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“もしもノート”に記入したら日々の見え方が変わった

もしもノート(エンディングノート)に記入を始めた。先に言っておくが、ネガティブな話ではない。

30代後半の私がエンディングノートと言えば少し驚くだろう。ただ、0歳でも100歳でもこの世から旅立つ日は遅かれ早かれ平等に訪れるし、明日元気に生きている保証は誰にもないのだから、この先、元気に生きているにしても万一の時に周りが困らないようにメモを取っても良いかなと思った、それだけのこと。

当たり前のことなのだけど、死を意識する機会は若ければ若いほど少ない。私自身あまり深く考えたこともなかった(無意識に考えないようにしていたというのが正しいのかも)

そんな私がエンディングノートを書こうと思ったのは一昨年、突然原因不明で意識を失ったからだ。脳も心臓も一通り調べ、てんかんの検査も定期的に受けたけれど結局原因は分からず…。

私は気がついたら救急車で運ばれていて「ハテ?今、私は何をしていたんだっけ?」と呑気なものだったが、知らせを受けた両親も夫も子供達にも本当に心配をかけてしまった。今考えても申し訳ない。

あの時は顔を打っただけで擦り傷程度で済んだが、打ちどころが悪かったら…と想像するとゾッとする。

万が一あの時、命が終わっていたら私は何を後悔しただろうか?そう考えたらやるべきことが少し見えてきた。

・周が困らないようにしておきたい
・急な別れで伝えきれない言葉を少し書き記しておきたい

そう感じたのだ。

そう感じてからの行動は早かった。すぐさまダイソーへ行き(今は何でも100円で手に入るのね)先行して書くべき銀行などの情報から記入に取り掛かる。

そのうちに、今までは考えたことのなかった当たり前の毎日が奇跡の連続だということに気がつく。

今朝も自分が元気に目を覚ましたこと。
両親や家族が元気に過ごしていること。
ご飯が美味しく食べられること。
楽しいことを楽しいと感じられること。
「あれ?平凡な日なんて1日もないじゃん」…って。

終わりに向きあう機会は若ければ若いほど少ないし、毎日考える必要は全然ない。でも、記入してみると今を生きる特別さと周りの人の愛おしさ・かけがえの無さに改めて気づく。

もしもノートに記入したとはいえ、まだまだ50年からできれば60年くらい元気でいるつもりだ。

何気ない1日がくることにありがとう。


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青空ちくわ
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