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ごめんねはいらないよ。

子どもの頃のあの時に
そのごめんねが
欲しかったわけで。

今更言われるのって
ちょーーーーぜついらんものだ。

ってことを我が身で
知るってことはね
それ、
我が子にやらなくていいんだ。

すっかり大きくなったからこそ
ふと振り返って
あの時…やっちまったなぁ
ってこと
ぶり返したりするんだけどさ。

いーんや。
最高最善尽くして
ごめんね、だったんだよね。

ならなんであの時
言わなかったの?

でも。
あの時言われなくて
よかったのかもなーなんて
思ったりもするし。

現にそれでいいと思ってるし。
めちゃくちゃ思ってるし。

ってより、
あんまり母が私に
リピートして
いうもんだから。

兄にもいうもんだから。

それ、もうみんな
お腹いっぱいだぜ、
かーちゃん。

そんな日々すら
私にとっては必要だったと
思えたら
あの日々は浮かばれるし
そもそもそれを
ごめんね言ってよ!
とは思っとらんのよね。

って、娘たちにそう思っとく。

親はやらかす生き物です。

それは
やらかされて育ったからに他ならず。

時にはしんどいことも
あったけど。

でも。
そのおかげで今がやっぱりある。

ま、それも愛っちゃ愛ね。

だから今を
選択していけばいい。

安心して
選択していけばいい。

どう選択しても
自分でやるようにしかならないから
安心してそれ選んだらいいよ。

あの人の選択方がいいなと
たとえ採用したところで
結局自分がそれいいなって
視点で選択してるんだから
その人の選択法ではなく
私の選択法でしかないよ。

母のようにはならない!
母のようには育てない!

どんなにそう思っても
そこに愛があれば
やっぱりそれ、
選んでるからね。

「ならない」「育てない」
そう言っても
枕詞で
「母のようには」が
あるから
結局そこに
辿り着いちゃってるんだよ。

ってところを乗り越えるために
我が子はあれこれ
繰り出してくれてるんだよ。

すげー。

ってか、
私もそんな子どもだったんだ。

母の壁を崩すために
「母のように」
育っちゃったんだなー笑笑

でもそれ、
もう
ちょーーーーぜついらんけど。


さむーい中30分以上待って
いただいた
五日市ほうとう。

牡蠣、美味しかったし
モツ煮も美味しいかったし。

待つっておいしさの味に
加味されるよね。

待つってほんと
いろいろ熟成されるよね。

待つって時間のかかる
ことなんだ。

今日もここまで
お付き合いくださり
本当にありがとうございます。

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