生田南水と永楽屋!(第1回) 俳人と赤穂浪士?!
つむぎです!
皆さんは、旅行がお好きですか?
俳句を好きな人って、だいたい旅好きですよね!
アタシは、京都へ出かけたとき、かならず「永楽屋」さんへ行きます。
ユニークな「手拭い」が有名なお店で、京都へ行くことがあったら、
かならず1本だけは買って帰ります。
永楽屋さんを知らないって方のために、リンクしておきますね。
京都の手拭い「永楽屋細辻伊兵衛」
いまは、十四代目(十四世)の方が仕切っておられるようですが、
この社長さん、めっちゃアバンギャルド!! 一見の価値アリ(笑)
気になっちゃった人は、上のサイトで「永楽屋について」を見てみてね!
あ! あのね! 案件じゃないからね(笑)!!
永楽屋さんのご店主さんは、代々「細辻伊兵衛」さんを名乗ります。
紹介したサイトには、歴代の「細辻伊兵衛」さんが略歴と一緒に載ってて、
こんな人たちが暖簾を守ってたんだなあー、と。
親しみを込めて「伊兵衛ッチ」と呼ばせてください(笑)!!
生田南水と細辻伊兵衛
それで、「旧派俳句」が大好きなアタシが、
なんでこんな「永楽屋」さんの「細辻伊兵衛」さんの話を書いているのか、
と申しますと、なんとなんと、伊兵衛ッチ!!
俳人でもあった「生田南水」ちゃんと交流があったんです!
南水ちゃんといえば、生田花朝女ちゃんのお父様としても有名です。
大阪歴史博物館さんの「ほのぼの俳画、生田南水」っていう展示が、
平成30年にあったそうです。見たかったー!!
もっと激しくPRして、アタシを呼んでくれなくっちゃ(笑)!!
サイトの解説文を見ると、南水ちゃんは昭和9年に亡くなった、
ってことが分かりますが、アタシは、南水ちゃんが、
昭和6年と、昭和7年に、伊兵衛ッチに宛てた書状を持ってて、
それで、お二人に交流があったことが分かるんです!
きっと南水ちゃん、伊兵衛ッチから手ぬぐいめっちゃ貰ったんだろうなー、
って想像すると、もうなんだか、めっちゃ羨ましいじゃないの!!(笑)
さーーーて、その生田南水ちゃんの書状が、コチラ!!!
って、アタシのサイン入りじゃん(笑)!!!
期待してた方、ごめんねー!!
アタシ、勝手に他のサイトで画像をアップされちゃうのイヤだから、
アタシの、精いっぱいのカワイさを見せたってわけよ(笑)!!
ついでに上下をトリミングしてやったってわけよ(笑)!!
書状の年号は「昭和六年十二月十五日」です。
署名は「生田南水」とあります。
永楽屋さんのサイトを見ると、この頃、永楽屋の主人だった伊兵衛ッチは、たぶん、九世か十世じゃないかなって印象です。残念ながら、生没年とかは書いてないので、詳細は分かりませんでした。
書状の内容はねー。
なんとか頑張って、アタシなりに字を読んでみた結果なんだけど、
要点だけ書いてみるね。
義士寺って何よ?!
以上(笑)!!!
たぶんだけど、伊兵衛ッチが「義士寺」っていうのに興味を持って、
それで、南水ちゃんに問い合わせてみたらしいの。
義士でお寺っていえば「泉岳寺」とか「吉祥寺」を想像しちゃうけど、
ううん。全然違うの(笑)!
書状は、南水ちゃんが考証して「こんなことが分かったよ」って、
伊兵衛ッチに回答をした、っていう内容なのね。
南水ちゃんによると、伊兵衛ッチが知りたい「義士寺」は、
「加賀屋の新田で其一郎の邸宅だよ」という結論みたいです。
この邸宅がお寺みたいな建築だから、間違えちゃうけれど、
お寺じゃなくて、大金持ちの邸宅なんだよ、って調査結果? みたいです。
それでアタシ、そんな「お寺みたいに見える邸宅」なんてあるの?
って気になって気になって、そりゃあもう気になって、
それこそ、コーヒー100杯飲んだぐらい寝られなくなって(笑)
ネットの神様に聞いて、調べて見たら、今でもあったよ!!!
このサイトを開いてご覧になってあそばせ。
本当に寺っぽい(笑)!!! いつか行きたい!!!
でね。南水ちゃんは、天王寺区のお生まれだったから、
大阪のことに詳しいんだー! って分かったの。
書状には「私か此家へまゐり候ハ今より二十余年前の事」ってあるから、
きっと南水ちゃんは、この「加賀屋新田」を訪ねたことがあるんだねぇ。
南水ちゃんすごい!! さすが(笑)!!
アタシは、結局、この加賀屋新田と赤穂浪士とが、
どういう関係にあるのか分からなかったから、
誰か詳しい人がいたら、ぜひ教えてください!!
それから、南水ちゃんは、「別紙の吉野屋ハ義士料理」とか書いていて、
でね! でね!!
その「別紙」っぽいのも、アタシが持ってんだ(笑)!!!
ジャジャジャジャーン!!!
義士料理のお店は、これだぁ!!
またしても「つむぎ」参上!!!
簡単に画像をコピーさせるかってーのよ(笑)!!!
持ち主のアタシが言うのもなんだけど、めっちゃウソっぽい(笑)!!
「大石良雄直筆写」って??!!(笑)
アタシ、「よしのや」なんて牛丼チェーンしか知らない(笑)!!!
でね!! アタシのステキなウォーターマーク入りだから(笑)
ちょっと分かりづらいと思うけど「吉野家主人」ってあるところに、
なんだか印鑑が捺してあるでしょ?
そこをよーーーーーーーく目を皿のようにして見て見ると!
「吉野や」「義士御料理」って書いてあるやら、ないやら(笑)
これ、どゆこと?!
義士料理って看板メニューのお店に、内蔵助ちゃんが訪ねていって、
「おーい、店主。義士料理をくれ」って頼んだってこと?!
カラオケ唄ってたら、本物キタみたいな話なんですけど(笑)!!!
アタシにはサッパリだから、これも分かる人がいたら、
ぜひぜひ教えてください!!
アタシ、自慢じゃないけど、何も分からないの(笑)!
ちなみに南水ちゃんによると「此家も無之候」って書いてあるから、
きっと吉野家さんは、なくなっちゃったんだと思います。
それで、牛丼の吉野家を始めたんだと思います(ウソ笑)!
書状の内容から、どうも伊兵衛ッチは、メチャ赤穂浪士ファン!!
そしたら、十四代のイケメン細辻伊兵衛さんのブログによると、
初代の細辻伊兵衛さんが、ななななんと!!!
大石内蔵助さんと交流してたんだって!!!!!
これって、すごくない?!!!
こんなの「忠臣蔵」でお正月に放送してたっけ(笑)?!
アタシ、いますぐ義士料理の手拭い欲しいんだけど(笑)!!!
十四世伊兵衛さんの日記は、コチラ!!
きっと、アタシの持ってる書状の伊兵衛ッチも、
ご先祖様が大石内蔵助さんとお知り合いだったから、
ご先祖様を大事に大事にされていたんだね。
素敵だなー。ご先祖様を大切にできる人って!
ご先祖様にお線香あげないヤツは、ロクなヤツじゃないね(笑)!!
たぶんだけど、伊兵衛ッチは、南水ちゃんのパトロンだったんだと思うの。
それで、博学だった南水ちゃんに「ねえねえ、これってどゆこと?」
みたいに、義士寺とかのことを問い合せたんだと思うんだ。
アタシが持っている書状は、ほかにももう1通あって、
合わせると「義士の川柳」とか「義士料理」とか、
かつてアタシが聞いたこともない単語が飛び出してきて(笑)
赤穂義士ファン界隈もザワついてワッショイじゃないかと思うの(笑)!!
旧派俳諧が大好きなアタシにとっては、
南水ちゃんが俳人だから、ってこともあるんだけど、
宝井其角ちゃんが、大高源吾ちゃんと出会って、
討ち入りするよーって教えてもらったっていう伝説があるでしょ?
これは「義士四十七圖」っていう錦絵にも残ってるけど、
チョー有名な「文鱗宛其角書簡」でも、忠臣蔵のことが書かれてるのよね。
それはフィクションだ!! みたいに言われてもいるみたいだけれど、
俳句愛好家の八塚慎一郎さんが、新しい発見をしたよ!!
なんて記事にも出会ったの。
って、もうアタシなんかには難しすぎて頭に入らない世界だけどさー?
でもでも、俳人と赤穂浪士なんて、なんか素敵なつながりでしょ!!
それが、俳人の南水ちゃんと、
アタシが昔から好きな永楽屋の細辻伊兵衛ちゃんの間でも、
実はアタシが生まれるずっと前の昭和6年から盛り上がってて、
なんか、もう、アタシ、嬉しいのよ(笑)!!!
あとね。森鷗外の弟さんだった三木竹二ちゃんが、
実は「忠臣蔵研究会」なんてこともしてたんだけど、
それで、いまでもあるのかなー? って思ってたら、
「中央義士会」って、もうアタシが震えるような名前の会があって(笑)
会費も払ったりして、すっごく真面目に取り組まれていて、
アタシ、こんなノリでごめんなさいって感じです(笑)!!
それじゃ、きょうはここまで!!
まったねー!!
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