見出し画像

議論って「論破」が目的じゃないんだ、と子供に教えてもらっています

こんにちは。

Twitterなんかでは、まだまだ「論破!」みたいな議論を見かけます。

私も長いこと、

「相手をやっつけること」「どっちが正解か、白黒つけること」

が議論のゴールだと思っていました。

ところが、IBディプロマで学ぶ長男によれば、それは違うらしい。

それどころか、彼のクラスで議論が感情的になることは、ほとんどないそうです。
毎日、クラスメートたちと議論しているのに、です。

「僕たちが習っているのは、『いかにTwitterみたいにならないように』議論する手法なんだよね」
って言われて、ハタと気づいたんです。

私も長男と議論していて、「議論とは、理解を深めるためにするものなんだ」と感じつつあります。

まずは議論のテクニックを学ぶ

彼らの学校で最初に学ぶのは、「議論の前提」です。

何を「知っている」と定義するか?
知識とは何か?
そもそも自分は「実在」するのか?

哲学者たちが議論していることでもあります。

ここから先は

1,238字
この記事のみ ¥ 100
期間限定!PayPayで支払うと抽選でお得

これまで数百件を超えるサポート、ありがとうございました。今は500円のマガジンの定期購読者が750人を超えました。お気持ちだけで嬉しいです。文章を読んで元気になっていただければ。