当たり前なんて、存在しないと思っていていい~沢山の普通が交じり合う「普通じゃない世界」~
こんにちは。
栃木県でライフコーチをしている、けーじろです。
「当たり前」とか「常識」
そんな言葉が日常的に飛び交うこと。身近にもあると思う。
決め事とかルールって、大切なこと。誰もが好き勝手にやっていては、秩序が保たれないこともあるし、誰かを傷つけしない為にイベントの運営や、会社の秩序を保つためなど。規制という意味でのルールは沢山ある。
でも、物事に絶対なんてものはないし、常識なんてものは時代や取り巻く環境によって変わっていく。なのに、明らかに変だよな?って思うことでも、「もしかしたら自分が常識外れなのかな?」と思ってその想いを押し殺すのか。
僕の学生時代は、上下関係は厳しくて、2~3歳上の先輩たちは絶対みたいなところがあったし、平気で先生にぶたれたこともあった。先生を批判しているわけではなく、そういうものだったという、ある意味では暗黙のルールのようなものが存在していた。
今じゃ想像できないかもしれないけど、当時はそんな過剰だと思うような教育(あえてそう言う)が、普通だった。でも、今考えれば「それやりすぎじゃない?」って思う人はまぁまぁの数でいたと思う。なのに言えない雰囲気や、力加減であえて言わない選択をしていた人もいた。
こんな話も、大人になって今振り返ると「変だったよなぁ」ってことはいくらでも出てくる。久しぶりに会う昔の友人の会話は話が弾むし、その瞬間は学生に戻った気分になる。でも、昔の常識が今じゃ非常識なことは沢山ある。
僕が育った小学校では、基本的に4年生になったら部活に入ることになっていた。今でも覚えているんだけど、ホントは何にも入りたくなかった。ちょうどJリーグの影響でサッカーがブームになり、スラムダンクからバスケが人気で、野球はその次くらいの人気。
だいたい男の子は、3つのうちどれかに入部するという流れになっていた。僕はこの中だったらサッカーかなぁと思っていたんだけど、おばあちゃんに強く反対されたんだ。「サッカーは危ない、頭をケガする」。そう言われた。
これ、言われてどう?いくらでも疑問が出てこない?
でも、超が付くほどの祖父母っ子だった僕は、多少説得に走ったけど割とあっさりサッカーを諦めてバスケ部に入った。(バスケなら頭は安心ね!なんて言われていない)
このフワッとした状態でモチベーションが保てるか……。いや無理。
メキメキ練習に打ち込む同級生を見ては、「何かが違う」くらいの違和感を覚えていた。でも、そのことを言語化して説明できるほどではなく、辞めたいと親に何度も言うものの、「決めたことは続けなさい」と言われた。親からしても、理由がなく諦めると諦め癖が付いてしまうと思ったのかもしれない。
結果的には、バスケ部を辞めて野球部に入部したんだけど、そこから上手く適応出来たか?いや、ここでもずっと疑問をもっていたし、何度も言うが自分でも可愛いくらいに内気だった。ここでイジメに合うことになる。
一向に上達しないし、既に部内でグループが出来ているところに入ったことで上手く適応することが出来なかった。そんな中、体に不思議な傷を作って帰ってきたり、帰宅途中に何人分かのランドセルを持たされている孫を見たおじいちゃん(だったと思う)が、怒って同級生に怒鳴りつけた。
そこから何となくイジメは無くなっていったけど、僕が野球にのめり込んだのはあまりなかった。同級生や野球が理由ではなかった。
部活に入ることだったり、適用するために作られたルールに疑問を持っていたから、何をしても違和感があって挑戦することに一種のトラウマが生まれていた。どんどんダメになっていった。
そんな僕でも、何かが違うということを感じていたけど、とにかく気持ちの言語化が出来ずに疑問ばかりが増えていった。疑問と言えればいいけど、「何かしっくりこない」自分の心にモヤついて過ごしていた。
そんな風に育ったことがあってか、自分の子供には主体性を持たせたいと思っている。ルールがあった方が協調性が生まれることはある。ルールがあることに否定をしているわけではなく、疑問を持ったら無かったことにしないで、その心に向き合ってほしいんだ。もし、子供が途中で投げ出したいと言うなら、その想いに向き合って言語化に協力する。それが親の役割だと思っている。
そこを「ルールだから」とか「当たり前」で済ませようとすると、違和感は積み重なってルールを破る人はダメな人だと思い込んでしまう。
当たり前とか常識って、人の思考を停止させる危険性があると思っているし、常に疑問は持っていいんだ。時々子供からの「何で?」「何で?」の質問攻めに疲弊することがある。ついつい「そういうもの」と言ってしまうが、どういうものだと言うんだ。言っている自分にハッとして気づく。
常識なんてものはきっと存在しないし、こっちの常識はあっちでは非常識。あちらこちらでルールや常識が存在するけど、「当たり前」という前提に隠れてあなたの想いを無かったことにするのは健全なことか。
ルールが当たり前になっているのは、それが習慣化されているから。でも、違和感や疑問も持っても、無かったことにしてしまうことを「普通」にしなくてもいい。
普通こうだろとか、これが常識だというような口論に付き合う必要はない。
当たり前なんてそもそも存在しない。
あなたは今、モヤついた心に向き合えていますか?
その疑問に、納得出来ていますか?
もし我慢して過ごしているなら、普通なんて存在しないあなたが主体の対話をしてほしいと思うんです。
それが僕なら嬉しいし、もう我慢を止めて自分に向き合ってみませんか。
そろそろ、息苦しいがんじがらめなルールから、その心。
開放していかない?
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