子どもの葛藤も成長の証です。
おかげさまでこのYouTubeが、再生回数21000回を超えました。
といっても、大元はTVKさん。
本当にありがたいことです。
で、コメントを見ていたらね。
「この人は読み書きできなくても絵の才能があった。じゃあ、できない以外に才能や特技を見出せなかった、なかった子はどうしたらいいの?絶望感じると思うよ」
・・・思うよ、だよね?
ごめんなさい。
・・・それはあなたの思うであって、これを見た誰かのものではないですよねぇ?と言っちゃうけどね。
いや、もしかしたら、これを見た人の中には絶望するかもしれない。
自分にはそんな才能なんてないと。
ほかになにがあるのか、と。
なんにもないじゃん、と。
でもね。
こんなに表現豊かに描いた絵をバックにここに出演している美沙も、形は違えど、絶望はあったと思う。
投げ出したいと思った日々もあったと思う。
発達障害。
そう知った時に、私が親として一番心配していたのが「二次障害」だったからこそ、そうならないようにある程度の線は引いたし、時に先に目に見える美沙の小石を取り除いていた日もあった。
・・・でもそれは、美沙にとっての小石、なんかじゃなく、私にとっての、母としての小石。
センサーを常に張り巡らせ、アラームが鳴ったら出動!って感じで、美沙にわからないように学校に出向いて先生方にお話ししていた日々よ。
で、卒業間近の最後の最後でいつも、小中高のどの学校でも撃沈していた・・・私がね笑という過去もある。
その中で、いちばんの山場は、美沙自身が高校の時にいろいろあって落ちた。
闇。
真っ黒けーな世界。
本当に危うい日々だった。
学校でもパニックを起こしたし。
で、聴覚過敏を発症。
・・・二次障害。というほどにメンタルもガタガタ。
でも。
そんな様子を見た私が思ったのは、あー。親がどうあっても、それを避けようとしたところで、ちゃんと自分でなる時にはなるんだな。ってこと。
念には念を。
とにかくそうならないようにってレールをこれでもかってほどに引いたのに。
でも、私自身が親としてそれをやり切ったと思えたのか、私がそれまで美沙の代わりにやってきたことを本人がちゃんと自分で先生に対して表現してやってるんだなって気がして、なんだかほっとした、そんな記憶。
あー、ならもう様子見ていよう。
そう思えた出来事で。
まぁそのあたりほんと、美沙は荒れた。
本人にしてみれば絶望もしていただろう。
自分の絵をバリバリ描いていたし、なんならちゃんと大学への切符も手にして万々歳だった最中に。
って、今振り返るとそんなカオスな日々も我が家にはちゃんとあった。
何にもなくただ才能でここまできたんじゃないんだな。
今振り返ると、そんな絶望すらきちんと逃げないで受け止めてた、そんな本人の成長がそこにあったんだと思ってる。
子どもの葛藤は成長の証です。
それ、すごいよねって思わずにはいられなかったんだ。
でも、この人の将来大丈夫、ってことはその時は思わなかったかも。
ただひたすらに彼女の今を見ていた、そんな時間だったな。
まさかこんな映像に残るような未来があるなんて1ミリも思わなかったそんな時間がありましたとさ。
わが子が考えてることがわからない。
そうかもねぇ。
私は美沙じゃなかったからね。
美沙の絶望を寸分の狂いもなくなんて、わかるわけないからね。
だから、自分の思う方法で自分の見ている方向で、どうしたらって、私の思う安心で動いていた・・・とも言うな。
だから、私自身の思う悪い方向に動く。
「そう」ならないようにって、見ているのは「そう」の方向だからこそ。
学校に対して伝えていたことなんて、ほとんどそうだったかもね。
でも、それでよかった。
それが最大限できた親としての仕事だったからね。
ほんと、子育てって悩むよね。
これでいいのかなってたくさん悩むよね。
なんでこうなんだろう、もたくさんあるし。
これがあれば大丈夫だって思っていたことが、大丈夫じゃないこともたくさんあるし。
でも、ただ一つ言えるのは、やってあげたからと言って、それをどう思うかまではわからないってことだ。
うちの子ハンデがあってかわいそうとか大変だとか絶望だよねとかとか。
人は勝手に自分が見てる世界を押し付けるけど。
果たしてそれは目の前の人のものだろうか?
我が子のものだろうか?
自分がわかることを分からない人が目の前にいること。
自分が大変だと思うことを目の前の人がやっていること。
自分がかわいそうだと思うことを目の前の人がやらされて、やられていること。
人は生きていればどうにでも感じるようになっている。
生きているからこそ。
子どもだからって甘いこと考えるわけでもなく、大人だからってしっかりしたこと考えてるわけでもなく。
わかってないことなんて、ないとすら思うんだよ。
どんなにコミュニケーション取れなかったとしてもね。
みんなそれぞれの成長でそれを見てる、そんな気がするんだよね。
だからこそ、そう感じていることをまんま尊重してあげることは大事だな、なんて思う。
痛いこと、悲しいこと、怒れること、等身大のありのままを受けとめてあげる。
ただただそのまま聞いてあげる。ほんと聞くだけ・・・これ、難しいけど。
といいつつ、親だって人間だもの。
感情だってあったりするからね。
でも、そのやり取りこそ、育てる、なんだよ。
子どもが感じることだから、それを見たくない気持ちもある。
そんな思いさせたくないとすら思うこともある。
それが親だもの。
そんな私も見守ろうと言いながらドキドキしてること、実は未だにあったりするよ。
でもそれは、ハンデがあるとかないとか、そんな視点なんかじゃなく。
フツーに仕事してる我が子に対しての時に余計なお世話、だったりもするよ。
社会に出てもそんな感じ。
うひっ。
親だからねぇ。
まだまだ親がやる仕事だって思ってるからねぇ。
目指すはそこからの卒業、かな。
今日もここまでお付き合いくださりありがとうございました。
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