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京都工芸研究会ロング・インタビュー #003 大塚正洋さん(竹工芸)

京都工芸研究会では,ベテランの会員さんに工芸の仕事やこれまでのあゆみについてじっくりとお話を伺う「ロング・インタビュー」を連載しております。第三弾は,竹製品の製造・卸を専門として、伝統的な茶・華・書道具から竹製インテリア商品等、竹製品全般を取り扱う東洋竹工株式会社を訪問し,大塚正洋会長からお話を伺いました。
大塚さんは京都の竹工芸のキーパーソンとして、竹の名産地・向日町で東洋竹工株式会社を率いておられ、2015年から京都工芸研究会の委員長として会をまとめてくださっておられます。
  
編:東洋竹工株式会社は大塚会長で三代目とのことで…… 
 
大塚:そうです。ですから、子供の頃から常に生活の中に竹がありました。竹の端材を燃やして、おくどさんでご飯を炊いたり、五右衛門風呂のお湯を沸かす当番でした。もちろん「火吹き竹」も竹製ですよ。火力の調整が必要だったから、常に火の番をしなくてはいけなくて、しんどかったなぁ。「味噌摺り」も僕の役目で、もう今時はないけれど、豆の粒の残った味噌をすり鉢で摺る作業があったんです。それを毎日やらされるもんだから、今は味噌汁が嫌いです(笑)。
 
編:働き者のお子さんだったんですね。
 
大塚:いえいえ、いたずらっ子でしたよ。でも社交的というのか、どんな人とでも仲良く付き合える子供だったと思います。竹の葉や粉を積んだ中からカブトムシの幼虫を採ったりもしたなぁ。おかずやおやつはいつもタケノコ。茹でたタケノコが常に鍋の中にあってね。そこから取って、味付けもなしでポリポリ食べていた。タケノコばっかり食べてたからか、いつも顔に吹き出物があったよ(笑)。
 
編:まさに竹業界のサラブレッドな子供時代ですね!
 
大塚:(笑)そんなわけで、自然と家業を継ぐことになって、京都市産業技術研究所の「伝統工芸技術者研修」に通って、あらためて竹の勉強をしたんです。ですから産技研との付き合いもずいぶん長いなぁ。
※伝統工芸技術者研修……現在の「伝統産業技術後継者育成研修
 
編:家業を継ぐことに、葛藤というか、迷いはありましたか?
 
大塚:迷いはなかったね。景気も良い時代だったし、当時、竹を採るのは9月下旬から年内の間で、販売はそこから3ヶ月ほど。残りの期間はわりと時間があって。時期的に、農作業との(繁忙期・農閑期)相性が良い仕事でね。農家出身で竹屋になった人も多いよ。
そんなわけで、サラリーマンになるより家の仕事の方が時間は自由になるし、遊びにも出やすかった(笑)。
 
編:遊び、というと……
 
大塚:当時の若い男の遊びといえば「クルマ」か「女の子」って感じだったけど、僕はもっぱらクルマ。クルマのために仕事をするって人が多かった時代で。昭和40年頃、給料が36,000円くらいだったかな。その頃はホンダN360に乗ってたよ!鈴鹿サーキットや、昔は琵琶湖の近くにジムカーナのコースもあって、よく走りに行ったなぁ。オートバイはメグロに乗っててね。メグロはフットブレーキの位置が逆で……

愛車のスカイライン2000GTRとカローラ27レビンでダートを攻略していた頃

編:無類のクルマ好きなんですね!
 
大塚:そうそう、仕事の話だったか(笑)。僕が33歳の時に父が死んで、急に社長業を継ぐことになってね。
 
編:急に社長になられたということで、ご苦労はありましたか?
 
大塚:仕入れ先の目は厳しくなったと感じたね。きちんと支払ってくれるのか?って、信用調査もあったよ。僕もそこから簿記の勉強など大変だったけど、銀行の担当の人が付きっきりで教えてくれたり、父の友人が懇意にしてくれたり、上の世代に心強い味方が多かったから、やってこれた。
ものづくりでも「竹」というのは、いわゆる一般的な木材加工と違って刃物から特別に作らないといけないから、専用にハイス鋼を目立てしてもらったり、自分で作って自分で売るためには、身につけておくべきことが多いんだ。
 
編:新商品の開発も活発にされていますよね。
 
大塚:数十年前に「竹すべり」と言う商品を開発してね。襖などの敷居にはめ込んで滑りを良くする部品なんだけど、加工機械も揃えて、在庫も作って、準備万端に整えて意気揚々と発表したんだけど、10年間ほとんど売れなかったよ!

「竹すべり」のチラシ

編:10年間売れなかった?!
 
大塚:そう、10年間。今までにない商品というのは、売る前に「啓発」が必要だとわかって、勉強になったよ。住宅設備という業界への新規参入で、業界ならではの売り方の慣習もあって。売れるまでに時間はかかったけど、結果的に成功して良かった。失敗から学ぶことが大切だと思う。
 
編:今は厳しい時代だから、なかなかそうもいきませんよね。
 
大塚:生活環境の変化から、竹を使う量も減っているからね。床柱に使う図面角竹(ずめんかくちく)は、最盛期は年間10,000本出ていたけど、今は300本程度になってしまって。それでも、例えば居酒屋さんの内装では、竹を使えばメニュー単価が10%上げられるとも言われているし、竹は日本人にとって魅力的な素材だと感じられていると思う。現代では海外からも竹の魅力が注目されているんだよ。
 
編:竹業界の行く末は、どう思われていますか?
 
大塚:心配だね。生産の多くが中国に移ってしまっているから、再び国内で作ろうとすると、中国製の機械を買わなければいけない。日本で作れるはずなのに、もったいないよね。
竹(材料)は日本にいっぱいあるのに、輸入している状況になっている。だから竹林整備も進まずに、放置竹林が課題になっている。竹の出口(使い途)を作ることが打開策だろうね。竹のパウダーを家畜飼料にしたり、チップを活用したり、さまざまな方法が模索されているけれど、実はかなり以前から既に取り組まれていることなんだ。
嘆いてばかりいないで、もっと面白いことにもチャレンジしてるよ。以前に京大や京都市産技研と共同開発した、竹編組の電気自動車「バングー」は今でも大人気だよ!見た人がみんな驚いて目を丸くして、褒めてくれるのは嬉しいね。伝統芸能の「南京玉すだれ」も、現代では逆に新しいのかな?、ネット販売ではうちがシェアNo.1だと思うよ。

竹編組製電気自動車「Bamgoo(バングー)」

※「Bamgoo(バングー)」東洋竹工株式会社、京都市産業技術研究所、京大ベンチャー・ビジネス・ラボラトリーらと共同開発した、竹の編組の弾力性と工芸のレジリエンスを活かした電気自動車。軽車両ナンバープレートを取得し、公道走行も可能。

「南京玉すだれ」はネット販売シェアNo.1

編:ところで、数年前に社長を息子さんに譲られて、代替わりされましたよね?
 
大塚:毎日やきもきしているよ(笑)。社長を経験した者として、「自分で決める」というのは、しんどいことだし、心配だし、怖いことだよ。
でもね、会長に退いた時、あえて自ら「代表取締役」から「代表」の肩書きを外したんだ。代表が何人もいると、取引先もどっちについたら良いか迷うだろうし。あくまで代表は一人で良い。信じて任せることが最善だと思ってる。だから僕は「近頃の若い奴は」とは言わない。厳しい時代だからね。でも凹んでいる時は、次に花開く準備期間だとも思うよ。

編:ビジネスの上で、心がけていることはありますか?
 
大塚:商売は常にフェアでありたいと思ってる。だから権力にすり寄ったことはないし、値段で天秤にかけられたくはないから、相見積もりも嫌いなんだ。「くぐり合い」と言って、競合相手と単に値段を下げ合うのは、業界全体のためにならない。
分別なく片っ端から営業をかけることもしない。例えば、営業した先の「となり」には営業をかけないとか。どこのメーカーでもそうだと思うけど、信義則を大切にすることが信用に繋がると考えている。
 
編集後記
大塚さんは豪放磊落なお人柄で、面倒見の良い「親分肌」なので多くの人に慕われています。その背景には、社長になってからたくさんの方に助けられた恩があり、それを次の世代に返したいという誠実さを感じました。これからも、まだまだお世話になりますという気持ちで工房を後にしました。

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