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JSUブッククラブ 魂の変容

 本日は、第11章「魂の変容」を拝読しました。内容は「自分の魂を認識する」「魂の叫び」「結果を委ねる」「罪のあるままでは魂は安らげない」「主の教えは完全で魂を生き返らせる」「神が私達の魂を回復される」「律法嫌い・無律法主義のキリスト教?」「霊的形成への影響」「律法と恵みは両立する」「内側で結び付く律法と魂」です。

自分の魂と向き合う

 魂は本来、宗教の重要な概念だが、現在の欧米キリスト教会では魂が軽視。その結果、カルトや他団体に人材が流失。魂を軽視する現世の傾向に、宗教も悪影響を受ける。魂を語る言葉を私達が失ったのは、霊的形成の深刻な問題。魂の養いケアは、教会の大切な仕事。ビジネスでも「魂」という言葉が乱用されているが、その魂は神の元に置く必要あり。

魂の叫び

 まず何よりも、神にあって魂を休ませる平安が必要。

結果を委ねる

 キリストと共にあり、結果はお任せする。恵まれている者は、高ぶらない。魂の平安を得るには、結果に拘らない謙遜が必要。神のうちに安らぎ、全てのストレスから解放される。

罪のあるままでは魂は安らげない

 自力だけで生きようとする不従順なプライドは、神から私達を遠ざけてしまう。宇宙の支配者でない以上、求不得苦は当然と自覚する。情欲は、自分の意志を神より上に置く偶像礼拝。神の律法が必要。

主の教えは完全で魂を生き返らせる

 イスラエルに与えられた『聖書』は、全ての人間を救う律法。神の恩寵を大前提とした上で、律法に従う努力。律法と自己については「詩篇」第五巻119編を良く参照。

神が私達の魂を回復される

 聖書も歴史も、神との個人的な関係を求めている。律法は、人間の努力が不充分である前提に基づく。神の臨在と恵みによる、魂の回復。

律法嫌い・無律法主義のキリスト教?

 キリスト教会の一部で、律法・道徳律を「救いには無関係・不要」と否定する立場が見られる。過去、極端なカルバン主義(救済決定論)などに。

霊的形成への影響

 道徳律の否定は、教会員の離婚だけでなく、経済犯罪や殺人の正当化に繋がってしまう恐れ。

律法と恵みは両立する

 内側から変えられた人格により、律法に従う。寛大な人間関係にも秩序が、命にも道徳律が必要。「私を愛する人は、私の言葉を守る人」である。

内側で結び付く律法と魂

 律法を無視した不法は、恵みとは言えない。

 魂が作り変えられるために必要なのは、魂について知る、結果を神に委ねる、謙遜を学ぶ態度です。そして、律法が神国の枠組みと考えられています。最後に「詩篇」第一巻1編のような生き方が現実的に可能か問われました。主神の御霊が共にあれば、自力では守れぬ法に従った生き方を実現できるでしょう。

 今夕は、星槎天文部や法話・唱題行会も予定されています。ありがとう御座いました。



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