夫婦だって未熟な大人だったりするのだ。
お父さんは家族を食べさせるために働いてるから、なかなか子どもに向き合うのも難しい、と、そりゃ奥さん、昭和の価値観なんだぜーってことを、さらっと言った私なのですが。
今はいろんな形態のご家庭もあるから
それは一概には言えないけど、
それは子どもとしっかり向き合って
なんで夫はこれを
わかってくれないんだろう、
と必死に子どもと向き合っている
お母さんも同じくらいに尊く大事な役割であるってことで。
夫婦で足並み揃えるって
めちゃくちゃ難しいことだったりするのはそれぞれの育ってきた家庭環境があったから、かなと。
我が家も結局私が頑張って
主人にはいいから働いてきて!
という感じでやりくりしていました。
その基準って何かなって考えた時
まるまる相手がやっていることを
まるまる自分もできるか?って
ところなのかなと。
私にはそれができなかったからこその
役割分担だったのかな、と。
適材適所、かな。
いや、結局説明しても、わかってくれないって状況で、なんならそこを説得させるのがめんどくさくて全ては事後報告でした、という側面もあったなぁ。
ん。後々になって、もっときちんと話せばよかったかな・・・と思うこともあったけど。
それが我が家のスタイルでした。
そこから今にして思うのは、
本当子育てって否が応でも
自分と向き合うことになる。
それが私にとっての己育て。
輝いている自分はもちろん、
どうしようもなく隠しておきたい自分も
容赦なくこれだよって
それは一見子どもの問題として
見えてるけれど、
さらに見ていくと
自分の中に仕舞っていた
とても時に厄介な、でも本当は大事な
何かを見させられること、
だったのかなぁ。
それは父として、母として
働いていようと
育児していようと
働いて育児していようと
たとえ足並みをそろえて
目の前の我が子を一緒に
育てていたとしても、
その分量は変わらないものよ。
自分が見てる視点で見えてることだから。
結果、あなたは親である以前に
どう生きてきた?
そしでこれからどう生きる?
を、お父さん、お母さんに
子どもが見せてること、
なのかなぁと。
だからこそ、
それが自分ときちんと向き合うこと、
なのかなぁと思います。
本当しんどい。
うふふ。
私も今もまだまだそんな日々ですよ。
きっとこれは私が死ぬまで続く
私がお母さん、ではなく、
私であるための大事な営み、
なんだな。
そして全ては今の、
そしてこれからの
自分を生きるための原動力だった。
だから本当はそこに全く
責めるものなんて何もない。
っていうくらいに日々
選択を重ねてるということで。
悪くなる方向への選択、なんて
これっぽっちもするわけなく。
でも、結果見てなんでーって。
私がああ育てちゃったからかなって。
きちんと向き合わなかったからかなって。
でも。
本当はそこにそんな理由なんて何もない。
ちゃんと自分の目で
見ていたからこその選択、
してるんですよ。
ほんと、親業ってしんどいですよね。
でも、それだけ
日々育つ子どもに生かされてる
エネルギーも
大きいということなんだなと思います。
そして、夫婦って
満たされないものを原動力にして
お互いに私のこれを満たしてほしい、
が根っこにあったりするのかな。
うふふ。
我が家も御多分に洩れず笑
夫婦はともに満たされないものを
持ち寄ってる。
どんなに親が
私たちはあなたを完璧に育てたのよって
胸張って言ってたとしてもね。
ええ。
だから子育てってしんどいうちは
やってもやっても
満たされないもの、
なのかもしれない。
だから親って未熟なんですよ。
未熟=満たされない。
でもだからこそ、
そこに成長があるんですよ。
夫婦は
あなたはお父さんだから
君はお母さんだからって
大人なんだから完璧でしょ?って
ついついお互いを思っちゃいがちだけど
実はめちゃくちゃ未熟なもの同士で
それを形作っているわけで。
だから、完璧な子育てなんて
今思うにないとすら思う私です。
っていうパートナーシップという視点も
あったりしてね。
みんなほんと、一生懸命頑張って日々生きてるし育ててるんだよ。
お互いに子育てしながら己育てをみんなやってるってことなんだよ。
小さい頃のあなたに会ったら、ニコニコしながら頑張ってるね、あなたすごいねって伝えると思うのです。
あの教室という世界の中で、本当に一生懸命頑張ってるねって。
そこにはいろんな家庭の
子どもじゃどうにも
ならなかった
誰かにうまく説明できなかった
そんな思いもたくさんあったし
それ出しちゃダメだよねって
スッと仕舞ったものもあったよね。
そんなあなたが大人になって、
お父さん、お母さんやってるってことなのだから。
なんてことをオンラインで
リアルに自分の口で
話せることはなんで幸せなんだろうと
思う場を作っていただけること、
本当に感謝です。
さて。
下の写真はどこでしょう?
誰もが通ったあの場所です。
2枚で一つ。
でもこれがその場所の本質かなぁ。
答えは教室。
家庭から見たら一つの大事なピース。
教室から見たらいろんな色を持った
大事なピースの集まり。
どっちも大事であることには変わらない。
さぁ、大人たち。
そんな未熟さを一緒に成長し合いませんか?
ここまでお付き合いくださり本当にありがとうございます。