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「自分で考える」ということ


「自分で考える」ということ (角川文庫 白 130-1) https://amzn.asia/d/0BGefHE

俺が会社辞めて引きこもっていた時、哲学とは自分で考える事であると閃いて、その直後渋谷の紀伊國屋で見つけた本。
感激のあまり二度ほど著者の澤瀉久敬先生にお礼状を出したが、二度ともご丁寧に返事を頂戴した!

今俺が書いてることは教科書もなければ誰も教えてくれない、
近代文明の目的が全能性の追求であり、手段が普遍性の追求であると気づくのに30年掛かった。
全て自分で考えると、相対化し尽くして回帰するまで10年20年はザラ、30年でやっと回帰することもある。
複数の人間から俺の考えがヘーゲルの考えに酷似してると言われたが、俺はヘーゲルを読んだこともない、只俺の追求していたのは近代文明の淵源、イタリアルネサンスの哲学であるネオプラトニズムである。
あとでカントが始めてヘーゲルが完成させたと言われているのがプラトン思想の復興運動であり、即ネオプラトニズムであると知った!

俺が「近代文明学総論」というタイトルを考えた頃は、
日本は近代文明学各論は優等生だが、総論は落第だと言っていた。
今ではその各論でさえも落第になってしまった、何故か、
総論に瑕疵がある時、幾ら各論を弄っても問題は解決できないからである。

総論とは何か、
かの白洲次郎氏も指摘したように、日本にはプリンシプルがない、そのプリンシプルとは、
憲法前文の統一規範としての人類普遍の原理(universal principle of mankind)である。
俺が先ずは前文の人類普遍の原理を学んで理解することだと繰り返し言うのはそのためです。

俺は何も日本の未開性を証明するために30年も費やして近代文明の淵源を研究し図解までしたわけではなくあくまでも日本が如何にしたら文明化できるかを模索したかっただけです!
日本が唯一世界で生き残る道は皆さんが押し付けられた憲法と呼ぶ憲法の前文の人類普遍の原理を学び理解することなのです。 

俺は何も普遍主義を実践しろとは言っていない、少なくとも学んで理解しろと言っているだけだ、何の為に俺が30年も掛けて図解までしたと思ってるんだ!
俺は只日本語取り扱い説明書がついてこなかった近代文明の取説を作りたかっただけだ、
柳田國男は教義のない神道のバイブル作りがしたかっただけだ!

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