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733-799年(従三位・公卿)
父:磐梨別 乎麻呂(和気 郡司)
姉:和気 広虫(第46代 孝謙天皇の女官)
和気氏は第11代 垂仁天皇の子・鐸石別命を祖とする氏族。曾孫の弟彦王が第14代 仲哀天皇の皇后・神功皇后に反逆した忍熊王を和気に関を作り滅ぼした功により、備前国藤野郡(現在の岡山県和気町)を与えられて土着し、代々郡司などを勤めた。その12代後裔が広虫・清麻呂となる。
郡司の子息は朝廷に仕えるのが習わしで、まず姉の広虫が采女として平城京に行き、第46代 孝謙天皇に仕えた。後を追い武官として仕えた清麻呂は、769年道鏡が皇位に就こうとした際、否定する信託を宇佐神宮から持ち帰り流罪となった。道鏡失脚後に呼び戻され、光仁天皇・桓武天皇に仕え、長岡京・平安京の造営などに携わった。
❶ 氏寺の神護寺と墓所
神護寺(京都市右京区梅ヶ畑高雄町)
和気清麻呂は781年、河内国(推定)に神護寺を建立。清麻呂は京都の愛宕神社を中興する際、愛宕五坊として現在の神護寺の場所に高雄山寺を建立した。亡くなると高雄山中に埋葬され、824年に高雄山寺を神護寺とし、和気氏の菩提寺となった。後に清麻呂の息子の弘世・真綱が最澄や空海らの僧を受け入れ支援した。
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❷ 護王神社
(京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町)
もとは神護寺境内にあったが1886年現在の京都御苑の隣接地に遷座。1915年 孤児救済事業などで知られる姉・広虫が合祀された。神使は故事にちなんだ猪。清麻呂が流刑になったときに支援し続けた藤原 百川や道鏡の師であった路 豊永も配祀されている。また、1946年に京都府庁から警察消防招魂社が遷座された。
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【全国の史跡】
❶ 生誕地
和気神社(岡山県和気郡和気町)
第11代 垂仁天皇の4世孫・弟彦王が戦功により吉備の地と磐梨別の姓を賜わった。清麻呂は弟彦王から12代後裔になる。
❷ 宇佐の信託を受けた場所
宇佐神宮 大尾山(大分県宇佐市南宇佐)
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❸ 流刑地
和気神社(鹿児島県霧島市牧園町)和気清麻呂公流謫の地(伝)
(参考)❹ 紀元2600年記念事業
和気清麻呂像(東京都千代田区大手町 大手濠緑地内)
1940年、紀元2600年記念事業で建立。
官僚の鏡として省庁の方向に向かって立つ。
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(参考)❺ 道鏡のその後
道鏡塚(栃木県下野市薬師寺)
770年に第48代 称徳天皇が崩御すると、三戒壇のひとつ下野薬師寺の造司別当を命じられ下向した後、没した。
『京都遠足』(P20)
https://www.worec.jp/03kyoto.html