「感情労働」はなぜ危険なのか
こんにちは。
Twitterでこんな映像が流れてきて、笑ってしまいました。
マレーシアの接客ってホントこんな感じです。
「プラスチック?」
「メンバーカード?」
ママックと呼ばれる安いインド系食堂はもっとすごい。
「ロティ・チャナイありますか?」
「ない」
「じゃトーセイ?」
「ない。ブリヤニはどうだ? うまいぞ!」
「わかりました。じゃブリヤニ1つお願いします」
こういうのが普通です。
店員さんは素っ気ないです。さらに店員さんにを「ボス」と呼ぶお客さんがいます。この動画はマレー語ですが、ほんとにこんな店員さんいます。
「ボス! テー・タリを一つください」オンリー・イン・マレーシア
日本から来ると、愛想のなさに眉を潜める人も多いのですが、私はこういうのを見るとホッとして嬉しくなってしまう。
笑顔がないのに、なぜホッとするのか?
なぜこういうのを見てホッとするのか、ずっと不思議だったのです。「感情労働をしている人を見なくて済むから」ってことに最近ようやく気がつきました。
「感情労働」とは2018年ごろに話題になった新しい概念です。
「感情労働」とは、たとえば、笑いたくないのに、笑顔を見せなければならない、など、自分が本来抱く感情とは別の感情を表出させなければならない労働を意味する。「感情労働」に従事する職種としては、客室乗務員やホテルの従業員などのサービス業が典型だが、いわゆる「おもてなし業」以外でも、看護師、介護士、コールセンターのオペレーター、苦情処理係、銀行員、医師など、どんどんとその職種は広がっている。
感情労働に従事する人は、客のどんな非常識なクレームや嫌がらせに対しても、自分の感情を押し殺し、礼儀正しく振る舞うことが要求される。こうした感情の抑圧や忍耐が知らず知らずのうちに、ストレスの原因となっていることがあるということだ。
日本は、この「感情労働」が多いと筆者は指摘します。他国だと、感情労働にならない公務員や教員、銀行員すらが含まれてしまう。
銀行に行っても、やたら丁寧に頭を下げられたり、カウンターの中にいる行員たちが一斉に、「ありがとうございました」などと声をそろえる姿に、海外のそっけないサービスに慣れている筆者は「そこまでしてくれなくてもいいのに」と恐縮してしまう。
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