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家族で2回移住した話 首都圏脱出編

家族で2回の移住をしました。
転勤ではなく、自分たちの意思で引っ越した移住です。

〜2022年 神奈川県川崎市
2022年 長野県へ引っ越し(長男:4〜6歳、次男:1〜3歳)
2024年 石川県へ引っ越し(長男小学校入学と同時に転入)


石川県では、実両親も近くに引っ越し、じぃじばぁばも近くに住む体制になりました。
やっと定住の地を見つけられてホッとした・・・という私です。


「子育て移住」
というと、
よりよい環境を求め、手に入れるために移住するというイメージですよね。

もちろん、それもその通りなのですが、
私としてはむしろ

色んなものを手放していった結果、今の場所に落ち着いた

という感覚の方がしっくりきます。

そんな視点で、改めて2回の移住を振り返ってみたいと思います。

ところで、この移住の鍵を握る人物は、我が家のパパである夫。

傍若無人さ、リーダーシップ、強引さなどの観点で
ジャイアンの実写版だと思ってます。(さしずめ私はのび太)

私が「引っ越したいけど現実的には・・・」とモゴモゴ言う傍らで、
夫はもう引っ越す前提でゴリゴリ物事を進めていく、
そんな感じでここまで来てます。

首都圏生活

私が新卒で横浜の会社に就職したのは2013年
地方から首都圏にやってきて、まさに「上京」という感じでした。

有名アーティストのコンサート、スポーツ観戦
演劇、ディズニーランド
ありとあらゆる娯楽が手の届くところにあるというのは
地方出身の私としては驚きでした。
駅伝、マラソン、その他いろんな面白い新鮮なイベントに仲間と一緒に出ることもありました。

会社の同期であるジャイアンこと夫と結婚して、子供ができ、
ジャイアンが「マンション買うぞ!」と言うので
恐る恐るローン組んでマンションも買いました。
スーパーの近さ、共用施設、広さ、綺麗さ、文句なしの住環境。

「あー私は横浜で歳をとっていくのかなあ」
とぼんやり思っていました。

首都圏の子育て。

平日。頼みの綱は保育園。

首都圏あるあるだと思いますが、兄弟バラバラの園でした。
在宅勤務なし、フルタイム、兄弟バラバラ園、頻繁にワンオペ
をどうやってこなしていたか記憶がないです。笑

休日。もっぱら乗り物旅。
とにかく家でじっとしていられないのが我が家の夫です。
乗り物好きな息子を連れて、京浜東北線やら、東海道線やら、路線を乗り継いで、公園まで出かけたり
モノレールに乗って羽田空港まで飛行機を見に行ったり
東京駅から一駅だけはやぶさに乗ってみたり
遠くの広い公園を求めて乗り物を駆使して旅するのが週末の楽しみでした。

さて、話が前後しますが、そんな私たちの子育て生活、
次男の出産目前で、コロナ禍が始まりました。

このコロナ禍が、移住の理由であると同時に、
移住を実現させた出来事にもなりました。

コロナ禍

コロナ禍中の首都圏生活は、
精神的にも、物理的にも辛いものがありました。

毎日感染者数が報道され、首都圏はぶっちぎり。

当時は「未知のウイルスに自分や家族が感染したらどうしよう・・・という恐怖」が付きまとっていました。
日本中みんなそうだったと思いますが、やっぱり感染の中心地である首都圏にいるからこその不安は大きかったです。

そして、
子供を外で遊ばせてあげたいのにできない。
保育園が頻繁に休園。

ああ、こんなに人の多い場所は生きづらい・・・

これが移住を考え始めたきっかけになりました。

コロナ禍が長引くにつれ、夫婦でも、このままずっとここで暮らしていくのかということが話題に出るように。

地方育ちの私は、人が少ない方が落ち着きます。
「ゆくゆくは地方で暮らしたい」という思いはありました。

とはいえ

私としては、
会社の待遇や人間関係には恵まれていたし
2回も育休取らせてもらったし
マンション買ったし
現実問題、子育て落ち着くまでは動けないよな。。。
と思っていました。

ところが・・・
我が家のジャイアンが、ついに言いました。

「俺は長野に住みたい!」

長野に住みたい

ジャイアンに「長野に住みたい!長野に行こう!」と言われても
のび太としても、一応言うことはあります

「いやでも仕事もあるし、上司にはお世話になってるし・・・」
「長野って、、、縁もゆかりもなさすぎるよ・・・」

ジャイアンは言います。

「人が多いのが嫌なんだろ?
じゃあつべこべ言わずリモートワークの仕事を探して転職しようぜ!
俺は長野に住みたい!」

(※もう少しやりとりありましたが、要約するとこんな感じでした。)

そう、この「リモートワークの仕事」というのが、私たちの移住を実現させたのでした。

今はもうほとんどなくなってしまったのですが、当時はコロナのおかげで、私のようなSEやデザイナーでもない職種でも、結構リモートワークの求人があったのでした。

夫はあれよあれよという間にマンションをさっさと売りに出し、一回引っ越して、転職の準備を進めることになりました。

この時私はいろんなものを手放さなくてはなりませんでした。

・上京した時に見たキラキラした風景
・9年働いて居場所もあった会社での給与と評価
・上司や同僚との接点
・友達との接点
・子供が大きくなったら一緒に行きたかった色々な名所
・住み心地よいマンションと住環境

一方で、こういうものと離れる喜びがありました。

・田舎育ちの私が都会の子育てに感じる居心地悪さ
・塾や受験
・トイレでも滑り台でもいつでもどこでも順番待ち
・とにかく人混みで嫌気がさしていた生活
・無機質な風景


こういう鎖を一個一個ほどいて決別しながら、
そして、それぞれに喜びや悲しみを感じながら
私は転職活動に取り組んだのでした。

長くなってきたので今日はこの辺で。
転職〜長野生活〜石川生活についてはまた次回書きたいと思います。


ここまで読んでくださってありがとうございました!

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