「自己肯定感」と「自己効力感」
「自己肯定感」と「自己効力感」
皆さんはどのように理解されていますか?
「よくわかんないけど両方大事なんだろうなあ」と、なんとなく捉えている人が多いと思うので(すみません私のことです)
今日は素人母目線ではありますが、
この2つの言葉の理解が深まるような、そして
「本当に両方大事?」を考える記事を書きたいと思います。
では早速ですが、まずは定義や歴史について確認してみたいと思います。
自己肯定感とは?(歴史と定義)
自己肯定感は英語では「Self esteem」という言葉が該当するとされ、自尊感情とも訳されます。
心理学の分野では1970年代にはすでに研究が盛んだったようです。
20世紀にはナサニエル・ブランデンらによって「幸福や成功に必要不可欠な要素」として発展しました。
日本語での「自己肯定感」という言葉は、臨床心理学者である高垣忠一郎先生によって1994年に提唱されました。
高垣氏は「自己肯定感」を”「自分が自分であって大丈夫」という感覚のこと”と表現しています。
「ありのままの自分を尊重し肯定する気持ち」であり
自分の存在に価値を感じ、「自分はそのままで良い」と思える気持ちです。
子育てでよく使われるようになったのは、精神科医であり育児本を多く出版されている明橋大二先生の影響が大きいともされています。
国内外問わず、「自分の存在を尊く思う気持ち」「ありのままの自分を肯定する気持ち」が、精神の安定や幸福のために非常に重要であるとして、50年以上前から心理学・社会学・医学の領域で研究されてきました。
自己効力感とは?(歴史と定義)
自己効力感は「自分自身が目標達成に必要な能力を持っていると信じる力」を指します。
1990年代にアルバート・バンデューラが提唱しました。
バンデューラは、自己効力感が次の4つの要素に基づいて形成されると説明しました。
英語では「Self-efficacy」といいます。
自己効力感を育むことで、持続的な挑戦が可能になると示しており、現代の教育やキャリア形成の領域で今でも重要視されています。
それでは、「結局両方大事なんでしょ?」についての考察に進んでみたいと思います。
<考察①>自己肯定感<自己効力感? の違和感
2つの似た言葉ですが、
自己肯定感は「自分の存在そのものを認める感覚」で
存在そのものを問題にします。
自己効力感は「自分の能力を信じる力」で
自己効力感は具体的な行動やその結果に関連づく概念です。
響きは似ていますが、異なる次元の話ですね。
ところが、「自己効力感が自己肯定感の次の段階」「自己肯定感より自己効力感の方が重要である・優れている」というような表現を何度か耳にしたことがあります。
確かに、ビジネス・スポーツ・学業などの領域で、新しいことにチャレンジしたり、パフォーマンスを発揮するためには、自己効力感が大事です。
ですが、先ほど整理した定義の通りで、「自己効力感」と「自己肯定感」は、土俵が違うというか、次元の違う話です。
自己効力感を自己肯定感と比較して云々語るのは、対象を誤っているのでは・・・。と、とても違和感があります。
<考察②>もう一つの違和感
コーチングスクールで資格まで取った私ですが、思うのは、成長や自己効力感を重視する考えに対して、別の視点も必要だよなあ、ということです。
コーチングでは「成長=善」という前提が根底にあります。
そして、それはそのまま社会的になんとなく信じられていることのように感じます。
でも、視点を変えて、「”自分の幸せのためには”成長=善なのか?」って考えてみたらどうでしょうか。
あるいは、”我が子の幸せのためには”どうでしょうか?
「成長」は、よくよく考えると、だいたい他人の物差しです。
他人から評価される「成長」「結果」「変化」のためには自己効力感が高いことは確かに重要です。
ですが、他人からの評価と幸福感の間には深い溝がある・・・というのが
33年間生きてきた私の実感です。
たとえば、私は高校時代、自己肯定感がめちゃめちゃ低かったのです。
劣等感の塊で自意識過剰。
「自分はダメだ」「大学くらい合格しないと私には価値がない」というメンタリティで、京大に合格しました。
そのメンタリティで、先ほどのアルバート・バンデューラが提唱した通りに「成功体験」「代理体験」「言語的説得」をフル稼働させたわけです。
私の京大合格は、他人から見たら自己効力感を高めて成し得た成功例かもしれませんが、それが本当に幸福な体験か、疑問が残ります。
結局遊んで暮らした大学時代を振り返っても、1日15時間勉強していた受験生の自分に対して、「それでいいぞ!頑張れ!」とは言えないのが正直なところです。
もし自分自身に対して常に満足し、幸せを感じられるならば、外から目に見えてわかるような特別な「成長」や「挑戦」は必要ない・・・
と、いう見方もありませんか?
「自己効力感」をことさらに重視することは、幸福からむしろ離れていってしまう危険性さえあるのでは?と思えてくるのです。
私の例で言うと、京大受験ではないもっと幸福度の高い道を選び取ることもできたかもしれません。外からの評価と関係ない、自分自身に幸福に直結するものは何か、という意味で。
皆さんは、どう思いますか?
物事はそう単純ではなく、他人からの評価抜きで幸せを感じられる人なんて実際にはいません。いてもものすごく珍しいと思います。
だけどあえて理想を語るなら
何が起こっても、どんな結果が出ても
”「自分が自分であって大丈夫」という感覚”があれば、
どんな時でも
「私には価値がある」「私は私のままで尊い」
本当にそんなふうに思えれば、
それ以上何もいらないのでは?という気がしてなりません。
<考察③>子育ての自己〇〇感
子育てではどうしていけばよいのでしょうか。
ここまでの学びを踏まえて、「私はどうするのか」自分なりの考えを書いてみたいと思います。
先ほど書いたように、自己効力感と自己肯定感は比較するものではありません。だからそれぞれ分けて考えてみたいと思います。
自己肯定感について
子どもの自己肯定感を育んであげることの大切さは、いろんな子育ての専門家が仰っていますので、私が改めて述べるまでもないと思います。
細かい点でいうと色々な説明があるとは思いますが、
私は親として
「あなたの存在自体が尊いんだよ」
「生きていてくれてありがとう」
「どんなことが起きてもあなたは大切な存在なんだよ」
というメッセージを子ども達に伝えたいなと思います。
これはそのまま、子どもの身体の健やかな成長を支援することでもあり、食事や安全や生活習慣に気を配ることでもあります。
そういう諸々のサポートを含めて
子ども自身が「私は私でいいんだ」と思える心を育めるよう支援するのは、
親としての一番重要な役目と言えるかもしれません。
自己効力感について
結局この社会で生きていく限りは、環境の変化に適応していかなくてはなりません。何かに挑戦することは、必要です。
その意味で、自己効力感は大切です。
でも、「自己効力感」とざっくり捉えてもなんだかよくわからないので、原点に立ち返って、この「4つの要素を整えてあげる」という意識で関わろうと思いました。
再掲します。
成功体験(Mastery Experiences): 過去に同様の課題で成功した経験は、自己効力感を強化します。成功体験があると「今回もできる」と自信を持ちやすくなります。
代理体験(Vicarious Experiences): 他者の成功体験を観察することでも自己効力感が高まります。特に、自分と似た背景を持つ人が成功している姿を見ることで、「自分にもできるかもしれない」と信じる力が強まります。
言語的説得(Verbal Persuasion): 周囲からの励ましや指導により、自己効力感が高まることがあります。肯定的なフィードバックは自信を持つための重要な要素です。
生理的・感情的状態(Physiological and Emotional States) :ストレスや不安は自己効力感を低下させます。心身がリラックスしているときは、自己効力感が高まりやすく、逆に極度の緊張や疲労は自己効力感を低下させることがあります。
だけど、あくまでこれは生きていく手段としてのものです。
「なんでも挑戦すること=善」
「俺はできるという自信があること=善」
「成長=善」
という方程式については、あえて冷ややかな目線も持って眺めていたいなと思うのです。
まとめ
「自己肯定感」と「自己効力感」は字面は似ていますが、本質は異なることがわかりました。
他者からの評価に影響されず、内側から「自分であること」を肯定する感覚であるところの「自己肯定感」については、幸せに生きていく上でとても重要な感覚だなあ、と改めて思いました。
成功するためではなく、幸せであるために。
私自身もその感覚を持ちたいし、子どもたちと接する時にも気をつけたいなと思うのでした。
「自己効力感」については・・・、
もちろんあるに越したことはないですが、生きていく手段としていろいろと大切な「〇〇力」の中の一つなのかなというのが私の捉え方です。
(共感力とか、コミュニケーション力とか、)
子育てにおいては、殊更強く意識しすぎない方が、私自身の価値観とは合うなあ、と感じました。
だけど今回4つの要素を勉強できてとても良かったです。自然に実践していけたらいいなと思います。
いろんな考え方があると思いますのでご意見コメントいただけたら嬉しいです。
最初の方に言及した「自己肯定感」を子育てにおいて提唱された明橋先生の育児本、載せておきます。
私の子育てでも心の支えになっている1冊です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました!!