見出し画像

美沙が先生をやるということ。

よかったらまずこちらを
ご覧くださいませ。

美沙がテレビ神奈川の
「News Link」という
番組の中で密着していただきました。

大学の卒展の絵から4月に社会人として
スタートするところまで。

本当に短い時間の中で的確に端的に
美沙の在り様を
お伝えいただいていること。

親として本当にうれしい気持ちで
拝見させていただいていました。

って私のインタビューも使っていただき。

「美沙ってなんでバカなんだろう。
 〇〇君とノート取り替えたら
 頭よくなるかな」って
その一言で美沙ときちんと
向き合おうと思ったんですよね」

ほんとその一言がきっかけだった。
それまで本当に普通の子で、
ちょっと勉強のペースが
みんなより遅いけど、
いつの日かまわりの子に
追いつくって
信じて疑わなかった私でした。

ふふふ。。。うぉいっ!

入学式の時の写真、
使うなんて聞いてないしぃ。

でも、ほんとにうれしかったのは、
美沙自身が先生として教室で
仕事をしている姿を
この眼で見ることができたこと。

特にうれしかったのが、
失敗しちゃった女の子に
優しく自然に寄り添っている姿。

失敗した作品を渡してくれた子に
ありがとうって言ってあげているところ。

とにかく理解してもらうことが
とても難しいものを
持っていたからこそ、
小学校という場所は美沙にとっては
本当にしんどい場所でもあった。

先生との折り合いでもまぁ苦労した。

でもね。
美沙はそれを今でも
根に持つこともなく、
なんならそんな苦労すら
振り返ることもなく、
まっすぐ更なる未来を見ている、
そんな気がしている。

映像で映し出される
先生としての美沙。

先生の対応に
苦労していた頃だったり、
その先の中学、高校であった
その日の先生との出来事で
「おいっ!」と
突っ込みを入れたくなる話を
聞きながら、
美沙のほうが
よっぽど子どもたちのことを
思いやれる先生なんじゃないかなぁと
思っていたし、
ああ、こんな先生が美沙の周りに
あの頃いてくれたらなぁ・・・と
思えるほどに
美沙の視点は
的確かつとっても優しかった。

だから、先生になれたらいいのになって
思っていたけれど、
それはまず無理だ。
そう思っていたけど。

ちゃんと自分でその道を見つけて、
自分の障害名をオープンにして
それを認めて受け止めてくださった
会社があった。

それ、本当にすごいんだ。
それはまず無理だと思っていた、
当時の私にとっての今は
奇跡以外の何物でもなく。
ありえないと思っていた
未来がちゃんとあった。

って、それを切り開いたのは
美沙自身であって、
美沙はそれを奇跡とは
思っていないかもしれないけれど。

そして、会社の上司である先生が
おっしゃってくださっていたこと。

大橋さんの経験や考えが
子どもたちの個性を伸ばすことにも
つながっていくと
上司も考えている
というナレーションから

差を見る教育ではなくて、
違いを見てあげる。
違いを尊重してあげると
お互い違った方がいいし
違う人に対して尊敬の念が生まれるし
または思いやりみたいなものにも
つながっていくと思うので、
ポジティブなところを温かく見守っていく。
それは大橋さんだけではなく
子どもたちみんなにも・・・

ほんと、そんな会社にたどり着けたこと。
たどり着いただけでなく、
そこで先生となって
子どもたちと触れ合っていること。

私にとっての
「親バカ」ってね。

美沙が描き出す絵を
「すごいね」
「あなたにしか描けない絵だね」って
そう言い続けることだって
思っていたけれど、
そうじゃなかった。

この子が、
経験 体験してきたすべてを
ありのまま
否定することなく、
受け止めることで
「すごいな」って
思ってきたことだったんだと。

じゃなきゃ、
こんな絵にはならないだろう。

横浜美術大学卒業制作
ギフト。


子どもは学校という場所で
楽しいことはもちろん、
嬉しいこと、
悲しいこと、
悔しいこと、
ありとあらゆるものを体験してくる。

それは
その子がその子であるからこそ、
見ている世界だったりする。

ついつい親として、それを
なかったことにしよう、
子どもだから辛いだろうと
忘れさせようと
手を打とうとしてしまうけれど。

感じたことを、
感じたままに、
その子が自由にすればいい。

AIがこれからどんどん
いろんな面で
活用されていくだろうけれど。

これからの人材は
何を勉強してきたのか、
を大切にされるのではなく、
何を経験、体験して、
それをどう感じてきたのか、
が大事にされていく気もするけど。

先生をやっている美沙は
本当に優しくて。

美沙の絵を見ているときに
感じるように、
いいねいいねって
思っている私がいました。

ああ、これまでの、
そしてこれからの
すべての経験 体験が
今の美沙を、
そしてこれからの美沙を
強く支えていくんだろうなぁ。

絶対的な美沙のこれまでの人生への
私の信頼感はゆるぎないものです。

だから、今学校で苦戦しているその子の
そのありのままの今が、
幸せであるといいなと思いながらも、
その子自身が全身全霊で感じている
そんな今をまるっと
「大丈夫だよ。大丈夫だからね」って
そっと背中を押せる大人を
たくさん増やしたいなと思うのです。

どんなに素晴らしい
配慮があったとしても、
自分と向き合うことは
自分でしかできないし、
どうしたってそれをやらざるを得ない。

まわりと比べてしまうものが
あるからこそ。

でもそれは本当に
尊い世界を見ているのよ。

たとえそれを見る親にとって
苦しいものだったとしても。

その差を見るのではなく、
違いを見る教育を。

ああ、本当によかった。
ありがとうございます。
娘をどうぞよろしくお願いいたします。

そして教室に通う
お子さんと保護者の皆様、
そんな美沙が先生です。
どうぞよろしくお願いいたします。

どうか皆様で育てていただけたら
本当にうれしく思います。

そして美沙のように
ハンデを抱えた子でも、
こんな自分を輝かせるステージに
たどり着けるといいな。

おばちゃんはそんなあなたを
応援しているよ!!!

これは数年前に書いたTwitter。

でもこれを書いた時点でも
こんな成長をして
まさか先生になってるなんて
想像すらできなかった私よ。

だからこそ。
目の前の今の現実が
全てと思って
諦めないでね。

こうあるべき
こうじゃなきゃ

そんな世界をぶっ壊す

こんな威力がなきゃ
これまである既存の価値観なんて
変えられないんだよ。

今日もここまでお付き合いくださり、
本当にありがとうございました。




いいなと思ったら応援しよう!