見出し画像

学校で「社会性」は身につくのか


世界中のあちこちで、家庭でのオンライン授業が始まりました。
しかし、脱落してしまう人も出ているようです。また、幼児や低学年などでは、家庭でのサポートが難しいという声も出てます。

「教育ってそもそも何なのか」が問われているんじゃないだろうか。

ホームスクールが抱える二つの問題

二つの問題があります。

一つは「社会性をどう保つか」という問題。
もうもう一つは、「学習のモチベーションが保てない」という問題。

私も子供が「学校を辞めたい」と言い出したとき、同じことを悩みました。

ホームスクールに行って3年経って思うことは、学校にも、向き・不向きがあるってことです。

学校に行っても、引きこもって社会と関われない方もいますし、対人恐怖が悪化する人もいる。

一方、学校に行ってなくても、社会性のある人はいます。
「孤独なゲーム」として知られる数学者ですが、数学者や科学者には独学者が多く、学校に行っていないことが多い。

「家から一歩も出ない」子供時代を送った少年は、どうなったか

全く学校に行かなかったポール・エルデシュという数学者がいます。

彼のお母さんは、娘をしょうこう熱で亡くし、心配のあまりポールを学校に行かせなかったのです。家からも出さず、ポールには友達がいなかったそうです。しかも親は忙しく、あまり面倒も見れなかったらしい。

エルデシュは子供時代を振り返り、「数学が私の親友だった」と語った。両親ともに数学の教師だったので、エルデシュはほとんどの時間を家でたった1人、数学の本に囲まれて過ごし、やがて神童としてみるみる頭角を現した。(「残酷すぎる成功法則」エリック・パーカー、橘玲(監修)、竹中てる実 (翻訳) )

このエルデシュ、21歳で数学の博士号を取得し、毎日19時間を数学に費やします。

彼は変人でありながら、数学者のネットワークを作った人として知られています。ほとんど一人で育ったのに、社交的な人だったのです。

彼は仲間との共同研究を好んだ。生涯のほとんどを、旅行かばん1つで25カ国を巡りながら、実に500人を超える世界中の数学者とともに研究に励んだ。あまりに多くの数学者と仕事をしたので、すべての共同研究者を覚えていないほどだった。
(「残酷すぎる成功法則」エリック・パーカー、橘玲(監修)、竹中てる実 (翻訳) )

学校に行かないから、社交性が育たない、とも言い切れないのでは? と思います。

学習好きが「独学」するのはなぜなのか

なぜ多くの数学者たちが独学するのか。
彼らに共通するのは、そもそも「学びたい」というモチベーションの高さです。

多分、こういう人たちって生まれながらの学者なんじゃないかな。
小さい頃から、大人を「なんで、なんで」と質問責めにするようなお子さんには、このタイプの人、いるんじゃないかな。
純粋にいろんなことを知りたいのでは。

そして深い「学び」を求めていくと、学校の授業は物足りない。
だから学校から脱落してしまい、自習するしかなくなるんじゃないでしょうか。
学校で、「古い常識」を押し付けられるのに、耐えられない人もいるようです。こちらは野口悠紀雄先生の書籍です。

ライプニッツは、次のように言っている。「独学のおかげで、空虚でどのみち忘れてしまうような、また根拠ではなく教師の栄誉を意味するような事柄から免れ、どの学問でも熱心に諸原理に到るまで探求することができた」。

シュリーマンが伝説を信じてトロイアの発掘を行ったのも、彼が素人学者だったからだろう。専門の考古学者であれば、「トロイアはおとぎ話」と考えているから、発掘になど出かけないに違いない。

アイザック・アシモフの生産性の秘密

生まれながらの数学者を、無理やり学校に押し込めてもうまく行かないでしょう。

同様に、作家にも内向的な人が多く、一人静かに創作するのが好き、という人が向いているかもしれません。作家の多くは、1日の大半、パソコンに向かってキーボードを打ってるのです。

SF小説をたくさん残したアイザック・アシモフは、「独学こそが唯一の教育である、私はそう強く信じている(Self-education is, I firmly believe, the only kind of education there is)」と言っていますね。

私は、独創性を養うのには孤独が必要だと考えます。独創的な人間はどのような場合でも、孤独の中にいます。そして、心の中では意識せずとも、常に情報をかき回しています。(有名な例をあげると、ケクレはベンゼン環の構造を夢の中で解き明かしたとのこと)。他者の存在はそうした思考プロセスの邪魔となりえるので、物事を創造するというのは非常に厄介なことなのです。すべての新しいアイデアの影には、何千、何万という他者に見せようとも思わないくだらない発想が潜んでいるのです。
https://www.lifehacker.jp/2014/11/141108idea.html

千葉敦子さんもアイザック・アシモフがパーティーに興味がなく、純粋に「書くことが好き」だったと紹介されていました。

いろんなタイプの人間がいるのだと理解する

単純に向き・不向きの話なのかなって私は思います。

一方で、学校で仲間とワイワイ学ぶのが大好き、って人もいます。その人たちが学校に求めているのは、実は「勉強以外の友達とのつながり」「仲間からの刺激」だったりするかもしれません。

生まれながらに社交が大好きな人は、家での自習が苦痛なのではないだろうか。与えられた課題には退屈してしまい、むしろ会社員やチームで何かをすることに向いているのかもしれません。

そして、社会は「静かに研究に没頭する人」と「実際の技術に落とし込む人」「その技術を社会に広める人」「上手に販売する人」などいて成り立っている。

だから、どっちが優れてるかって議論には意味がないのではないかな。親は子供が内向的であることを必要以上に心配しなくていいと思う。

最終的に、社会に能力を役立てた時点で、社交的だろうが内向的だろうがどっちでもよく、両者とも十分に「社会的」ではないかなって思います。

それではまた。

ここから先は

0字

世界から学びたい人へ。日本でも役立つ教育・語学・社会の最新情報をお届けします。掲示板で他のメンバーと…

世界から学ぶ メンバーシップ

¥1,200 / 月

これまで数百件を超えるサポート、ありがとうございました。今は500円のマガジンの定期購読者が750人を超えました。お気持ちだけで嬉しいです。文章を読んで元気になっていただければ。