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二条城界隈で静かに楽しむ京都
オーバーツーリズムだと報道されている京都です。
実際にたくさんの外国人の方が来られています。
日本人の皆様、それで敬遠しないで欲しいのです。
実際に二条城の近くで暮らしている京都癒しの旅案内人が二条城界隈で静かに楽しむ京都をお届けします。
京都市バス、二条城前でたくさんの外国人の観光客が下車されます。
二条城は広いので混み合っていてもある程度、楽しめます。
お庭も広いので。
静かな京都を求められる方には近くの他の場所、楽しみ方もお勧めなのでご紹介します。
二条城の周りをぐるっと回るだけで、魅力的な場所がいくつもあり、意外と静かなのです。
3キロ弱、ゆっくり歩くのも楽しそうと思われる方にへ。
静かなカフェや歴史的なスポットを6ヶ所ご紹介します。
地図を貼ります。
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①くつろぎカフェ 葵
普通の町家です。
インスタ映えすることもなく、おばあちゃんのお家に来たようなほっこりする空間。
カフェというよりは親戚で手作りのうどんパスタや軽食をいただいているような気持ちになります。
いつも時間がゆっくり流れます。
のんびりしたい方にはお勧めですが、ガイドブックに載っているようなお店を選ばれる方には向かないかもしれません。
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②神泉苑
神泉苑は、延暦13年(794)、桓武天皇により禁苑として造営されました。 平安京(大内裏)の南東隣りに位置し、 南北4町東西2町の規模を有する苑池でした。
苑内には、大池、泉、小川、小山、森林などの 自然を取り込んだ大規模な庭園が造られており、 敷地の北部には乾臨閣を主殿とし、 右閣、左閣、西釣台、東釣台、滝殿、後殿などを伴う宏壮な宮殿が営まれていました。
発掘調査によって、 大池の北岸、泉から池に流れ込む小川(遣水)など庭園の北部を検出しています。
小川河口のすぐ西側の池の北岸には、長さ約4mを測る厚い板材が設置されており、 船着き場の足場板と見られます。
平安時代初頭頃には、苑池での管弦の宴などに用いられた竜頭鷁首の舟などが着き、 貴族たちが南庭へと下り立ったものと想像されます。
祇園祭御霊会発祥地で、当時の日本の国の数、66基の矛を建て、疫病退散を祈ったと伝えられています。
現在、真言宗のお寺ですが、7月24日には祇園祭後祭の山鉾巡行の後の神輿渡御で中御座の神輿が来て、神泉苑のご住職と八坂神社の宮司様により祭事が行われます。
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夜の神泉苑も美しいです。
赤い橋は法成橋で写真の左から右へ祈りながら無言で渡ると願いが叶うと言われています。
右端の小さなお社は日本で唯一の恵方社で、毎年、恵方に向きを変えられます。
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節分、祇園祭7月24日神輿渡御、お月見、狂言など
素敵な行事がありますが、地元の人が楽しむという雰囲気です。
日常の神泉苑はとても静かです。
以前は今の二条城あたりまでの広大な敷地だったと言われる神泉苑。
こちらの池から、「御池通」という名が付いたとか。
旅人でお参りされたら、きっと、特別な思い出になることでしょう。
③二条城撮影所跡
二条城西南櫓の下300坪の土地に,明治43(1910)年横田永之助(1872~1943)の横田商会により京都初の撮影所が開設された。この地で日本映画の父と言われる牧野省三(1878~1929)が尾上松之助(1876~1926)とコンビを組み,最初の作品「忠臣蔵」を撮影した。法華堂撮影所(上京区御前通一条下る)ができるまで2年間使われた。この石標は二条城撮影所の跡を示すものである。
牧野省三さんといえば、等持院近くの法華堂撮影所前に銅像もあり、そちらが有名ですが、その前の2年間、こちらに撮影所があったなんて驚きです。
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この場所は現在、京都市立中京中学校があり、この石碑のところからグラウンドが見えます。
このエリアの学校って、すごい場所に建っています。
次もです。
④平安宮 式部省跡
こちらは③から細い道路を隔てたお隣にある現在の京都府立朱雀高等学校前にある説明書きです。
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式部省とは
古代の律令制における八省の1つ。文官の名簿の管理,朝廷の儀式,官吏を登用する試験・学校など教育全般をつかさどった。職員は卿(かみ)・輔(すけ)・丞(じょう)・録(さかん)の四等官と下級官吏に分かれていた。
現在の文部科学省のような役割だったそうです。
このエリアを歩くとこのような説明板が次々と現れます。
実は母校ですが、当時は式部町という住所は知りながら、そんな場所だとはつゆ知らず。
そして、次へ。
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