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結局わが子のレジリエンスの答えは親の私が成長する中で得たものだった。

さんざん、我が子の発達障害をなんでわかってくれないのって大人に向かってがなりたてていた私だったけど、結局のところそれは我が子の発達障害の理解を求めて、ではなくて、私自身が発達障害ってなんなんですかーっていろんな人に聞いていたこと、だったのかもしれないなと思ったりもする。

ほんとさ、いろんなもの見ていたんだなって思うんだけどね。

理解なんて人それぞれだし、わかってもらえた、は、私の思うわかってもらえたであって発達障害のなんぞやをわかってもらっていたわけでなく結局自己満足な部分がたくさんあったわけで。

ってくらいに、ほんと発達障害って人それぞれで、そう呼ばれる人が10人いたら10通りのストーリーがあり、その先のお父さんお母さんがいたらその人数分のストーリーがあるわけで。

それも発達障害という視点だけでなく、家庭環境がものを言ってることもあるし、他の要因もあったりするし。

だからそう簡単に、発達障害ってねってことは言えないと、やっとここにきて腹落ちした私よ。
美沙の話でならいくらでもできるんだなってことだし。

結局、これを持って産まれた自分をどう生きるんですか?
これを持って産まれた我が子をどう生かすんですか?

そこに尽きるし、話は尽きることなくいろんなストーリーを見るわけでね。

っていうのが私の発達障害というものに対する視点です。

だけどそんな中で、ふと思うのは今の美沙がこうあるのは第一は美沙の努力の賜物、なんだけど、さてそこにプラスするとしたら私の声かけ、なのかなぁ=美沙にとってのレジリエンスって何ですかと聞かれたらね。

さて、レジリエンスってなんですか?ってnoteのAIさんより。
・・・「レジリエンス」とは、困難な状況に遭遇したときに、すばやく立ち直る力や回復力のことを指します。

いや、すばやくはないね。美沙なりのペースであれこれ何やかんやと逞しくやり切ってきたもの、だな。

先日、チャイルドコーチングの資格を取ろうとあれこれ勉強していたけどなるほど私、美沙にあれこれ声かけていた大部分がこの「コーチング」のいろんな技術にあたるということに合点がいっていた次第です。

ええ、高いお金出さなくても、ちゃんと資格に値するものは経験という、何も名のつかないそんな些細な当たり前の日常が与えてくれていたんだわ。

と言ってもガツガツにプラスに物事伝えていたわけではなく、なんだけど。

えぐい話も否定することなく、そうかそうかそうなんだねと聞いていたし。いや、ウソ。ママはただ聞いてくれるだけでいいんだよと何度怒られたことか、だったし。

たとえそれがしんどいことだったとしても、その状況、よく頑張ってみてきたなってところだし。ほんと逃げずに諦めずによくやってきた、なのよ。

私が美沙や長女のうひゃーって話を聞いて、まず思うのが、え?私それこなせたかな?だったりするし。

子どもだからって、可愛い世界見ているわけじゃなく、ほんとにえぐいものも見てるし聞いてるしって世界をたくましく生きてるんだなぁってところに素直に感嘆しちゃうわけ。

他の子だったらこんな状況ないだろうなもたくさんあったし、それをやり切ったこと、本当にすごいと思うわけなのです。

そう思えるから、他の子のしんどい話を聞いたりすると、そうか、ほんとそれをがんばってる、だったり、工夫してやり過ごしてるだったり、行くのをやめただったり、いろいろすごいなぁ、子どもでそれを見てるってすごいね、だし、よく頑張ってやってるねだし。

ってそれを伝えてくれる人に伝えても、え?どういうこと?っていう反応されちゃうけどね。

あのさ、ほんと子どもが見てる世界はすごいんだよ。ってこと、自分自身だって見てきたのに忘れた?

一生懸命そこをやり過ごすためにあれやりこれやりしていたの忘れた?なんだよ。

何にも考えずに大人になったなんて、親になっただなんて、ウソだよねぇ。

結局わが子のレジリエンスの答えは親である私が持っていた答えだった。

だから、わが子のここがダメ=自分のそこがダメ、と同じだから、あるいはそこを受け止められないから、いつまでたってもぐるぐる同じところを回るのよ。・・・知らんけど。

でも、受け止められない理由もちゃんとある。

親になったからってそこを丸っと簡単に受容なんてできるはずもなかった。

あの日の自分の頑張りは当たり前なんかじゃない。

めちゃくちゃあの空気、感覚の中で結構なダメージ受けていたはずで。
じゃなきゃ大人になれないんだから。

・・・って、私大人になったけど、子どものまんまだったということに気づかされる日々だったけどね。

ってくらいにさ、複雑なもの見てあっちいったりこっちいったりしながら受け止めて、ごくんと飲み込んで、終わなきゃ大人になんてなれなかったのさ。

そこすっ飛ばして、さも私大丈夫ですって顔して大人で親をやっていた私だったけどね。

だから。
そう簡単に自分の答えなんて出せないのに、わが子の答えなんて出せるわけがない。

だから、人が生きて物事を見て考えていくことって本当に素晴らしいことなんだよ。

そこに障害があるとかないとか関係なく、人は今日を生きるためにいろんなものを感じてるんだよ。

だからこそ、我が子のしんどさをまず肯定する。
すごいもの見てるんだなって思いを馳せる。
自分がそこにいた時どう立ち回っていたかな?
そんなこと思うだけで、一呼吸おけるもの、ある気がするのよ。

え?
あの当時の葛藤してる自分にそれ言えるかって?
まぁ言ったところで、はぁ?うっせーよって言われるのがオチね笑笑

それが私の生きる道だったからね。

でも、ちゃんとこうやって気づく道のりもあった。

うん。
それでいい笑

ってわけで、7月22日、海老名にてイベントします。
よかったら遊びに来てね。

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