しさを抱える子だったら、絶対絶対寄り添い尽くしてあげよう。もしそうなったら、それは自分への挑戦状なんだと捉えよう。
実はここで、2日前にヒッチハイクをしたときに乗せてくれたある男性の言葉を思い出した。
余談だし、妄想なんだけど。
その人の言葉には、気付いたら不思議な雰囲気が宿っていた。詳しくは聞かなかったけど、目に見えないものを感じるらしい。
わたしがその人の娘さんについて質問すると、
「なんで娘がいるってわかったん?」
と言われた。そう言われて、はっと、自分が勝手な思い込みでその人に娘さんがいると思い込んでいたとわかった。でも実際いるらしい。
そこでその人は、
「実は、ちょっと不思議な力があってね」
と話し始めた。そして、今後何かの役に立つからと、自分の不思議な力をわたしに少し移してくれ、だからわたしには娘さんの存在を自然に読み取ることができたのだと。
最初はそのスピリチュアルな展開に半笑いだった。
その人はさらに不思議なことを言ってきた。
「わたしは子どもを授かり、その子どもはわりと大きな人物になりやすい」という。
その言葉は最初はシンプルに(自分が褒められてるみたいで)嬉しかったけど、少し時間が経つと、「つまりそれほどの器のでかさを養わんとや!いい目標設定ができた。わたしは、自分の子どもによりよく関わるために、まずは自分自身が成長することを目指そう」という喝入れに感じられた。
話は戻って、今日の授業のときはそのことを思い出していた。
「大きな人物か…。もしかしたらわたしの子どもは何か大きなGIFTを持って生まれてくるのかもしれない」
それがとても当たり前のように心に入ってきて、なるほど、おじさんはそれが見えていたのかな、と感じた。
ただ単に「できる子」じゃなくてきっと「何かを持ってるが故にもがき苦しみそれを乗り越えて大成する子」なんだろうなぁ…
まだ結婚すらしてないんやけど…
素敵な視点を与えてくれたヒッチハイクのおじさんに感謝。
つまり、わたしに子どもができて、その子がもし何かの困難を抱えてたとしたら、それこそがGIFTだと思って精一杯向き合って一緒に成長したいなと思えた、その心構えが今このタイミングでできてよかったなと思う。
わたしはおじさんのメッセージをそういう風に受け取った!
平々凡々な子ならそれもいい。
自分以外の人を想って成長できるのが幸せなんだと思うなぁ。
この辺のことを考えると、やっぱりLDSのフォーラムのあの日々の学びが出てくる。
フォーラムにも繋がるキーワードーー
「目に見えないものを大切にする」
本当にフォーラムのあの日々も自分の中に落とし込むために、はやく文字にしたいなぁ。
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