言葉が思考を決定する? それともしない? あなたはどっち派でしょうか
言語が人に与える影響について、こんな記事が話題でした。
イタリア語を話すと声やジェスチャーが大きくなり、なぜか気持ちが弾んで、いくぶんオーバーな表現になる。
そんなイタリアが肌に合わずドイツに行ったにもかかわらず、話すのはドイツ語よりイタリア語のほうが楽しかった。母音中心のイタリア語のもつ独特のリズム感と軽やかさが、構文が長く子音の多いドイツ語にはないからだ。
ドイツ語を話すときはすこし声が低くなった。日本語のときよりも落ち着いて発言し、断言することが多くなる。この落ち着いて発言するという背景には、重要な要素が文末に来るというドイツ語文法の特徴があるような気がする(これをドイツ人の誠実さと責任感の表れだと自画自賛しているドイツ人もいた)。
面白いですね。
外国語を学んでいる人の中には、「そうそう」と共感する方も多いのでは。
言語によって思考プロセスが変わるという仮説があるんです。子どもの哲学の教科書によると、「言語決定論(Linguistic determinism)」と呼ばれるそうです。
面白いなと思って「Linguistic determinism」のウィキペディアを見たら、日本語版が存在してなかったです。
日本人にはモノリンガルが多いので、言語決定論(Linguistic determinism)」支持者が少ないのかもしれませんね。これなんかも、「言語によって見える世界が違う」例になるかもしれません。
言語決定論の実際
長男の教科書では2つの考え方が説明されています(抄訳しました)。
一部の人々は、「言語は多くの点で異なるが、世界を体験する方法は非常に類似しているため、言語に関係なく、同じアイデアを伝達できるはずだ」と主張するかもしれません。一方、「言語決定論」は、「言語の違いは考え方だけでなく、文化の作られ方にも影響を与える」可能性があるとするものです。
Some people might argue that although languages differ from in many ways the ways in which humans experience the world are very similar and therefore we should expect to be able to commute convey similar ideas regardless of the language we use. Other claim that differences between languages not only influence the way that people think, but may also actually influence the way cultures are organized this is known as linguistic determinism.
「言語決定論」の例として、シンプルな二人称の例を紹介します。
英語話者にとって二人称は「you」のみ。だけど、フランス語話者には「vous」と「tu」がある。中国語になると、「ni」「nin」があるので、言語によって「相手」の捉え方が違うという訳です。
皆さんはどっち派でしょうか?
日本語の英訳がつまらなくなる訳
私も、言語によって思考が変わると考えます。
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