9年前の自分からバトンを受け取って
この記事は、元々転職エントリーとして書こう思っていたが、作成してから、ずっと白紙のままだった。1文字もずっと書けなかった。
ちょっとずつちょっとずつ書こうとしていたら、転職うんぬんの話ではなくて、自分の過去を振り返り、気持ちを整理したくなってきた。
気持ちや想いというのは、感情の炎が強くなったり、弱くなったりする。
きちんと綴って残さなければ、そのうちフッと消えてしまうこともあるかもしれないので、思い返しながら書き残しておこうと思う。
2010年代を振り返って
様々なライフイベントがあった。
結婚、子供ができたり、転職したりなど。
中でも2011年の3.11の震災は僕に大きな影響を与えた。
震災が起きたとき、僕は何もできなかった。
宮城県石巻市の実家、親戚などと連絡がとれずに、ただただ震えていて毎日を過ごすだけ。
少し落ち着いてから地元に帰ってみたが、何もできなかった。
行動力ある人はボランティアや復興支援のプロジェクトを立ち上げてたりしていたが、僕には到底無理だった。
友達とも連絡が取りづらかった。
なんて声をかけていいかも分からない。
そんな無力な自分を恥じていた。
自分のやり方を見つけ始める
1年ほど経ち、気持ちも落ち着いてきて、復興支援の何かをしたいという気持ちが芽生え始める。
けど、地元に帰るほどの勇気や気力などなかった。
だが、僕は僕のやり方で貢献できないかと考え始めた。
「震災で今まで出来ていたことが出来なくなった」
「これからやりたいことの希望が薄れた」
ということを解決していきたいと考える。
そこで、復興支援という枠組みにとらわれずに、お金が無くてもやりたいことを実現できるプラットフォームを作りたいと思って、コンセプトサイト(システムまで作らずに説明だけのページ)を立ち上げた。
リリース直後に、思わぬプチ反響があり、メディアに取り上げられたり、いろんな問い合わせが殺到した。
一緒に手伝いたいと、たくさんのメッセージもあり嬉しかった。
けど、僕は逃げた。
1人の力でゆっくりやりたいと思ったけど、急にいろんな人と一緒に巻き込ながらする力は、当時の僕にはなかった。
お断りのメッセージを贈るとともに、後日サイトもクローズした。
それから、僕はただ普通の日々を過ごす。
時は流れて
色々な企業巡りをしていたときに、READYFORと出会う。
READYFORといえば、3.11震災後に日本初のクラウドファンディングを立ち上げており、地元 石巻の復興支援プロジェクトもやっていたので、当時から興味を持っていた。
「誰もがやりたいことを実現できる世の中をつくる」
このREADYFORのビジョンを見て僕はハッとした。
昔、僕がやりたいと思っていたようなことがビジョンとして掲げられている。
やりたくても出来ない壁を無くしていき、様々な人が叶えたい夢に向かっていけるように、世の中を良くしたい。
そういった想いでREADYFORに2020年2月に入社することにした。
最後に
以前は「もし過去に戻れたら何が出来るか」と考えていた。
あの頃に戻れたら。過去に行ければ未来を変えられるのでは?と。
けど、過去に戻れない。
最近は「この世界は何か」「自分はこの世界に何の価値を生み出せるのか」と考えるようになってきた。
自分が生まれた世界と、自分が生まれなかった世界。
その世界の差分が僕が生きていた証となり、自分の価値となるはずだ。
その違いは、ただちっぽけなものかもしれない。
ちっぽけな小さな力でも、世界をより良い方向に変えていきたい。
そういう想いで僕は前を向いて歩いて行こうと思う。