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JSUブッククラブ 失われているという事

 本日は、約20名の方々と共に第3章「堕落した魂の根本悪」後半部を拝読しました。

官能が全ての中心に

 神を求めない者達は、身体への性的・暴力的な快楽が中心になってしまっている。人間に感覚は不可欠だが、そこに神がおられなければ、求めるのは快楽だけになる。しかし、欲望は無限なので、官能を満足させるのは不可能である。

今なお真実な事

 自らを神の代用品として崇めるのは、人心の根源的な悪であり、人間社会の没落に繋がる。真の繁栄は、神の智慧に基づく慣習にある。

失われているという事

 堕落した魂とは、地獄ゲヘナへの道に迷い込んでいる、失われた魂である。道路でも人生でも、迷っている人は、その事を自覚せず、気付くのは遅い。人生の迷いは、自力だけでは軌道修正できないものである。

失われたとは自己執着の事

 自身を神と思い込んでいる者は、感覚や食欲の奴隷になり「欲しい時に欲しい物が欲しい」になっている。善悪の問題が、新しい価値基準に揺るがされている。それは、身勝手な理由での妊娠中絶などに現れている。

地獄

 失われた人とは、自己崇拝に陥り、神を受容できない人である。彼らは、自ら地獄への道を選んでしまっており、手遅れになるまで後戻りできない状態にある。その先には、暗闇しか居場所が無い事に気付く。

プライドを傷付ける

 もし、生死に関わる重病を患っている人が居たら、その事を指摘し、治療を提案するのは、侮辱ではなく必要な事である。同様に、魂の堕落、永遠の喪失に向かっている人が居るなら、指摘すべきである。「あなたは、失われている人ですか?」と。

悪に立ち向かえない

 悪は存在しないと考えたり、曖昧な態度を取る人が増えている。悪に対処できない、これが最大の問題である。神を避け、神から逃れようとした人が天国を逃すのであり、結局は自ら地獄に向かっている。

深い悔恨の必要性

 純粋な自己批判は、その人に対する深い洞察を伴っている。しかし、現在のキリスト教徒の悔恨は、自分が傷付いた体験を述べているだけで、中身が伴っておらず、自己の根本悪への気付きが欠けている。

  1. 神から離れてた人間は、具体的にどう堕落しているか?

  2. この堕落が、なぜ霊的形成の結果なのか?

  3. 有識者によって、悪はどう見なされているか?

  4. キリストによる霊的形成を、自尊心から見出すには?

  5. 一般社会や、個々の教会における霊的堕落について。

  6. 人間の堕落について、パウロの予言。

  7. 自尊心(自分を神とする事)による堕落の基盤について。

  8. 人間の堕落において、なぜ官能性が大きな役割を?

  9. 終末における倫理的堕落を、パウロの例示に基づいて考える。

 本日は、読書プラン「イスラエルのために祈る」も読み終えました。ありがとう御座いました。

amen


 7月28日(日曜)に、遠江とおとうみ(静岡県)浜松市またはオンラインで「真の幸せ そのための方法」という学習会が開催されます。


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