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いのち

忘れっぽい私。忘れたくない感情。
消えてしまわないうちに記そうと思って、ノートを開いた。


世界で1番大好きな母。


そんな母は私を産んでから癌になった。
手術で一度治ったけど再発した。

4.5歳くらいだった私がなんで祖父母の家にいるんだろうっていう疑問を抱いていたのを覚えてる。

夜になったら母と離されるのがつらくて毎日泣いてたのも覚えてる。「もう長くないかもしれない」と言われていたことも。

母の財布には15年経った今でも私が作ったお守りがはいってる。小さいながらに「どうやったら大好きなままを救えるんだろう」って考えていたんだと思う。

当時のわたしは、他界した母方の祖父にお願い事をすればなんでも叶うと思ってた。

「じぃじ、ままを元気にしてください」
ってお空に向かってよくお願いしてた。


幸いにも病院での治療を終えてなんとか一命を取り留めた。でも思ったように上手く行かなくて、定期的に母は寝込んでた。


「めいちゃんごめんね」
何回聞いたんだろう。この言葉を。

病院に行けば、治療できないの一点張り。
激痛と闘うのが母に与えられた試練。

大丈夫じゃないのが目に見えてるから「大丈夫?」のひとことも口から出せなかった。苦しんでいる姿を見るのが辛くて、何もできない自分が悔しくてよくシャワーを浴びながら涙を流してた。

「自分のせいで悲しい思いをさせてる」って思わせないために最適な場所がお風呂場だったんだよね。シャワーで泣き声も涙も全て流れるから。


小学生だった私にとっても、中学生になった私にとっても、高校生になった私にとっても、大好きな人の苦しむ姿を見なきゃいけないこの環境は中々しんどかった。苦しかった。この状況をわかってくれる人なんてどこにもいないって勝手に思い込んでた。
本当は誰かに助けてもらいたかった。
強がりな性格はずっと変わらない。

私が涙を流しても何も変わらない。
私が声をかけても何も変わらない。

弱っている母を目の前にして、先祖に健康を祈っているだけじゃ何も変わらないってことに気づいた。


高校1年の5月、地元の病院をひたすら調べて高校生の私を受け入れてくれる病院でインターンシップをした。母の治療法がないか私にできることはないか直接医療者に聞く為に、バスで往復4時間かかる病院に通った。

医療のことなんてほとんど知らない私が急に飛び込んだ病院。ナース服を着て病棟を巡った日。家族を亡くした方との会話、手術の見学、看護部長との対談。かなり刺激的で貴重な体験をたくさんさせてもらった。

インターンシップを通していろんな景色を見て、隠れて孤独と闘っている家族まで包み込めるような看護師になりたいって思った。

この日をきっかけに私は看護師を目指すようになった。大学受験を経て看護の勉強をする日々が始まった。





2022年1月。またこの時が来た。

「いつ死んでもおかしくないってお医者さんから言われた。」突然の母からのLINE。

頭が真っ白になった。

何も考えられなかった。

無意識に震える手がわたしの動揺を表してた。

「あ、わたし怖いんだ」

自分の身体からのサインでようやく心が追いついてきた。

まさかそんなはずがない。そう信じたかったけど、期待してた母の元気な姿はなかった。


臓器が破裂寸前。
破裂したら死ぬ。
こんな状態の人見たことがない。

経験豊富そうなおじいちゃん先生から出た言葉。

「覚悟しておいた方がいいかもしれない」

追い討ちをかけるかのように出た一言。

感染対策で面会は禁止で臨終時も2人までね。

コロナが死ぬほど憎かった。会いたい人に会いたい時に会えない辛さを身をもって実感した。


「もしかしたら今日が最後かもしれないね、めいちゃん大好きだよ」

入院前最後に会った日、母から出た言葉に否定することもできずアパートの下の階段で2人で流した涙は今でも忘れられない。

きっと、これからもずっと。


生まれて初めて見た母の涙、本当は不安で不安で仕方なかったはずなのに今までそんな姿を一切見せなかった母。私の想像以上に強かった。

母と別れて広い部屋にたったひとり。突然押し付けられた現実に呆然とした。いくら泣いても何も変わらない現実に押し潰されそうになりながら。

手術の日に送られてきたLINE

本当に苦しかった。
本当に辛かった。
胸が張り裂けそうになるくらい。
画面を見て涙と震えが止まらなかった。
人生で1番自分の無力さを痛感した。

1年の中で1番忙しい時期だった。イベント運営、コンテストの審査に向けた準備、学校にテスト。
「今の私には何もできない。」そんな気持ちもあったけど「さいごまで頑張りたい」の方が大きくて、気づいたらパソコンと向き合ってた。無意識のうちに出る涙を堪えながら「すまいるすまいる!」って言い聞かせて頑張ってたっけな。正直、夢中になれる環境があったから前を向けたんだと思う。何もなかったら潰れてるきっと。

忙しいみんなに心配をかけたくなくて1人で闘おうとしたけど私には耐えられなかった。

zoomでたくさん笑わせてくれた仲間、旅に連れ出してくれた仲間、ドライブに連れて行ってくれた友だち、ずっと心のケアをしてくれた学校の先生。

声に出したらみんなが助けてくれた。みんなのおかげで学校やコンテスト、イベントの運営を辞めずに頑張れたんだと思う。


たくさん涙を流したわたしはより一層強くなった気がする。患者の家族の気持ちまで学んだ私にしかできないことがきっとどこかにあると思うんだ。

もっと看護を学んで、たくさんの人を包み込めるような存在になりたいな。


まま、生きていてくれてありがとう。

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