古き言い伝えはまことであった
本当は先日友人と行った長崎旅行がいかに楽しかったかについて「#私のこだわり旅」などの浮かれたハッシュタグと共に、前編後編に分けて詳細に綴りたかった。
だが、こうなっては致し方あるまい。
私には今書くべきことがある。
書かねばならないことがある。
乱暴に表現してしまえば、こういうことだ。
ハゲを嗤っていたらハゲに泣くことになった。
皆々様、ハゲ…いや薄毛を嗤ってはならない。
ことは数ヶ月前に遡る。
ある日突然抜け毛が明らかに増えた。
確かにそれは、秋口の頃で、ヒトの毛が1年で一番抜けやすくなると言われている季節で。
そう自分を納得させても40年余り生きてきた自分の経験値が、いやいやこの抜け方はそんな生易しいもんじゃないぞと警戒アラートをけたたましく鳴らしていた。
慌てて頭皮の美容液を購入したその後は今日まで神経質に、でも愛と労りの気持ちを持って頭皮及び髪と向き合ってきた。
異常すぎる抜け方は2週間ほどで収まったものの、それからも髪を洗うたび、通常時よりかなり多い抜け毛が恒常的に発生していた。
そんな惨状を目にしても、私はまだイケる!まだヤれる!我が頭皮及び髪の毛はこんなことでめげたりはしない!ともはや根性論で今日までだましだましやってきました。
そして、気づいてしまったわけですよ。
あーこれ、円形脱毛症ですわ。
不思議ですね。三角でも四角でもハートでもなく、みんな揃って「円」になるんですね。
現時点で原因はわからない。
円形脱毛症といえば、ストレスとの因果関係が度々指摘されるが、恐ろしいことに私は髪が抜け落ちるほどのストレスを自覚していなかった。
私の強く太く輝かしい髪の毛がごっそり抜け落ちるほどのストレスを自覚できていないのであれば、それはそれで自分が心配ではあるが。(必ずしもストレスが原因となるわけではないらしいです)
それにしてもこの話はどうだ。
夫の薄毛を嗤っていた私が髪を失い、夫は今やお薬の効果で薄毛を克服しようとしている。
なんとわかりやすい因果応報。
いやぁしみじみと教訓がありますなぁ。
心優しき正直じいさんを虐めていていた意地悪ばあさんには天罰がくだりましたとさ。
おしまい。(語り 市原悦子)
これってなんの日本昔話?
私はいにしえの意地悪婆さんを令和のこの世で体現してみせているのだ。
国は早急にこの記事を道徳の教科書に載せ、令和の学生たちはこの話の教訓を150字以内で纏めなさい。
そんなこんなで今週末病院に行ってくる。
毎日世にも暗い顔で抜け落ちた髪の毛をつまみ、ほら…また…と夫に見せ絶望する私に、普段は妻命の夫の反応が心なしか冷淡なのである。
「なんで私に同情して優しい言葉をかけないの?!私が過去あなたの薄毛を弄って何度もnoteの記事にした仕返しか?!」
そうなじると、夫はやや冷たい目をして首を振った。
「円形脱毛症は大抵治るじゃん!いつか治る薄毛は薄毛じゃない!そんなもんは同情しない!」
お前は一体どんな地獄を見てきたんだ。
そうかそうか、お前はそんなに辛かったたんだなぁ。私、今なら分かるよ。
人は実際に自分が体験してみて初めて分かることも多い。これもまた教訓である。
分からないからこそ、寄り添う気持ちが必要なんだなぁ。
学生たちよ、このあたりのことを150字以内て纏めたらテストでマルをもらえると思うよ…
さて、私は今月末、オーストラリアに留学していた時にお世話になったホストファミリーと日本で感動の再会を果たす予定で、「TaiTai!わーお!君は以前にもましてプリティだね!」と言われるために髪を切り、服を買い、お肌のお手入れをしてきた。
その矢先にこれである。
人生はままならない。
神は私に、例え髪が抜けても自分を変わらず愛せるかお尋ねなのであろうか。(どんな試練だよ)
ならば私は一歩も引かず、どんな自分になろうとも私は自分に、可愛い愛してると言い続けてやろうじゃないか。
我が家には夫が薄毛時代に購入したスーパーミリオンヘアーだって残っているのだ。
この時代に生まれて良かったぁ!
地球に生まれて良かったぁ!(最後の一文は完全にノリ)