人類普遍の原理再考
まあ自民党が人権条項を消すとか言ってるから必要ないかも知れんが聞いてくれ!
最近再認識したけど、日本の法律家でさえ、憲法前文の人類普遍の原理が自由・平等・博愛であり、人権そのものであることすら知らない、詰まり教えられていないのだ、俺の同級生の小林節が人類普遍の原理を語ってるのもみたことがないし、木村草太しかりである。
人類普遍の原理詰まり普遍主義は、ルネサンス期の哲学であるネオプラトニズムであり、これは同時にフリーメイソンの哲学でもあり、カントが始めヘーゲルが完成させたと言われているプラトン思想の復興運動なのである。
日本人はやれヘーゲルだカントだニーチェだと言う割にこんなことすら知らないのだ!
日本人は西欧即キリスト教と短絡させて普遍主義を拒絶するきらいがあるが、
ネオプラトニズムはギリシャ哲学と一神論のシンクレティズムであり、フリーメイソンの秘技だからか教科書が少ない、却って美術史家の方が例えばボッティチェリのミロのビーナスがギリシャ神話の女神がキリスト教の洗礼を受けているところだとか詳しいのだ。
日本人は普遍主義を拒絶する為にに、ヘーゲル左派のマルクスに飛びついたが、
マルキシズムは所詮普遍主義のアンチテーゼであり、テーゼ知らずのアンチテーゼなのである。
日本人は近代化から参入したので文明化の知識がスッポリ抜けていると俺が言うのはこのことである。
日本人が個の確立というのは個人主義の確立であり、個人主義は近代化以降であり、文明化の個の確立は世俗化(secularisation)のことである。
これが俺が、デカルトの二元論の前にヘーゲルの一元論あり、無神論の前に有神論あり、マルキシズムの前に普遍主義ありと言う所以でもある。
詰まり日本人は憲法前文の人類普遍の原理を学ぶ事が必須であり、聖徳太子以来の御都合主義、良いとこどりならぬ都合の良いとこどりをやめない限り文明化は出来ないのだ!