議論って「論破」が目的じゃないんだ、と子供に教えてもらっています
こんにちは。
Twitterなんかでは、まだまだ「論破!」みたいな議論を見かけます。
私も長いこと、
「相手をやっつけること」「どっちが正解か、白黒つけること」
が議論のゴールだと思っていました。
ところが、IBディプロマで学ぶ長男によれば、それは違うらしい。
それどころか、彼のクラスで議論が感情的になることは、ほとんどないそうです。
毎日、クラスメートたちと議論しているのに、です。
「僕たちが習っているのは、『いかにTwitterみたいにならないように』議論する手法なんだよね」
って言われて、ハタと気づいたんです。
私も長男と議論していて、「議論とは、理解を深めるためにするものなんだ」と感じつつあります。
まずは議論のテクニックを学ぶ
彼らの学校で最初に学ぶのは、「議論の前提」です。
何を「知っている」と定義するか?
知識とは何か?
そもそも自分は「実在」するのか?
哲学者たちが議論していることでもあります。
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