台湾に住む24人の聞き書きから浮かびあがる、台湾の生活史
Taiwan Lives:
A Social and Political History
「台湾の生活:社会・政治史」
By Niki J. P. Alsford
February 2024 (University of Washington Press)
岸政彦さんが監修した『東京の生活史』が読みたいのである。
しかし、あのぶあつさに、おもわず二の足をふんでしまった。
そしたら、『沖縄の生活史』も刊行されたのだ。うーん。気になるけど、まずは『東京の生活史』を読んでからじゃん?
なんて言ってモタモタしていたら、今月、『大阪の生活史』がでてしまった。
うわー、どうしよう。あんなぶあついのが3冊。。。
本を読むのは好きだけど、なんせ読む時間がない。読むのも決して速くはない。読みたいのは山々だが、ほかにも読みたい本はある。うーん。悩ましい。ぜったいおもしろいはずなんだけどね。。
そもそも聞き書きのおもしろさに目覚めたのは、篠田鉱造の『幕末百話』『明治百話』『女百話』など、幕末明治のころの聞き書きをまとめた本を読んでからだ。
まえにも書いたが、篠田鉱造は報知新聞の記者。
幕末や明治の初めのころを知る人たちに話を聞いて、それを話し言葉のまま書き写し、聞き書きコラムとして新聞に載せていた。
この、話し言葉のまま、というのがとてもおもしろい。その人独特の言い回しがそのまま活字として残っている。
例えば、『幕末明治 女百話(上)』の「上野彰義隊戦争の前後」というのは、こんな文で始まる。
最後のところ、「生首で逃げようがありませんでした。」というのがよくわからない。そのあと話のなかで、官軍が生首をもって提灯扱いに見せる、と言っているから、「否応なしに生首を見せられて怖くてしかたがなかった」くらいの意味なのだろう、たぶん。
話をしているのは、浅草蔵前の札差の家に育った女性で、上野戦争のときはまだ若い娘だったそうだ。戦争の前日、どうやら上野で明日戦争があるらしいと聞きつけ、両親と三人で取るものもとりあえず逃げ出すが、浅草のあたりは逃げ出す人でごったがえしているし、そこを血刀を提げ、生首をぶらさげた官軍の男たちがのし歩いていて物騒この上ない。けっきょく家にもどってくる。
そして、お払米を炊いておむすびにして、道行く人に食べてもらおうじゃないか、そうしたら、命をとられることもなかろうと、親子三人で丸二日間、せっせとおむすびを作って家の前に並べ続けた。
おむすびは、通りかかった人も、官軍も、逃げていく旧幕の人も、みなありがたがって食べていったそうだ。
戊辰戦争のことは、日本史の授業で習ったけど、上野の戦争がこんなかんじだったとは、まったく知らなかった。前日までみんなのんきに普通どおりの暮らしをしてたんだね。
そして、浅草橋のあたりで、血刀を提げて生首もって歩いている人がいたとは! 浅草橋って、あのアサヒビールの金色のオブジェがある、あそこだよね。
いやー、すごい。隔世の感。
聞き書きは、歴史の教科書には載っていない、当時の人々の息づかいが伝わる、とても貴重な資料だ。
だから、岸さんの編纂した3冊の「生活史」も、きっと何十年後には、貴重な資料になっていることだろう。
そして今回紹介する台湾の人々にインタヴューした聞き書きを集めた本も、きっと学校で習った台湾の歴史とはちがった表情を見せてくれるにちがいない。
本書では、商人、亡命者、活動家、ポップスター、医師、総統など24人の台湾で生活する人々のライフストーリーが語られている。
知るのが少し怖いけど、日本の植民地時代の台湾がどのようなものだったのか、市井の人の声を聞いてみたい。