侑依と彩花

 夏休みが終わり、学校に日常が戻り始めた九月の初旬、西沢侑依にしざわゆいは机に伏して次に作る曲の構想を練っていた。周囲では短い休み時間を生徒たちが思い思いの方法で満喫していた。
「ねえ。西沢さんだよね」
急に声をかけられ、顔を上げると、二人の女子生徒が立っていた。
「そうだけど」
侑依がそう答えると二人は嬉しそうに顔を見合わせた。
「この間の曲聞いたよ! ええと、幻想衝撃げんそうしょうげき。すごいカッコよかった。ねー」
「まじまじ。エモかった」
侑依は彼女たちに笑顔を作り、礼を言いながらも先日公開した曲のタイトルが“幻影衝破げんえいしょうは”であったことを訂正しなかった。
「高校生で作曲やってるってすごくない」
「すごいよね。再生回数、もっと伸びてほしい!」
「私、SNSで拡散した! バズってほしいもん」
「私も拡散しよ! もっとバズってさ、もっと売れてほしいよね」
「そうなったら、私たちすごくない? 有名人と知り合いだよ」
「えー。今のうちにサインもらっといた方がいいかな」
勝手に盛り上がる女子生徒たちを前に、侑依の笑顔がいよいよ引きり始めた頃、彼女を救済するかのようにチャイムが鳴った。
「あ、授業始まる! じゃあね、西沢さん」
侑依はどっと不快な疲労を感じて机に突っ伏した。

 この学校に在籍する教師の中でも特に板書が美しいと噂されている坂東先生の古典文法の話を聞き流しながら、侑依は休み時間に女子生徒たちが話していた内容を思いだしていた。
 再生回数、拡散、バズる、売れる。どれもボクには必要ない。最低限、誰かが聞いてくれて、誰かがいつでも見つけられる環境にボクの曲があれば、それ以上望むことなんか何もない。ボクは曲を作りたいから作るだけ。その在り方に装飾なんかひとつも要らない。バズる、売れる。そんなことの良さが、ボクには分からない。大勢の人にボクが魂をけずって作った曲が表層でだけ消費されるなんて侮辱ぶじょくでしかない。大勢が良いと言った曲を大勢が意思無く再生する。そんなグロテスクな構造にボクの曲が組み込まれるなんて吐き気がする程気持ち悪い。ましてやバズるため、売れるために創作をするなんて不敬ふけいだ。創作とは、そうせずにはいられないからするもの。ボクはただ、ボクとして在るためだけに曲を作るんだ。結局、自己満足だ。それ以上でもそれ以下でもない。だけど。だけど、たったひとりでも、僕が曲に込めた思いを感じ取ってくれる人が居たら、それだけでボクはむくわれるんだ。

 昼休み、弁当を食べ終えた侑依はイヤホンで音楽を聞きながらぼんやりと窓の外を眺めていた。机の横に誰かが立った気配を感じ、イヤホンを取ると、同じクラスの女子生徒であった。
「あの、西沢さんだよね」
んだ綺麗きれいな声であった。侑依はこんな声の合成音声ソフトがあれば使ってみたいと頭の片隅で思っていた。
「ああ。そうだけど」
そう言いながら、侑依は自身の表情が引き攣る未来を予感しつつ、相手に明確な悪意がなかろうと、“ボクの曲を汚さないでくれ”と断じる準備をしていた。
「幻影衝破。聞いた。その。こんなこと言うと変かもしれないけど、ええと。売れないといいね。西沢さんの曲」
その言葉に胸を撃たれ、きりが晴れるように胸中が浄化されてゆく気配がした。
「どうして、そう思ったの?」
侑依は自身の予感が思い違いでないことを確かめるようと、反射的に問いかけた。
「え、だって、あの曲でそう言ってなかった? “多数にもてはやされて、消費されるくらいなら僕はひとりで歌い続ける”ってそんな曲だと思ってたけど、もしかして、違った?」
そう言いながら不安に染まり始めた表情の女子生徒の手を、侑依は思わず握っていた。
「違わない。違わないよ。そのとおりだ」
伝えようと思ったことが、そのとおりに伝わった。純粋なその事実が侑依にとっては何よりもうれしかった。喜びをかみしめている侑依の様子を女子生徒は不思議そうに見つめていた。
「ボクは西沢侑依。君は?」
東条彩花とうじょうあやか
侑依の勢いに戸惑いながら女子生徒が名乗った。
「そうか。彩花。ボクはね、自分の曲を理解してくれる人に出会えて、とても嬉しい。よかったら、これからも曲の感想を聞かせてくれないか」
「そんな大したことはできないけど。私でよかったら」
彩花は未だ、自分がアーティストに与えた偉大な影響を理解できていなかった。
 この日から、二人は少しずつ、親密になっていった。侑依は制作中の曲の構想やその作曲の過程を彩花に語り、彩花は侑依がこれまでに発表していた曲を聞き、感想を伝えた。侑依の家に猫がやってきたことも、彩花の兄に彼女がいるような気配があることも二人の間で共有された。

「ええ。私?」
 冬の寒さが厳しくなり始めた季節の放課後、通学路にある小さなカフェで、彩花は侑依の新曲のテーマを聞いて驚いていた。
「そう。彩花のような曲を作ろうと思うんだ。イメージとしてはそうだな。透明で巨大なパラボラアンテナみたいな、そんな感じの曲」
そんな感じ、と言われたところでパラボラアンテナと自分が一体どう結びつくのか、まるで分からなかった。
「私がどうしてパラボラアンテナなの」
彩花はホットココアをすすりながら尋ねた。大変な猫舌の侑依は未だレモンティーに口を付けられずにいた。
「パラボラアンテナの構造というのはね、二次関数さ。ある方向に向いていれば、そちらから流れてくる情報を一点に集め、正確に読み取ることができるんだよ。ボクはなんだかそこに、繊細せんさいな感性を持っている彩花を重ねてしまうね」
「そうかな?」
ココアの甘みを舌に感じながら、彩花は首を傾げた。
「そうとも。別にボクはね、彩花がボクの曲を聞いてくれて、そこにある何かを感じ取ってくれるからそう言ってるわけじゃないんだ。例えば、ほら、以前、ボクの家で一緒に映画を見たことがあったろう」
「ああ、あったね」
「ボクは映画を見て、あそこまで号泣する人間を初めて見たよ。それだけじゃない。彩花は日常にある些細ささいなことにまで繊細に心を動かすことができる人物だ。君にはそれが当たり前だから、さして特別とも思わないだろうけれど、やっぱりそれは特別な能力さ」
「そうかな」
面と向かって褒められ、彩花は視線を泳がせた。
「でも、私はニッシーみたいな作曲とか、私からパラボラアンテナを感じ取るセンスみたいな能力の方がすごいと思うけどな。いつも思うもん。ニッシーは才能があっていいなって」
「才能、か」
少し口を付けただけのレモンティーをソーサーに置き、侑依は窓の外に目を向けた。帰宅の時間帯ということもあり、多くの人々が行き交っていた。
「ねえ、彩花。才能って、あると思う?」
侑依は通りに目線を向けたまま尋ねた。
「ニッシーに?」
「いや、そうじゃなくて。才能なんていうものがさ、この世に存在するのかな。実はね、ボクは才能なんて言葉、あまり信用していないんだ。彩花は、ボクに才能があるって言ってくれたね。それはとても嬉しいよ。でも、一般的にどんな人に才能があるって言われてるかな」
想定していなかった問いかけに、彩花は二、三の著名人の名前を挙げた。
「この人たちは成功してるし、やっぱりそんな人には才能があったんじゃないかな」
侑依はようやく少しぬるくなったレモンティーを飲んで息をついた。
「ボクはね、逆じゃないかと思うんだ」
「逆って?」
「成功した人を見て、大衆はその理由付けとして、何か言葉を探したんじゃないかな。僕はそれが才能なんだと思う。つまりね。才能があるから成功するんじゃない。成功したから才能があると言われたんだ。才能がないから失敗したんじゃない。失敗したから才能が無いと言われるのさ。大衆の作り出した言葉だよ。才能なんて」
「ニッシーって、めんどくさいね」
彩花は満面の笑みで率直な感想を口にした。
「そうかい?」
侑依も微笑みながら答えた。
「うん。すっごくめんどくさいけど、ニッシーらしいよ。私、好きだな。そういうの。ニッシーって大衆っていうのかな、集まってる人とか世間とか、嫌いだよね」
「嫌いだね」
わざとらしく目線を外す侑依に、彩花から笑みがこぼれた。
「ひねくれてて、ヘンだけど、ニッシーらしいね」
「アーティストは多少ヘンでひねくれてた方がいいのさ」
侑依は冗談めかして胸を張ってみせた。

 二人の話題も尽きかけてきた頃、カフェに三人の女子生徒が入ってきて、侑依と彩花の座っている席の近くにじん取った。彼女たちはまだ、二人の存在には気がついていないようであった。しばらく世間話に花を咲かせていた彼女たちであったが、唐突に侑依の名前が話題に上った。侑依自身は気にも留めなかったが、彩花は何処か不安げな様子で女子生徒の集団の方をちらちらと見ていた。
「あー。知ってる知ってる。曲作ってる人でしょ。なんかすごいよねー」
「でもさ、知ってる? 盗作かもってよ」
「えーマジ?」
「マジマジ。ミーコが似てる曲見つけたんだってー」
侑依は自分でも一瞬間、表情筋が収縮するのを感じていた。
「パクってんだったらヤバいね」
えるわー」
ふと侑依が顔を上げると、感受性豊かな彩花の顔が憤怒ふんぬに染まっていた。
「彩花、気にしないで。ボクがそんなことしてないのを君は知ってるだろ」
小声でそう語りかけると、彩花は声を震わせて答えた。
「知ってるよ。知ってるけど、だから、だから腹が立つの!」
彩花は固く握った拳の力を緩めようとはしなかった。
「いいのさ。作曲していると、こういう話題はよくあることなんだ。それに、アンチがつくなんて、アーティストにとって光栄なことじゃないか。ボクの認知度も上がってきたってことだね」
彩花の注意をこちらにひこうと、侑依は思ってもいない、信念を曲げた冗談を放った。彩花の怒りは鎮火せず、女子生徒たちの話題も侑依から離れなかった。
「ってかさー。西沢さんってなんで“ボク”なの?」
「あ、それ思ってたー。変わってるよねー」
「変わってるってかさ、ちょっと痛くない? “ボク”だよ、“ボク”。なんか狙ってやってんのかな」
「男子受け? 女子受け?」
「さあね。どっちもじゃない? まあ、私は女子受けだと思うな。王子様路線!」
「キャーカッコイー的な? あ、あれじゃね? それで話題になって再生回数伸ばそうとか! だとしたらしたたかだよね」
「えー、したたかっていうよりあざとくね?」
下卑げびた笑い声が響くと同時に、彩花が机を超常の力で叩いて立ち上がった。比喩ひゆの領域を外れ、彼女の髪は逆立ち、表情には不動明王が宿っていた。
「ちょっと、彩花、落ち着いて」
彩花は珍しく慌てた様子を見せた侑依を一瞥いちべつした。
「止めないで」
地獄の底から聞こえたようなその言葉は一瞬で侑依の行動を封じた。どういうわけか彩花は手に固くおしぼりを握り締めてゆっくりと女子生徒たちに近づいていった。彼女たちのひとりが“あ、ヤベ”とつぶやくのが侑依の耳に入った。侑依は彩花が手にしたおしぼりで誰かを引っぱたくかと予想していたが、そうはならなかった。彼女は女子生徒たちのテーブルへとそれを力いっぱいに叩きつけた。
「ふざけんな!」
店内にいた客だけでなく、カウンターの奥でチョコレートをつまみ食いしていた店主までもが彩花に注目した。
「ニッシーはそんなことで再生回数なんかかせぐもんか! なんにも知らないくせに勝手なこと言うなよ。ニッシーは曲を作ってたって、再生回数伸ばしたくも売れたくもないんだ。そういうめんどくさい奴なんだ! ニッシーが“ボク”なのは、ニッシーがニッシーだからだ。いいじゃんか。かっこよくて、クールで。ちょっとずれてたって、ニッシーなんだから仕方ないじゃん! それにニッシーの曲が盗作? そんなわけない。ニッシーいつも言ってるもん。創作は不敬じゃいけないって。ニッシーは誰より曲に誠実なんだ。つまんないうわさ真に受けてんなよ。ニッシーのこと、何も知らないくせに。ニッシーはヘンで、めんどくさくて、面白くて、優しいんだ。自分のこと“ボク”って言ってるのに本当は可愛いもの大好きで持ってるハンカチだってパンダのキャラクターなんだ。猫見つけると変な声で喋りかけるし、猫舌で珈琲苦手だからホット珈琲なんて絶対飲めないんだ。ニッシーには、可愛いところいっぱいあるんだ。それだけじゃなくて、ニッシーはすごくて、かっこよくて、天才で、すごいんだ。そんなことも知らないくせに、ニッシーを悪く言うな!」
激情を言葉に乗せて解き放った彩花は、その場に崩れ、号泣し始めた。彩花により、思わぬ秘密を暴露ばくろされてしまった侑依であったが、それどころではなかった。女子生徒たちはおろおろと立ったり座ったりを繰り返し、店主は新しいおしぼりを片手にけつけ、店にいた客はざわめき始めた。侑依は慌てて彩花を抱き起し、代金を支払うと店を出た。

「それにしても、驚いたよ」
二人は彩花の家の近くの公園で、ベンチに並んで腰かけていた。空はとうに暗くなっていた。
「ごめんね。でも、止まらなくて。ニッシーを馬鹿にされたの、すごくくやしくて」
侑依は再び彩花が泣きだすのではないと心配していた。
「全く、おかげでボクがたれぱんだ好きなの、学校の人にばれちゃうかもしれないよ」
侑依が冗談を言おうが、街灯に照らされる彩花の表情は晴れなかった。
「でもね、彩花。ボクは幸せ者だよ。ここまで自分のことを思ってくれる人がいるって分かったんだから。ありがとう」
侑依は彩花の肩に手を置いた。
「彩花、君とは、長い付き合いになりそうだよ。これからもよろしくね」
そう微笑みかけた侑依と目が合った彩花は、再び泣きだした。

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