東日本大震災で見つけた"大切なこと"
半纏、祭り衣装、手拭などの製造を通じて、日本の祭りを支える染物屋でありたい。私が東日本大震災の体験から学んだ、会社経営において"大切にしなければならないこと"についてまとめました。
東日本大震災以降、京屋染物店は被災した祭り団体、郷土芸能団体の復興支援に取り組んで参りました。
あれから11年。沢山の方々と出会い、多くの想いに触れてきました。そんな中で芽生えたのが"人の想い、地域の想いを繋いでいきたい"という使命感でした。
私に何ができるだろうか
父が他界し4代目を就任した翌年の2011年3月11日、大きな揺れが街を襲いました。
2週間を超える停電の後、ライフラインが復旧し、久々のテレビに映ったのは沿岸にある隣町が悲惨な状況に陥っている映像でした。
あの日の事は私が言うまででもなく、皆さんの心に深く刻み込まれていることと思います。震災以来、誰もが考えたことでしょう。
「私に何ができるのだろう」
私自身も震災発生の数日後から何度も避難所に物資を届け、様々なボランティア活動を行ってきました。そんな中で、常に自問自答していたのがこの言葉です。
5年先、10年先まで被災地を想い、支え続けられる事はなんだろうか。
私に何ができるのだろうか。
自分の存在意義
全国的に自粛ムードが広がり、浅草の三社大祭の中止を皮切りに全国の祭りが次々と中止となり、染屋の仕事は全くなくなってしまいました。
仕事が全くない状況でこの先どうすればいいのか。先が見えない不安と倒産も覚悟しなければならない状況。
染物屋の存在意義と価値を疑うようになっていました。
染物屋の仕事の無力さに自信を失いながら、ボランティア活動をしている時、陸前高田の祭り団体の方と出会いました。
その方は、瓦礫と化した街を一望できる丘の上にテントを建てて寝泊まりをしていました。
公民館や学校のような避難所ではない、不便な場所でなぜ寝泊まりをしているのかと聞くと、
私は、胸が暑くなりました。と同時に、自分の不甲斐なさも感じました。
自分が染物屋であるとこを伝え、悲観的になっていたことを打ち明けると、
その方は私にこう言ってくれました
この言葉が、私の胸に突き刺さりました。
染物屋にもできることがある。染物屋だからこそ、できる貢献がある。
自分たちの存在意義を強く感じました。
そして、たどり着いた答えが「地域の祭りを支え続ける」でした。
今こそ恩送り
震災発生の半年前に先代の社長である父が他界し、右も左もわからない半人前以下の私を力強く支えてくださったのが、弊社を長くご愛顧くださっていた地域を支える「熱き祭衆」でした。
こんな暖かい心に支えられ、私は立ち上がる事ができました。
今度は私自身が「プロだからこそできる末永く続けられる支援」に今こそ取り組まなければと心に決めたのが11年前でした。
それ以来、岩手、宮城、福島の被災された祭団体、伝統芸能保存会の祭装束や祭典道具などの修復、復元に数多く取り組んできました。
被災された皆さんが瓦礫の中から見つけ出したボロボロの半纏を広げて、私たちに伝える心の底から出る言葉は、
立ち上がる決意と郷土を愛する心からの言葉です。
私自身も皆さんと同じく、民族芸能や祭が持つパワーを信じています。地域が一つになり、老若男女が祭を通して語り合い、繫がっていく。地域を復興へと導く大きな原動力になると確信し、活動を続けてきました。
染物屋でよかった
暫く活動を続けると少しずつ支援の輪が広がってきました。
全国から寄せられる応援に力によって、言葉では言い尽くせぬほど大変な状況から立ち上がっていく祭り団体の方々。
そして、自分たちの仕事が人の力になっていると初めて感じることができたのです。自分たちの方が、被災地の皆さんに勇気付けられました。自分たちの方が助けられていました。
私たち染物屋は幸せです。
誰かのアルバムをめくると、その写真には自分たちが作った衣装を着た人たちが嬉しそうに写っている。ご縁をいただいた方々の思い出に寄り添うことができる。本当にやり甲斐のある仕事です。
私たちが手がけた染物が、皆さんの思い出とともにある。
そうして、祭りを支えている。
京屋染物店は、これからも日本の祭を支え、笑顔の輪が広がる取り組みを行って参りたいと決意を新たにしております。
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