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「負けず嫌い」の手綱を引く

新年明けましておめでとうございます!
毎年のことですが、実家に帰省して息子共々甘やかされております。
息子の福太郎は去年までは怖がってまともに歩かなかった実家の庭を、どんな心境の変化か、飛ぶように駆け回っております。
ようやく我が家の庭を信頼に足る安全な地面だと理解してくれたようでなにより。

福太郎は相変わらずじいちゃん(私の父)を愛しすぎていて、日中は四六時中くっついて回り、寝る前には頬におやすみのチューを欠かさない。
ところがグランマ(私の母)のことは愉快な遊び相手とでも思っているのか、寝る前にチューをすると見せかけ、ペチンっ!と頬を叩いて、グランマの反応を楽しんだりする小悪魔ぶり。

先ほどちらりとご紹介したが、福太郎はまだ私のことをママと呼ぶことすらできないのにも関わらず、両祖父母の呼称の難易度はMAX設定だ。
父方の祖父母(夫の両親)の呼称が、「じいじ、ばあば」という昨今では割とオーソドックスなものであるのに対し、母方の祖父母(私の両親)が孫からの呼ばれ方に強いこだわりを発揮した結果、「じいちゃん、グランマ」という超絶ややこしいことになってしまい、果たして福太郎がそれぞれ4種の呼称を正しく使いこなす日が来るのだろうか、既にかなり心配である。

私の父に関しては、そもそも娘から「父ちゃん」と呼ばれるのが夢(何故)だったのに「パパ」なんていう洋風な呼ばれ方になってしまった無念を孫で晴らそうとしているふしがある。

母には関しては、父が希望した「じいちゃん」呼びの対にあたる「ばあちゃん」がどうしても受け入れがたかったようで、考えあぐねた結果、何故か「グランマ」で着地してしまい、ペア感ゼロとなってしまった。

4種の呼称を発声するのはまだまだ先のことであろうが、現時点でしっかりそれぞれの呼び名と人物が結びついているようなので今のところはそれで充分である。
というか親バカを発揮させてもらえるなら福太郎天才なんじゃなかろうか?

さて、じいちゃんに甘やかされ、グランマをおちょくり、美味しいご飯をたらふく食べ、我が世の春を謳歌している福太郎君であるが、実は帰省前はかなり情緒不安定となっていた。

原因は、私と夫の叱りすぎであるのは明らかだった。ここしばらく福太郎はこれと言った理由もなく、私や夫に爪を立て引っ掻く等の問題行動が少し増えていた。
重く見た私たちが、引っ掻くたびに彼を強く叱りつけていたら、問題行動はむしろエスカレートしていった。

そりゃそうだ。息子は私に似てとんでもなく頑固で強烈な反骨精神を持っているので、頭ごなしに叱りつけるのは逆効果なのだ。
怒鳴られようが頬を叩かれようが、エーンと泣いて謝るような殊勝なタマではないのだ。私も、私によく似た福太郎も。

そしてそれを誰よりも熟知しているはずの私もまた、こういう性格なので分かっていながら、怒りが怒りを生みもはや二人して止まれない止まらない意地でも止める気がない暴走機関車である。

そんな状態で帰省し、福太郎の最近の様子を聞いた両親は、彼の性格を鑑みた上で、少なくとも今回の帰省中は強く叱らず優しく注意するという選択をした。

立ちどころに福太郎の問題行動は収まった。
そういえば私も、自分が悪いことをしたときに、強く叱られるより敢えて優しくされたほうが素直に反省出来たものだった。
改めて、育児には画一的な正解というものはないのだと気付かされる。
その子に最適なやり方を一つ一つ模索していくほかないのだ。

久しぶりに満面の笑顔を振りまき私に全力で甘えてくる福太郎を抱きしめると、福太郎は「きゃー」と笑い声を上げた。

さて、タイトルの「負けず嫌いの手綱を引く」であるが、福太郎のことばかりではない。
私自身に対する今年の抱負でもある。
元来の負けず嫌いである私は、競争下に置かれるとついうっかり負けたくないという気持ちがむくむくと芽生えてしまう。

それが本来競争する必要のない場面でも所構わずそうなのだから厄介なのである。

私の性格の一つである負けず嫌いという要素は基本的には社会的な面においてたくさんの良い作用を私にもたらしてくれたのだが、ここにきてようやく、その副作用にも気づき始めた。

例えば私は今、英会話の無料学習アプリを使い毎日少しずつ学習を続けている。
そのアプリは日々の語学学習の進捗を勝手にランキング形式にしてユーザー同士を競わせようとするのだ。
正直に言ってほんとに勘弁してほしい。

日々マイペースに楽しく学習していくつもりだったのにランキングなんてものを大々的に出されてしまうとつい頑張ってしまうではないか。
ランキング上位であり続けるために、やりたくない日にまで無理してアプリを起動し、結果学習自体が苦痛になっていくのだ。

だがしかしちょっと待ってくれ。
語学学習は私にとって義務ではないのだ。
私の負けず嫌いをまんまと利用された結果、楽しみで始めたことが苦痛となる。
これでは本末転倒ではないか。
私は自分の人生を楽しむために、自分自身の「負けず嫌い」の手綱を引かねばならない。

「負けず嫌い」の性質は気をつけないと他者に容易に利用されてしまう。
必要のない負けず嫌いは時に人を疲弊させ、人生の楽しみを阻害する。

とりあえず、私は語学学習アプリで、敢えて自分のランキングをがっつりと落とすところから始めてみよう、などと一見アホみたいなことを思う年始である。








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たいたい
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