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心理機能Teが主機能であることのデメリット

主機能にTeを持つタイプは、ENTJとESTJの2つだ。両方ともに劣勢機能にはFiを持つ。
ESTJの私は、上から順にTe、Si、Ne、Fiを心理機能に持っている。


Teが主機能であることってすごく生きやすいなーと思う。

学校では先生にはわりと気に入られて来た方だと思う。
Teが強く働くから先生の忠告やルールを守ることが得意だし、ESTJの私はさらにSiを補助機能に持ち合わせるために、データを取り込む能力がそこそこ高く、成績も常に優秀だった。
これはもちろん自慢だが、中学校は1学年300人以上の中で学年1位を取ったこともある。たしかその時は5科目490点以上取ったはずだ。

余談だが私は勉強が好きなわけではない。「苦じゃない」というのが適当である。おそらくNT型の人たちの方が興味を持って取り組めるだろう。ST型の私はただデータを取り込んでアウトプットしているに過ぎず、それらの勉強のひとつひとつの意味などはほとんど考えていない。成績がよければどうやら将来的に役に立つらしいということだけを鵜呑みに、それ以外は深く考えずAIのようにインプットしているだけである。それで社会に出た時に有利に働くのだから、この世はなんて単純なんだろうと思うばかりである。

一方、友人関係にはかなり苦労した。
学生時代にはいつメンがいないことほど、はみ出し者になることはない。体育のペア組み、遠足のグループづくり、そのほかすべての休み時間の過ごし方に影響する。
世の中にはどうやらFの人間の方が多いらしい、ということを私は早期に悟っていた。女性社会だとなおさらである。非常に苦労したと言える。
Fi劣勢の私にとって、人の気持ちに共感してやるというのは非常に難解である。もっと言うと、苦痛ですらあることがあるのだ。自分が思ってもいないことを、たとえ相槌でもYESとは言えない。

しかし対友人が重要視されるのは学生時代だけである。社会に出れば学生時代以上にTeが使いやすいということを身を持って知ることになる。

社会では、結果を出すことや効率よく行うこと、秩序やルールに則って物事を遂行することが良しとされている。たとえ感情で物を言われても、客観性のある証拠と根拠があれば論破してしかるべき世界であり、それが正しいこととして評価される。ESTJの私にとって、なんてありがたい世界なのだろう。
正解の見出せない他人への共感や口先だけの優しさというような、いや、私からすれば優しさかどうかすらもわからないものを、いちいち細かく気にする必要はないのだから。

なぜか、人によっては非常に難しいことであるらしい。学生時代にFを重点的に活用してきた人たちにとっては確かにしっくりこないだろう。
しかし私にとっては、これまで正反対の世界で生きて来た苦悩から解放されために非常に生きやすい。それに、これまで長い間その苦悩に耐えて来た分、またそれが若い時だったために、ある程度それらへの学習もしているし、全体的に社会における苦労への耐性があるとも言える。
子どもは時に大人より残酷で、当時は辛いこともたくさんあったが、今思えば苦労したのが若い頃でよかったと思うものだ。逆はもっと大変なんだろう。だからと言って、かつて私にとんでもないことをしてきた人たちを簡単に許せるわけでもないが。

さて、今回のテーマとしたTeが主機能であることのデメリットについてだが、ひとことでいうと「自分の感情に気が付かない」ということである。どちらかと言うとTeがどうこうというよりは、Fiが劣勢であるために起こる問題であると言えるかもしれない。

夫との共通の後輩がうちに遊びに来たことがある。夜遅くなっても彼女は帰らず、明日は朝イチで用事があるから今夜は寝ないとかなんとか言って、結局朝までうちにいた。夫は日付が変わる頃に寝てしまったが、私は彼女の話に朝まで一睡もせずに付き合った、ということがある。

後輩を始発で送り出し、そしてその1時間後くらいに夫が起きてきた。私が朝まで一睡もしていないということを聞くと、なぜ眠くならないのかと私に問うた。

私にはあまり質問の意味がわからなかった。
身体的にはねむいに決まってるからだ。

私は後輩が話をまだまだしたいようだから話に付き合ったに過ぎず、それを別に迷惑だとも思っていない。
(もちろん帰ってくれたら嬉しかったけど)
私に求めているものがあるということだけで言うとそれは心地が良いことだし、その期待に応えることは何一つ苦痛ではない。
だから、自分の感情ひとつで、ただ眠いから寝るという発想はまったく出てこないのだ。

後輩はどうやらその一夜のことがとても嬉しかったらしい。そこから頻繁にうちに来るようになった。(徹夜はあれからしていないが)
ちなみにその後輩はINFPである。


以前、「Tが感情的になるとコントロールできなくなってパニックになる」というようなことを書いたことがある。

パニックというほどではないが、あきらかに自分の感情をコントロールできていないということを自覚した出来事が私にはいくつかある。

そのうちのひとつは母親の死である。
私の母は、交通事故である日突然亡くなった。

そんなことがあっても私は私がどんな気持ちなのかわからないのだから、F型の人たちからすれば本当に意味がわからないだろう。
自分の心が悲しいかどうかよりも、事故に遭った瞬間ってどんな感じなんだろうとかを真っ先に考えたりするのだから、人の気持ちがないのかと思われても仕方がない。
他に考えることは、これまでの母親の私に対しての振る舞いがどうだったかを思い起こして、そのひとつひとつで私に対してどんな気持ちを抱いていたのだろうとか、そんなところである。

これらのことから客観的に自分を見るときに、私はFiが働かないのではなく、Fiが働かないように他機能が守っているのではないかと思う。

もちろん人の心は持ち合わせているし、それを感じないわけではないはずだが、それらが発動してしまうことへの耐性があまりにもないのではないかと。何があったからこうなったのかはわからないが、Fiは確かに私の心の中で動こうとしているのに、TeやSiがそれを阻止していることによって、私という人間が正常に保てているのではないだろうか。


そして、このFiが働かないことによるわかりやすい1番大きなデメリットは恋愛だろう。

ほとんどの人は誰かを好きになるのには心が動かされて好きになるのではないだろうか。
理屈で好きになることと、「愛」や「思いやり」はあまりにもマッチしないからだ。
その場合は「利」「快」「Win-Win」みたいな感じが近いだろうか。

後者のような形での恋愛を否定するわけではないが、それではFiはいつまでも封印されたままになるだろう。それで本当にいいのか、と心の奥からかすかにFiからの叫びが聞こえるようである。

「あなたはどう思うの?」という質問ほど、Fi劣勢が困る質問はない。それを聞かれてこたえる答えは、自分の気持ちとかそういうものではなく、社会的な正解や多勢が求めているだろうものをあたかも自分の本心かのように話すものだ。
自分がどう思うかを考える訓練があまりにもなされていないからだ。




Teが主機能であること、それは社会的にはとても生きやすいと思う。出世もしやすいし、だから給料が高い人も多いだろう。
しかし、劣勢のFiが働こうとするのを抑えてしまうことは、デメリットでもあるのではないだろうか。
特に大人になると、これまで以上に自分の人生を考える機会が増える。大きくは結婚、出産、子育てなどだ。そのたびにFiが働かないことで自分を大切にできないことがあるのかもしれない。

自分の素直な気持ちに気がつけるようになることで、さらに人としての成長ができるようになりたい。

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