便利堂ものづくりインタビュー 第11回
第11回:尾崎正樹 聞き手・社長室 前田
「次どうするか」をいつも考える
───尾崎さんは便利堂へ入られて何年になりますか?
「2002年だったからもう19年ですね。僕はもともと音楽をやっていて、京都へ来たのは9割方バンド活動のためでした。だから便利堂へ入ったのは本当にたまたまです。ハローワークで見た求人の「美術関係」「美術系の出版」「印刷助手」の言葉に惹かれて電話をかけました。美術は好きでしたがそれも教科書程度で、コロタイプどころか鳥獣戯画も知りませんでした。」
───初めて知る技術を、職人の方はどんな風に身につけていくんですか?
「他のところはわかりませんが、当時便利堂ではレクチャーがあるわけではありませんでした。まずはやらせてみる。だからみんな失敗して覚えていくんですよね。もちろん初めてですからやってはみたけど、それがいいかどうかがわかりません。最初のうちは自分の技術が低く、仕事の内容(期待される品質)が高いので出来るように必死で頑張るわけです。それが続けていくうちに技術も経験もついてきて五分五分とかになってくると、ふいにそれまで見聞きしてきたことがわかるようになるんです。そこまで3~4年はかかりますね。」
───時間をかけて目と手が育っていくんですね。
「僕はそうでした。まずは先輩たちが刷った「刷本」を目指して刷るんです。昔の品質に合わせられるようにそこまでは自分でできないといけない。誰も何も言わないんです。でも初心者ですからどうやっても出来ない時がどうしても来ます。そうすると先輩が「ここへ(インクを)入れなあかん」って教えてくれるんですけど、それは自分の手じゃないんですよ。人が判断した手なので、自分でやろうにも次の展開がわからないんです。よくそれで失敗しましたね。それは次への課題なんですね。ひとつ終わってもその繰り返しで「次をどうするか」っていうのはいつも考えていました。」
成功を積み重ねて「もっと技術を磨きたい」気持ちも一緒に育てていく
───尾崎さんは若いスタッフの指導にもあたられていますね。昔と変わったところはありますか?
「自分も含めて、ベテランの方々の経験に基づいたマニュアルを作りました。新人のスタッフがそれを読んで見よう見まねで仕事をしても同等のものができるように、細かな手順を書いたものです。そこにはベテランの人の失敗談も添えています。そうした経験の中で培われた作業も多いですし、なぜその作業が必要なのか、理由も書き添えてあります。」
───技術を伝えたい、理解してほしいという気持ちが伝わるマニュアルですね。
「最初の標準的な作法はそれで習得してもらいます。もちろんそれだけで仕事ができる訳ではありません。コロタイプは日々の環境に左右されるところも大きいですからマニュアルに載っていないところは現場で直に教えていきます。もともとコロタイプは10年やらないとできないと言われていました。昔は失敗して覚えるのが当たり前でしたし、今のベテランの人たちもたくさん失敗したから今があるわけです。でも、わかりやすく伝えることでより早く理解できるでしょうし、彼らの「知りたい気持ち」に応えることも大切ですよね。うまく出来ると誰だってうれしいし、もっともっととやる気にもなるでしょう。成功を積み重ねることがやる気を育んで、技術の向上につながればいいですよね。」
「仕事」になった美術
───美術がお好きだと伺いました。便利堂では文化財に出会う機会も多いですよね。
「今は純粋に美術が見られなくなっています。仕事になったんですね。何をみても「何色でできてるんやろ」と頭が勝手に分解し始めるんです。ちょうど風神雷神図屏風の複製を作っているとき「琳派展」へ原本が来たので見に行きました。でも、実物を見てもみなさんみたいにすごい!ってならなかったんですよ。全部が頭に残っているので「ああ、ここはこんな風になってるな」「この色か…」とかね。まるで答え合わせみたいな感じでした。」
───複製を作るときは原本を見ながら短時間で色や質感を見極めると聞きました。
「色見本でここはこの色…と合わせていきますが、そこからの設計が難しいんです。コロタイプは版画方式なので「色分かれ」と言って色を掛け合わせるんですよ。上の色と下地の色を合わせたらこの色になるという計算をしないといけないんです。仕事では常日頃から色の掛け合わせの訓練をしているようなものですね。色が出ても質感や調子を維持しながら出せるかとなるとまた違いますから…難しいですね。」
関わったひとたちと同じ熱量で
───緻密な計算と経験が必要なんですね。尾崎さんはこれまでにいくつも文化財の複製を作られています。印象に残っているものはありますか?
「そうですね、高松塚(古墳壁画)の時は本や文献を読みあさりました。複製を作る目的は「発見当時の色を再現する」ことでしたが、壁画が発見された1972年、僕はまだ生まれてなかったんです。結局、当時のことは当時の人にしかわからないんですよね。だから網干(善教)先生や有賀(祥隆)先生の研究記録などにも目を通しました。実は複製を作るにあたって僕が見せてもらった見本の色は黄色かったんです。石室の内部は漆喰なので本来は白いはずなんですが、なんで黄色で印刷されているのか最初はわかりませんでした。でも本を読むと、石室内部の湿度が高かったことや「(石室を)開けたときに黄色でものすごい極彩美だった…」というようなことが書かれているんですね。それは本や文献を読まなければわからなかったことで、そうした部分も印刷には込めています。」
───見たものを鵜呑みにしないということですよね。
「見たものを単純に刷ったらそれにしかならないんですけど、発見当時に携わった研究者や専門家の方々の書籍には実物を見た人にしかわからない光景が書かれています。書かれているならこちらもやらなあかんという気持ちになりました。とりわけ網干先生の書籍を読むと高松塚の未来を案じておられることがとても伝わってきました。複製を作るからには、発見に関わった方々と同じ熱量で作らないとあかんなって思いましたね。」
追求するのは極めて原本に近い複製
───複製には尾崎さんだけでなくたくさんの方の思いが込められているんですね。
「印刷物に意味を持たせることでより完成に近づくと思うんです。だから隠れてる部分に何が描かれているのかも全部調べて作ってあります。作ったうえで、もったいないですけど上から消してるんですよ。」
───それは実際の壁画がそのように作られていたからですか?
「そうなんです。X線とか赤外線でも当時の写真を撮ってあるんですよね。すると線が出てくるんですよ。墨で描かれたラインですね。それは実際見てもわからないですが、壁画を描いた人が描いた線なんです。でもX線に写っているからといってそれを前に出すと嘘になるので見えているところの痕跡は残して、最後のしみのような色で全部消して行ってるんです。」
───壁画が時間の経過とともに変化した様子を、複製でも辿ったんですね。「そうです。省いてもいい工程かもしれませんが、僕は時間が許す限りは追及した方がいいんじゃないかと思っています。文化財としてはもちろんですが、便利堂としても後世に伝えられる最高のものを作っておかないといけません。今はデジタルが主流の世の中ですけど、デジタルで作ったものが全てかというと違うと思うんですよ。原本を見ている以上は、ものの本質を見極めて、極めて原本に近い複製に仕上げるというのが基本です。」
───確かに高松塚の複製では失われたものがよみがえりました。便利堂写真工房は壁画発見の際、撮影をしていますね。
「そうですね。便利堂には当時の記録が残されています。だからでしょうね、明日香村の壁画修理所で実物を見学させていただいた際、持参した制作途中の西壁女子群像部分の複製刷本を修復担当の方がご覧になって、今まで気付かなかったことを発見されて大変驚いておられたことがありました。文化庁でもわからなかったものが便利堂の写真フィルムには写っています。今となっては確認できないものが40年前のフィルムには写っている。それは複製にもしっかりと残しています。」
何百年も前に描いた人のことを考える
───壁画を描いた人から発見した人まで、みなさんが喜んでいる気がします。複製を作るとき、それを描いた人の事は考えるんですか?
「僕は考えますね。でも何百年も経ってるものなんで描いた痕跡はありますが、消えているところも多くあります。もともと誰かが描いたものが何百年かして修復されて、塗り足されたものがある。だから修復のプロが見ても当初何色だったのかはわからないんですね。おそらくこの色だろうというものはものすごくきれいな色だったりします。そこを追い求めても仕方ないんですけど、考えることは大事なんじゃないですか。」
───印刷物に意味を持たせるとおっしゃった意味がよくわかります。
「高松塚古墳壁画が初めて人の目にさらされた、その光景ってすごかったんでしょうね。ものすごい大発見だったんだろうなって。美術に携わってる人からしたらあれを見られただけでもすごいことだから、その熱量がもう全然違うんですよ。僕はずいぶん後になって現地に行きましたが、石室が分解されて元に戻せない状態になっていました。発見された当時とは違い、カビと乾燥で当初の瑞々しさは失われていたんです。その美しさを知っている人からするとやっぱり比較してしまうんでしょうね。」
「見えないものを見られるように」コロタイプにできること
───それを聞くと文化財の複製にはいろんな意味があるんだなと思います。
「文化財の多くは結局のところ人が作ったものなんですよ。何かを題材にして作られていて、そこから何かを感じ取ってまた新しい形ができていくんです。人の手が生み出す工程は今も昔もあまり変わっていません。墨の線から描いて上から色を塗っていく。版画方式のコロタイプだとそれができますから、置き換えたとしても同じ工程で作ります。複製を作ることで、見られなかったものを目にできるようになることは、それを大切に思う人たちにとっては意味のあることです。だからどんなものも無意識に作ることはできません。ものの本質を見抜くこと、背景を感じ取って取り組むことはすごく大切だと思います。大切なものの重みを理解して取り組んだことは、わかってくれる方にはすごく伝わるんですよね。
大切な世界観を表現するための挑戦
───尾崎さんは文化財の複製に取り組む一方で、現代写真家のコロタイププリントの制作にも携わられています。最近では川内倫子さんのミニポートフォリオが発売されました。
「倫子さんの仕事はこれまでやったどの仕事とも違ったものになりました。彼女の作品は女性らしさがあって非常にやわらかいんです。コロタイプはどちらかというとコントラストがはっきりしているものに向いている性質があるので、倫子さんの世界観を表現できるよう試行錯誤しました。当初、単純にCMYKで分解して4色を重ねていくとできるかというとできなかったんです。コロタイプは版画方式なので墨から刷って上から色を重ねてというやり方をしているんですが、写真の表現ではそのやり方だと澄んだところ、例えば空とかに墨がかかって濁ってしまうんですね。だから最新の方式として墨を最後の方に入れています。」
───これまでとやり方を変えたということですか?
「そうなんです。以前、社長が海外から持ち帰ったコロタイプと同じように顔料を使う技法であるカーボンプリントの写真作品は、黄色と赤と青の3色だけで作られていて、必要があれば墨の線だけを入れるみたいな作り方をされていたんです。でもすごく立体的で、当時、これからはそうしたやり方を目指していこうという話をしました。コロタイプは最初の色の濃度で全部の色が決まります。でも最初の色に合わせて刷るとどうしても重厚な感じになってしまうんですよ。だから今回はやり方を変えて、墨は軽めに、必要な部分だけ色付けして発色を出せるようにしています。」
不透明なインクで表現する透明感
───倫子さんの作品ではやわらかさと透明感を感じました。
「コロタイプのインクはもともと写真用に作られたものではなく複製用に作られたので、顔料が強く、透明感がないんです。40色あるインクのほとんどが不透明なので、掛け合わせで色を出していけばいくほど色が沈んでいってしまいます。倫子さんの作品は白に近いのでコントラストを上げたらだめですし、でもコントラストがないと白さが引き立ちません。そこは難しかったですね。」
───やはり今回も倫子さんの書籍をお読みになったんですか。
「これはもう、彼女のことを知らないとできない作品でした。刷る前に彼女のインタビューは一通り読みましたし、ほかの作品も見ました。作品それぞれに意味がありますからね。今回のポートフォリオには、1998年の展覧会「うたたね」から写真集未発表の6点の写真が収録されています。彼女の作品には生と死というテーマが込められていて「うたたね」という言葉はそれに最も近かったのかなと思います。倫子さんの作品を見ていただくとわかるんですが、カメラには誰もがよく見る光景が収められています。どれも普段の自分が見てる景色とか、使ってるものに近い色なんですよ。その光景は倫子さんがテーマにされている「今の出来事は二度とない」という意味だと感じました。二度とない光景を写真におさめているのだと思います。」
きれいな色を表現したい
───確かにいつも見る景色でも二度と同じものは見られません。
「倫子さんの作品には空も出てきますから、毎日、仕事帰りの西日で色の変化を見ていました。西日は建物に近づくとオレンジなんですけど、それがどんどん赤くなっていって、空の青と混じった時に中間は紫っぽくなっています。上に行けばいくほど空に近づくので青いんです。そのグラデーションに意味があるんでしょうね。そこを墨で表現すると違う色になってしまうので3色でグラデーションを出して作りました。みんなが見ている夕焼けのように日が落ちていく様子を考えながら刷っていましたね。」
───それが反映されているからこんなに美しいんでしょうね。
「空は難しいですね。雲がなかったら空ってなにもないんですが、実は色んな色が混ざり合ってるでしょう? 例えば秋晴れの空の色は青を単体にしてもでません。スカッと晴れ渡った時のあの色は太陽があればこそなんです。僕はつい、何を見ても色のことを考えてしまうんですが、日中の太陽と西日では空の色が違います。青でも黄色と赤を含んでいるので、そのうえで透明感を出せるようにしないといけないんですよね。」
───混ざり合った色と透明感のどちらも必要…難しそうです。
「倫子さんの作品には水の表現もありました。浴槽に溜めた水は、質量だけでちょっと重たいようなグレーっぽさがあります。透明なんですがそんな感じがあって、水の量が多くなればなるほど黒くなっていくんです。空も水もガラスのような透明な光の反射があるんですけど、その質感を出すのが難しかったです。きれいな色を表現したい。それは自分の中にずっとありますね。」
自分の色の採取は自分にしかできない
───空を見ても、帰り道でも、常に色のことを考えていらっしゃるのがよくわかります。
「トレーニングとしては大事なんじゃないですかね。習慣になっているのかもしれません。「色の採取」っていうんですか? 自分の色の採取は自分にしかできないので、いつか使う時のために頭の中にストックしておくんですよ。なにか新しい作品に取り組む時に似たシチュエーションがきっとありますから。その時のためにいろんなものがどういう見え方になるのかをいつも考えています。」
───尾崎さんの頭の中をのぞいてみたいです。尾崎さんが思うコロタイプの魅力って何ですか?
「やっぱり人の手が入っているところじゃないですか? 写真家や版画家など作家さんには人の手が入っていることには意味があると考える方がたくさんいらっしゃいます。人の手が作ったものを、デジタルではないコロタイプで人が色を出して仕上げるというプロセス、そこに魅力を感じてくださる方は多いですね。僕たちもそんな風にこだわりを持つ方と一緒に仕事をしたい気持ちは常にあります。コロナで来日が難しい時にも、それが可能になるまで待つという方もいました。そういう風に思ってくださっている方はきっと手が生む仕事に魅力を感じてくださっているんでしょうね。」
便利堂の名刺代わりの一冊を
───うれしいことですね。これからやってみたいことを教えてください。
「そうですね。本かな。冊子の形の作品集を作りたいですね。便利堂では一点ずつものを作ることを数多くやってきましたが、コロタイプの持つ魅力をさらにたくさんの方に知ってもらうためにも、ある程度まとまったブックとして出せるようにしたいです。」
───それは素敵! ぜひ見てみたいです。
「純粋にコロタイプの作品集を作りたいんですよ。何かを知るきっかけが本ってこと、よくありませんか? コロタイプの面白さを知ってもらうためには一冊あってもいいんじゃないかなと思います。明治から昭和前半まではコロタイプでたくさん本を作っていました。もちろん、ある程度高価なものになりますが、それなりに気軽に手に取ってもらえる価格帯の作品集ができればきっと楽しいと思うんです。国内でも海外でもフェアなんかで見ていただくける、便利堂の名刺代わりになる一冊が作れたらいいですね。」
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