時津橋士(Tokitsu Kyoshi)

作家。情動の支流を記す。汲む者があろうとなかろうと。

時津橋士(Tokitsu Kyoshi)

作家。情動の支流を記す。汲む者があろうとなかろうと。

最近の記事

終末絵図(誠司の場合)下

「らっしゃっせー」 明らかにやる気のない声が誠司たちを迎えた。終末の深夜にもかかわらず、危険人物も無く、平穏に保たれているコンビニが、誠司には少し、妙にすら思われた。雑誌コーナーには一か月以上も以前の雑誌が並び、防災グッズの並んでいる棚には何もなかった。誠司たちはコーラとジャスミンティーとカフェオレを買い、アヒルグミを三つ買うとレジへと向かった。 「らっしゃっせー。東条さん、今日はお友達と一緒っすか」 武藤というネームプレートの店員が商品をスキャンしながら親しげに彩花に話しか

    • 終末絵図(誠司の場合)中

       終末が発表されてから一か月近く経った日の深夜、誠司は早足に学校へと向かっていた。十月に入った夜風は涼しく、上着を持ってきて良かったと安堵していた。校門の近くまでやってくると、彼は人影を認め、声をかけた。 「西沢! ごめん。待たせたかな」 西沢侑依はスマートフォンを見ながら校門にもたれかかった姿勢を起こすと手を振った。 「やあ。清水君。それ程待ってもいないさ。ボクも今来たところだ。待ち合わせの零時にはまだ早い。大丈夫さ」 「なら、よかった」 誠司はその日の夕暮れ、いつもどおり

      • 終末絵図(誠司の場合)上

         文武両道、眉目秀麗。清水誠司は絵に描いたような優等な人物であった。人を惹きつける能力が生まれつき備わっていたのか、人望の厚い彼の周りにはいつでも人が集まっていた。学校では生徒会長を務め、生徒だけでなく、教師からも信頼され、誰もが、誠司が難関大学を突破し、エリートの道を進むことになると信じて疑わなかった。しかし、そんな誠司の希望にあふれた日常は突如として打ち砕かれた。政府が発表した緊急事態宣言のためである。巨大な小惑星の衝突により、世界が終わりを迎えるというあまりにも唐突で信

        • 水没地区04-C

           秋を予感させる涼しさの宿る風が吹く頃、トウキョウ・シティから地区04-Cへ向けて、いち台の水上バイクが駆け抜けていた。かつては浸水地区と分類された04-Cは数日前に政府から水没認定をくだされ、とうとう人の住まうことのない廃棄都市に分類されたのであった。水面から生えるようなビル群が秋の夕陽に照らされ、黄金の寺院のような神々しさをまとっていた。バイクはその間を縫うようにして住宅街へ。そこでは住宅の丁度、屋根のあたりまで水に浸かり、橙色に染まる水面の上に、屋根だけが点在していた。

          波を聞く者

           光の届かぬ海底に横たわる者があった。彼にはいつから自分がそこでそうしているのか分からなかった。昨日からか、或いは数千年も過去か。海底の砂は滑らかで、居心地は悪くなかった。否、そうでない。彼はここ以外を知らなかったのだ。 「どうして、僕はここに居る?」 呟いた言葉は水圧に潰され、何処へ届くこともなかった。暗い深海に、彼は己の存在をも疑い始めていた。 「僕は居るのか? ここに」 腕を持ち上げ、それを見ようとしたが、周囲の闇に呑まれ、分からなかった。彼は深い息をつき、目を閉じた。

          世界システム(起動)下

           夜が更けてからも、悠はひとり、研究室に残り、作業を続けていた。夕食は、とてもとる気にならなかった。明日報告する内容をまとめ、数式を黒板に書き写そうとする手が震えて止まらなかった。いかに精巧な報告をしようと、怒号が飛んでくる未来しか見えなかった。単なる恐怖ではない、もしかしたら教授が自分に抱いてくれているかもしれない小さな期待をすら裏切ってしまうのではないかと考えると、不安でたまらなかった。彼は常備しているカフェインの錠剤を四粒、飲み込んだ。別段睡魔に襲われているわけではなか

          世界システム(起動)下

          世界システム(起動)上

           悠はその日、正午を過ぎてから起床した。世間の勤め人からすれば、大層な寝坊であったが、一般的な理科系の大学院生としてはまずまずであった。  また今日がきてしまった。  そんな思いと共に鉛のように思い身体を無理に動かし、寝床から這いずりだして歯を磨いた。ペットボトルやビニール袋、衣服、書類が足の踏み場もない程の量で床を埋め尽くしていた。掃除をする、という考えにすら至らなかった。彼はただ、苦渋しか待ち受けていない日々に引きずられるようにして生きていた。寝ぐせのついた髪を直そうとも

          世界システム(起動)上

          中編作品と妄言

           先頃、とある中編小説が完成した。原稿用紙換算百四十枚と少しの小説である。もともと私はこれに「水中都市」という題をつけた。しかし、阿部公房氏の小説に同タイトルのものがあるのを思いだし、題を取りかえた。そして私はこれをタイムカプセルに封入し、約半年の期間熟成させることにした。九割九分九厘の確率でこれはそのうち、ここに放出されるだろう。かねてより計画中の長編小説と同様、発表できる日を楽しみにしている。  さて、中編小説が完成し、長編小説もの執筆も佳境に入ったことをひとつの契機と

          正義の贄

           旅人は大きな広場の中心で群衆に囲まれ、磔にされた男と対峙していた。男は必死の形相で何かを叫んでいたものの、湧き上がる歓声に圧し潰された声は誰に届くこともなかった。旅人は右手に鋭利に光る黒曜石が幾つも埋め込まれた木剣を、左手には翡翠の面を携え、自由意志を奪われたかのごとく佇み、働かぬ頭脳回路を焦がしながら己がこの場所に立つに至った経緯を他人事のように回想していた。  旅人がこの国に足を踏み入れたのはわずか数日前のことであった。  旅人は国境を越えた途端、たちまち警備の兵士に

          塔とクオリア

          「それで、この塔に関して、君のクオリアはどうだと言うのかね」 先生はそう言いながら、丁寧に一歩ずつ塔の階段を登る。私もまた、先生の歩調に合わせながら、ゆっくりと歩を進めていた。 「つまり、近未来的なんです。鋭利でやけに陽の光を反射するメカニカルペンシルのような」 「ふうん。高いかね」 「ええ。随分と」 「ふむ」 「いったいこれは何のメタファーなんでしょう」 「分からんよ。なにも私にだけ分からないわけじゃない。誰にも分からない。君のクオリアだからね」 先生から明確な解答が得られ

          終末絵図(侑依の場合)下

          「おお! いいね、屋上というのは。見晴らしは良好、そして物が少ない。人が入った形跡もなし。ヤッホー」 侑依は子供のようにはしゃぎながら手すりまで走っていった。彩花はそんな後姿を母親になったような気持ちで見つめていた。侑依は手すりまでたどり着くと、今度はずっと遠くを見据えたまま、動かなくなった。彩花はその背中に向かってゆっくりと近づいていった。わずか秋の到来を感じさせる風が吹き抜けていった。彩花は侑依と同じ方向に目を向けたが、彼女が何を見ているのか、分からなかった。凪いでいるよ

          終末絵図(侑依の場合)下

          終末絵図(侑依の場合)上

           西沢侑依は午前八時きっかりに彩花の家を訪れ、チャイムを鳴らした。中から返事が聞こえ、しばらくは厳重なドアロックを解錠する音が聞こえていた。やがて、制服をまとった彩花がひょっこり顔をのぞかせた。 「ニッシー。おはよ。なんか、久しぶりだね」 「やあ、彩花。一か月ぶり、かな」 「もう10月なのに、まだちょっと暑いね」 「そうだね」 二人は短い挨拶を交わすと、ひと気の無い朝の住宅街を歩き始めた。 「いきなりニッシーからメッセージきてびっくりした。それも急に学校行こうなんて。どうして

          終末絵図(侑依の場合)上

          王国の過渡期

           王国の昼下がりは平和であった。中央通りには露店が立ち並び、買い物客で賑わっていた。路地裏では手習いを終えた子供たちが二三の会話を交わして各々の家路につこうとしていた。それを野良猫がいかにもつまらなそうに眺めて欠伸をする。そんな平和な昼下がりであった。  石畳をコツコツと踏み鳴らしながら二人の兵士がそう大きくない画廊の前に立った。彼らが戸を叩くとそこの主人が表情を曇らせて出迎えた。 「これはこれは。ようこそいらっしゃいました」 「うむ。話は既に聞いているな?」 「ええ、聞いて

          遍在幻術師の罠

           諸君は遍在幻術師という存在をご存知であろうか。毎夜、私たちの枕辺に姿も現さずに立ち、呪詛を吹き込む存在である。日常に遍く存在し、在りもしない前提条件を建設してゆく存在である。真っ黒なスウツを着た、帽子を被った、顔の無い存在である。諸君が仮にこの名を聞いたことがないとしても、諸君は来る日も来る日も自覚無く、彼らと対峙しているのだ。彼らは今、巧妙な幻術を用いて、我らを隷属させようと働きかけているのである。彼らの計画が成就すれば、私たちは本当の世界から取り残され、恐るべき幻想の檻

          廃棄された言葉

           朦朧とした頭で私は首を擦りながら、船に乗った。船頭は無言のままに櫂を動かし続けた。川の面は鏡面のようで、そこにやつれた顔の男が一人、映っていた。それが自身だと分かるまで、私は呆けたように動かなかった。  私は何故ここに居るのだろう。  船頭を見た。彼は枯れ枝のような腕で船を漕いでいた。 「お前さん、やったね?」 「え? 何を……」 「ああ、まだ醒めていないか。幸せもんだそりゃ。苦しいぜここからは」 「この船は、何処に向かっているのです」 「王様の所さ。お前さんはそこで裁きを

          彼岸花

           夏の終わり、加菜子は祖母の家にいた。祖母は一年前に他界し、その家は今、空き家となっていたのであるが、訳あって大学を休学している加菜子の休養によかろうと母がひと月の間あてがってくれていたのだ。必要以上に他人に気を使う加菜子の性格ゆえ、その実家からひと駅先にある小さな一軒家に彼女は一人で生活していた。そしてこの静かな環境を彼女は好いていた。  その日も加菜子は昼近くに寝床から起き上がった。タンパク質と意識が融合した重苦しい身体を、彼女は一時間以上も持て余していた。思考の端に明