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普通に生きている人は、障害者にはなりたくないはずです。目が見えなくなったり、足が動かなくなったりしたら、普通は嫌です。でも僕は障害者になりたかった。今回はそんなお話をしようと思います。猫と申します。よろしくお願いします。

僕が障害者になりたいと思っていたのは、高校生から大学1回生くらいの頃です。その頃僕は、健常者として生きていました。僕は健常者なので、周りのみんなと同じような高校・大学生活を送っていました。ただ、周りと同じように生活するには、ちょっと難しい事情がありました。それは、心と体が周りの人より少しだけ弱かったということです。

それは本当に「少しだけ」でした。それが原因で学校に通えなくなったり、保健室登校になったりするということはありませんでしたから。見学するほどではないけれど、体育の時間に体が動かないとか。休むほどではないけれど、朝学校に行くとき体が重いとか。出席はできるけど、しんどくて授業内容が入ってこないとか。たまに原因不明の熱を出したり、涙が止まらなくなって保健室に駆け込んだりことはありましたが、それだけ。学校にはきちんと通えていたし、成績もよかったし、学園祭運営の中心に立ったときも、なんとかやり遂げられたし、そんな感じで周りと同じような学校生活を送れていました。健常者なので、あたりまえのことです。

しかし、僕は辛かったのです。決して病院に行くほどでもない、ほんの少しだけのみんなとの違いが。どんなに辛くても、僕は健常者だから周りと同じようにやっていかなきゃいけない。無理をしてでも周りに合わせなきゃいけない。頼ってはいけない。僕は健常者だから。ああいっそ、何か大きな病気になって倒れられたらいいのに。そしたら合法的に休めるし、周りの人も助けてくれる。助けて欲しい。障害者がうらやましい。困っていたら周りが助けてくれるから。僕は障害者じゃないから、助けを求めることはできない。障害者になりたい……。

種明かしをしましょう。僕は大学2回生に上がる春に、双極性障害の診断を受けました。そしてその症状らしきものが、高校生の時にはすでに出ていたということも告げられました。言ってしまえばグレーゾーン。症状はあるが、それが軽いため受診に至らず、診断のついていない状態。そんな状態で僕は、周りと同じ基準の生活を送ることを余儀なくされていたわけです。

障害者になりたい。そんな感情を抱くことは、実はたいして珍しいことでもないのではないかと思います。とくに、いわゆるグレーゾーンにいる人々。診断がつくレベルの生きづらさを抱えていながら、受診に至っていない人。診断がつくものではないけれど、何かしら生きづらさを抱えている人。その生きづらさによる苦しみが、「障害者になりたい」という感情を生んでしまうことがあるというわけです。

障害者になりたい人の本当のゴールは、障害者になることではありません。その人の生きづらさからくる苦しみを解消することです。でもその人は障害者ではありませんから、いわゆる障害者支援によって解消することはできません。障害者でなくても支援が受けられる仕組みが必要になってきます。

そう考えると障害者と健常者という区別ってとても邪魔なように感じます。実際世の中の支援制度はある基準、例えば障害者手帳の有無によって区別され、支援を必要としているグレーゾーンの人がこぼれてしまうことがしばしばあります。それってなんだか理不尽です。

世の中の人間、みんなそれぞれ何かしらの生きづらさを抱えています。その一部が社会的に障害と呼ばれ、支援の対象となります。しかしそれ以外の人も、生きづらさに苦しみ、助けを求めているかもしれません。その全てを障害者支援がカバーすることは不可能だし、非合理的でしょう。でも拾えるものは拾うべきなのではないでしょうか。障害があるからサポートするのではなく、生きづらさがあるからサポートする。それが障害者支援のあるべき姿なのではないでしょうか。

ここでいう障害者支援というのはなにも、行政や民間の福祉サービスのことだけを言っているのではありません。個人でだって、誰かをサポートする場面はよくあります。その時に、相手が健常者だとか障害者だとか、事情があるとかないとか問わず、誰もが生きづらさを抱えていて、相手はそれに苦しんでいる、だからサポートする、という意識が大切なのだと思います。

そしてそのような環境が整えば、誰もが苦しいときに「助けて」と声を上げられるようになるのだと思います。それってとても生きやすい、すばらしい社会だと思いませんか。僕も「助けて」を口に出すことができていたら、あんなに苦しまずに、障害者になりたいなんてこと思わずにすんだのかもしれません。

なおこのゼミでも名前に「『障害』者」と入れながら、ゲスト講師が障害者かどうかをあまり意識していません。その人に何かしら生きづらさがあればそこにスポットを当てるようにしています。こうした取り組みの中で、僕がこの文章で述べたような意識が広まっていけば良いなと思っていたり……なんて締めのために考えた台詞に過ぎませんが、でも実際そうなればいいなと書きながら思いましたとさ。

2022.08.08

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