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1年前の今日という日。

Facebookの思い出機能から1年前のこんな投稿がアップされました。

ってわけで、ちょっと載せますね。

【夢以上の叶った現実がそこにあった】

本日、神原先生のもと、
ゲストティーチャーとして
3年生、4年生と一緒に
「自分のメガネを描こう」
という授業を美沙が行ってきました。

行く前はかなり緊張してたし
満遍なくいろんな子に
話しかけられるかな…と、
ドキドキしながら
行ったけど。

始まって早々、
あのテレビ神奈川さんで
取り上げていただいた「NEWS LINK」
での先生ぶりを発揮していてね。

いいないいな…なーんて思いながら
そんな姿を親として
参観しておりました。

こどもたちと
一緒になって
わちゃわちゃと
とっても楽しそうに
先生やっているのです。

こどもたちも「美沙せんせー!」
とあちこちから声をかけてくれていて
朝の心配はどこへやら。

ほんとうに
幸せなものをたくさんみてました。

でね。
途中、美沙の会社の上司である先生や
中学でお世話になった担任の先生が
美沙を見にきてくださって。

それぞれが神原先生と
会話する姿を見て
うぉーーーー。
なんなんコレ?!

こんな現実あるのねぇって
コレまたジーンとして。

中学の担任だった先生が
「美沙と同じ先生ですね」なんて
言ってくださって泣

みさが今履いてる上履きは
そんな先生が
履いているブランドのもので。

美沙はそれを見てもらえたのが
嬉しかったそう。

そして、さらに私の胸を
ジーンとさせたのは、
「ギフト。」を前に
先生がこどもたちにクイズを出し
美沙が正解を答えるってことを
やっていただいていたんだけど。

そうやって美沙が
こどもたちに「ギフト。」を
語ること。

やっと全てを
回収できたんじゃないかなって。
回収しながら
さらに自分を成長させる
そんな場面を
この目で見て感じられたこと。

そして子どもたちはとっても
楽しそうにみてくれていてね。

ぷらす

2人の子どもたちと
絵の前で話している姿を
ふと目にして
思わずシャッター切ったんだけど、
そこにいたのは
大人の美沙と子どもたち…
なんかじゃなく
ちょうど3、4年生ごろの
あの小さな美沙と友達、
という姿で
秘密基地で
楽しそうにコソコソ話してる
そんな絵で。

あの頃
みんなに追いつくように
なんとかしなきゃと
鬼になって
あれこれやらせていた
私が見過ごしたと思っていた
そんなかわいかった美沙を
ふと思い出してた。

ああ、そんな子どもだったよねぇって。

それが本当に
幸せな瞬間でした。

そこは成長しない
美沙が美沙である
そんな理由を
見た気がして。

親として
なんとかしなきゃと思う
そんな部分は
なんともできない
成長しても変わらない
そんな部分だったんだなぁ。

だからこそ。
今、目の前の
我が子の発達の成長に悩むお母さん。

どうかどうか
答えを焦って今出そうなんて
思わなくていいよ。

15年経って
こんな答え。
それも
全く想像すらしなかった
遥か斜め上をいく
そんな成長をこどもはするからね。

不安なら
いつでも話聞くよー!
うんうん。
わかるよ。
そうだよねって。

一緒にそんな成長を
見たいなって思うのです。

我が子の学校で大事にすること。

目の前の見えるものじゃなく
親として自分が見ているものじゃなく
子どもが見ているものを。

そこに枠なんてなくて。

そんな枠があるなら
それは子どもが見せているんじゃなく
自分が勝手に見てる枠よ。

ま、そんな枠を楽しむもありだけど。

ええ私、存分に楽しんじゃったから。

でも、美沙と神原先生だから
できた授業なのかな。

まさかこんな授業が
みられるなんて。

母は感激であります。


と、1年前にはこんなこと思っていたんだな。

改めて思うのはね。

親であるあなたが見ている
「あり得ない」は
誰かにとっては
「あり得る」ものです。

そして、あなたが見てる
「あり得る」は
誰かにとっては
「あり得ない」ものです。

そこに価値をつけるのも
全くないものにするのも
誰でもなく自分自身ってこと、なんだよ。

発達障害という視点を変える。

そこ、私は目指したいのです。

今日もありがとうございました。

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