折々の絵はがき(26)
国宝〈納涼図〉久隅守景 江戸時代 東京国立博物館蔵
「夕顔のさける軒端の下涼み男はててれ(襦袢)女はふたの物(腰巻)」。17世紀に活躍した狩野派の絵師 久隈守景が晩年に描いたといわれる国宝《納涼図》はこの和歌から着想を得たと考えられています。
簡素ながら夕顔の実がたわわに実る棚。筵に横たわる男はぼんやりと頬づえをついてなんとも気持ちよさそうです。かたわらには女と小さな子が寄り添い、常日頃から彼らがこうして仲睦まじく暮らしている様子がうかがえます。宵のうち、月はまだ低いところに浮かび、水気をたっぷり含んだ空気がその輪郭をぼんやりとにじませています。にこにこと同じ方を眺める三人の視線の先には何があるのでしょう。もしかすると遠くからひぐらしの鳴き声でも聞こえてきたのかもしれません。画面の広い余白はどこか自由な風の通り道を思わせます。時折り吹く夜風はわずかに秋の気配を含んで心地よく、棚の葉をかさかさと揺らしているでしょう。
守景は身内の不祥事で狩野派から離れたと言われています。この和歌が彼の心にいつの日か家族で過ごした光景を思い起こさせたのでしょうか。和歌にはない子の姿に答えのない問いが浮かびます。おだやかで満ち足りた、同じことを繰り返す日々が守景にもあったのかもしれません。もう戻らない遠い時間に思いを馳せて筆を運ぶひと時が、彼の心を満たしたのならいいなと思います。月と空、空と地面の境は溶け合うように曖昧で、遠い記憶をさまよう守景の心の内をのぞき見ているような気がしてきます。人生を終うとき、思い出すのは大切な人と過ごしたこんな光景なのかもしれません。月は空へゆっくりと昇っていきます。
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