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魂の生き物

不定期マガジン「歩いて紡ぐ、日々・ことば」では、何気ない日常のなかでみつけた"忘れたくないもの"を切り取り、書き記していきます。

先日、4歳の息子が、これでもかというくらい吠えていた。

「いやだ~!」(何が嫌なのかは教えてくれない)
「これじゃない~!」
「お母さんあっちいって~」
「いかないで~!」(どっちやねん)

吠えて、吠えて、吠えて、
寄り添えば離れ、離れれば更に泣き
最後には吠え疲れて、スイッチが切れたように眠った。(夕方4時の話)

その様子を見ていた6歳の娘は、弟が眠ってから一言
「リザードンみたいやな」

そうだ。息子は心の中で暴れ回る魂を
思うがまま、口から火を吹くように吐き出していた。
その姿はさながらリザードン。魂の生き物である。

§

生まれてこのかた、彼がこんなに理不尽に泣いたことがあっただろうか。
(多分あったのだろうが、衝撃の記憶はいつでも塗り替えられるのであって、もはや覚えていないだけかもしれない)

推測するに、病み上がりの幼稚園でいつにもなく疲れていたらしい。
もちろん彼自身がこの時を振り返り、「あの時は疲れててね、」なんて言ってくれるわけでもなく、私の勝手な推測である。

全身全霊で叫び狂う彼と、それをなんとか受け止めようと必死になる自分を冷静に見つめて、私が思い出したのは出産だった。
(ここから出産の話が始まります。苦手な方は閉じてくださいね)

§

私には2度の出産経験がある。
痛みに耐え、苦しい思いをし……というよりも
痛みを通して子と会話し、生まれてくる彼・彼女を待つ、という感覚に近い出産だった。

いわゆる、安産。
それでもきっと、普段なら考えられないくらい叫んでいたし、初めましての助産師さんを相手に、ここをさすってほしいとか、今じゃない、そっちじゃないとか、普通なら絶対にしない失礼コミュニケーションをとっていただろう。

助産師さんは、そういう産婦さんを何回も見ているはずだ。もはや慣れっこで、それが日常になりつつあるのだろうと想像する。
それでも私は、その時、苦しかった事にただ寄り添い、声をかけ、優しくしてくれたことに感謝してやまない。

産後に出会ったベビーマッサージの先生が言っていた。
「育児は出産から始まると思うの。育児のスタートである出産が、お母さんと赤ちゃんにとって優しいものであってほしい。そこには、寄り添ってくれる助産師さんの存在が不可欠だと思う」と。

最初は、その意味が分からずにいた。
しかし、子ども達が成長の局面に差し掛かる度、少し不安定になる心に寄り添おうとする時、やっとその意味が分かるような気がしたのだった。

子ども達が目の前で、どんなに理不尽を言おうが
どんなに身勝手なことを言おうが
私は思うのだ。あの時の助産師さんのように寄り添いたいと。

§

しかし、現実はなかなかそうはいかない。
息子怪獣化事件の初日はなんとか乗り越えたものの、2日目には心折れ、キッチンでお茶をつくりながらタオルに顔を埋めて泣く始末。
理想には程遠い。でもこの涙もまた、私の魂の叫びの一部なのかもしれない。
そんな私の涙目を見て、夫は何も言わず子ども達をお風呂に入れてくれる(いつもは私の役目)。
私が元気を取り戻し、輪の中に戻ってくるまで、その輪を温めておいてくれる。
こうやって、助産師さんから受けた優しさが、私、夫、子ども達へと巡っていく。
一人じゃない。そう思えるのだった。

§

人は魂の生き物だ。大人も子供も、発散する時が必ずある。
それを受け止める人が傍にいてくれれば、生きていける。

小学生の頃から大好きだった安室奈美恵さんの歌に、こんな歌詞がある。

昨日はあの子がわたしの 明日はわたしがあの子の 傷を癒して

SWEET 19 BLUES by 安室奈美恵

優しさは、巡っていく。
誰かから受け取り、与えていく。
そうしてじんわり広がる輪のなかで、彼らも、わたしも、わたしの大切な誰かも、健やかに生きていけますように。

人は、魂の生き物。
それを優しさで包み込んで、



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