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今日は死ぬのにいい日だ 最期の時をどのようにむかえるか


今日は死ぬのにとてもいい日だ

生きているものすべてが、
わたしと調和している

すべての声が、
わたしと歌をうたっている

すべての美が、
わたしの目の中で休もうとして来る

すべての悪い考えは、立ち去っていった

今日は死ぬのにとてもいい日だ

わたしの大地は、
わたしを穏やかに取り囲んでいる

畑には、最後の鍬を入れてしまった

わたしの家は、笑い声に満ちている

家に子供たちが帰ってきた

うん。今日は死ぬのにとてもいい日だ

(インディアンと生活する
   ナンシー・ウッドの詩より)

もう随分と昔に読んだ
ネィティブアメリカンの特集の雑誌で
見つけた言葉だったが、
最近になってやけにこの言葉が
頭の中に出て来るようになった

娘が家を出て結婚し
息子も就職が決まり
私も定年までのカウントダウンが始まり
妻も元気に日々を楽しんでいる

心配することもなくなった
みんなそれぞれが自分の人生を考え
歩きだしている

今 仮に 人生の終わりがきても
それはそれで
それほどの悔いもなく
静かに目を閉じて眠りにつけるような
そんな気がする

先日テレビで
安楽死のドキュメントを見た
末期の病で苦しむ女性が
スイスに行って自ら命の終わりを選択
する話だった
自分の終わりは
自分で決めたいと思うけど
現実はそんな簡単な事ではない

いのちを全うする
それは
とても残酷で苦しく悲しい姿の一面が
あるということを実際に目の当たりに
して知っている


アメリカインディアンは、
死ぬと魂が別の世界に行くと
信じているという

生と死は、まるで季節の変わり目のように繋がっている
そして自然の一部である存在と認識し
自然のサイクルの中に還っていくと
考えている
だから
彼らは死を大げさに恐れたりしない

死ぬのにいい日だ

いつまでこの気持ちを
持ち続けていけるかわからないけど
こんな想いを抱えて
最期を迎えたい


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