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注)私はかなちゃんママのようなママではありませんでした(笑)。
もし、美沙の在り様を
なかなか受け入れられず、
鬼になって漢字練習をさせていた
当時の私のもとに、
今の美沙の子育てを一通りやった私が
ニコニコしながら大丈夫!って
言いながら
この「かなわね」を
もっていったとしたら・・・
当時の私は何を思うだろう。
答え)
①怒る。
はぁ?この状況の何が大丈夫なわけ?
そんな未来なんてあるわけないじゃん!
②落ち込む。
私こんな懐深いママなんかじゃない。
私はなんでこんなお母さんに
なれないんだろう。
うちの子は
かなちゃんのママみたいなママに
育ててもらったほうが
いいんじゃないか。
って思うかな。
うふふ。
これね。
この絵本を世に出そうと思った時に、
とにかく出版させたいという思いと
セットで出てきた私の中の
思いだったりするの。
もし我が子の発達のあれこれを
目の前にして
葛藤しているお母さんが
この絵本を何かのきっかけで
手にしたとして
それがどう響くのかなぁと。
そして今、
改めて全てをやり切ったなぁと
思う私の
答え)
私、めっちゃ葛藤してるじゃん(笑)
ほんと、あの日々、葛藤してたよね。
・なんで美沙は
これができないんだろう。
・なんで私はそんな美沙を受け止めて
あげられないんだろう。
・漢字をなんとか書ける様にと
鬼になってる私が嫌いだ。
・漢字テストを合格させて
あげられない私は
ダメなお母さんだなぁ。
・こんな訳のわからない話を
している美沙は
クラスで浮いちゃうな。
・私みたいにクラスで
仲間外れになっちゃう
(これもまた改めて
書こうと思うの)。
他になにがあったかなぁ。
おそらく、これを読んでくださってる
我が子のことで
お悩み真っ最中のお母さんと
なんら変わらないお母さんよ。
でも、それを乗り越えたの。
いろんなものを見て感じて考えて。
あーでもないこーでもないと
たくさんたくさん考えて。
これじゃダメだな。
こうならできるかな・・・。
全てはその葛藤があったからこそ、
今の私はそれを
そう見ることができるし、
また別のものを見て気付きがあれば、
そっかそれもいいね、
なんて採用できるのです。
全てはその葛藤があったから。
あの日の私、
葛藤してくれてありがとう。
その葛藤があったおかげ様で、
そう見ることができるのです。
それを見に行ってくれた私に、
今の私は感謝するのです。
だから、この絵本に出てくる
かなちゃんのママは
今の私でありながら、
ママの胸の中で泣いているかなちゃんは
かつての子どもの頃の私だった。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/95183608/picture_pc_07a61bb2e6c71c5c248d27fd62fcc602.jpg?width=1200)
それがわかった時に大号泣。
そう感じられたのは、
とにかくこの美沙の描く絵本を
いろんな人の手に取ってほしいと
まずは原本を一枚一枚
携帯カメラで撮ったものを
フォトブックという形で
何冊も印刷したものを作ったころに
さかのぼるのだけどね。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/98062210/picture_pc_eb7543ab5783fa2d861a013ba748dfc6.png?width=1200)
と同時に、
どうかこれを読んだ方の声を
聴かせていただけたらと思っています。
どんなマイナスなことでもいい。
こんなお母さんになれない。
こんな物語なんてありえない。
うちの子こうじゃない。
かつての私が苦しみながら、
吐き出そうにも吐き出せなかった、
そんな声という気がしているから。
私ねぇ・・・
先生の前ではほんといいお母さん、
演じたのよね。
おそらく、そんな葛藤の片りんなんて
表に出すことを許せなかった、
そんな私。
5月の連休明け、
担任の先生に美沙の
授業中の様子を聞かされて、
その当時(今から14年前)
教室で困っている子って、
多動で席についていられない子・・・
だと思っていたから、
先生から「美沙ちゃんは授業中
ぼーっとしちゃってます」と
聞かされて
それってどういうことなんだ???と
しばらく頭の中がぐるぐるしていて。
だけど、その前年は
長女の担任の先生だったので
心から信頼できる先生だったので・・・ということで
取り出し(別の教室で巡回の先生と
個別に勉強する)も、
本来の私だったら
受け止められなかったことも、
受け止めて動いたし、
日々の私の心の動きは連絡帳という形で
先生とやり取りさせていただいていた。
だけど、おそらく、
本当の心の深ーい部分は
そこには書けなかった、
書くことを良しとして
なかった気がします。
それでもそんなお母さんとしての私に
寄り添ってくださった先生には
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
そして今、
その先生が精力的に
教室で美沙の絵本「かなわね」を使って
授業をしてくださっています
(それもまた改めて書くけど)。
だからね。
子どもが過ごす学校で
担任の先生が子どもだけでなく
その親にも寄り添ってくださること。
それも尊いことなのです。
子どもを育てるお母さんと、
子どもを育む先生と。
その二つが両輪となって
教育がなされることが
これからの学校を変えていくと
思っているのだ。
私の思う教育とは…
担任の先生と、
その教室に関わるすべての保護者が
お互いの立場を超えて
協力して育てる=協育
共に育てる=共育
今日を生きる=今日生く
それを教えてくれた、
あの葛藤をしていた自分に
今本当に感謝しているの。
と同時に、だからこそ、
今葛藤しているお母さん、
先生が手を取り合ったら
最強の何かを生み出すと思っています。
何言っちゃってんの?
そんなことありえないじゃん。
そんな声すらニコニコしながら聞くよ。
美沙の全ての軌跡が奇跡になるのを
あの教室という場所を過ごしたことを
見てきたからこそ、
私はそれを信じるのです。
めっちゃしんどいと思っていた
私の子供の頃の
あの教室があって今がある、
私はそれを信じるのです。
そこも本当にいろいろあったけど
(そこもまた改めて書くけど)。
だからこそ、
この絵本「かなわね」が
生まれたのです。
そして私にとっての葛藤の正体は
「いいお母さんの私」。
これもまた後で書きます(笑)
葛藤ってすごい財産になるんだよ。
そしてその葛藤は
めっちゃ可能性を秘めてるわ。
私はそれが見たいのです。
あなたのそれが見たいのです。
先生のそれが見たいのです。
でもね・・・後に書いたnote、
こちらもお読みいただけるとさらに
私というお母さんが
浮かび上がる気がしています(笑)
今日もここまでお付き合いくださり
本当にありがとうございました。