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米国でスタートアップの要職をやってたけどレイオフされてしまった話

気づけばもう半年以上前の話になりますが、2024年5月、Interim CTOやSoftware Architectとして頑張って働いていた米国でスマートホームを開発するスタートアップ「HOMMA」からレイオフされ、事業を離れることになりました。入社時の夢いっぱいのブログエントリーはこちらからどうぞ。

※ この記事は退職エントリーです。興味のある方だけお読みください。

何を作っていたの?

最終的にどんなものを作ってたの?と思われると思うので、開発したプロダクトのデモを貼っておきます。ちなみに、この動画を作ったのも自分です。私物のBlackmagick Pocket Cinema Camera 4Kを持ち込んで、ポートランドの寒空の下、1人で撮影&編集しました。

タッチパネルが壁一面にあったり、音声クライアントやアプリで操作するドヤ!っとしたスマートホームではなく、埋め込まれたセンサーが人間の動きを検知しながら、自然に生活を便利にサポートしてくれるような住宅です。また、事業と収益の肝はこういったスマートホームを超効率的に施工したりセットアップできるシステムやツール、各種デザインや施工フローのワンストップ提供サービスで、たとえマンション全部数百戸の施工となっても、既存の建築スケジュールにほとんど影響を与えることなく施工でき、さらに賃貸の場合は賃料プレミアムを乗せれて物件を高収益化することが可能というものです。実際にアメリカで複数棟のマンションを60室ほど施工し賃貸運用をしていましたが、賃料は周辺相場から20%プラスくらいは取れていました。我ながらそれなりに良いものを作れたんじゃないかなと思っています。

私はいわゆるファウンディングエンジニアでした。正確にはHOMMAという会社は私がジョインする前に一度大きなピボットをしており、チームをほとんど解散したあと、今の事業の最初のエンジニアとして入ったのが私です。
2018年末から6年弱、まだ事業計画も技術プロダクトも、何一つ会社に無いところから始まり、手探りでコンセプトやビジネスモデルを設計し、コードを書き、回路を設計し、エンジニアを採用してチームを作り、ソフトウェアからハードウェア、それこそ建築現場レベルでどうテクノロジーを施工プロセスに組み込むか?みたいな超低レイヤー(物理)なところまで、忙しくも楽しく、必死に作り上げてきました。最初に私が構想した世界観はまさにデモ動画で示したような居住体験で、それを仲間と作り上げる過程はとてもワクワクした楽しい仕事でした。

「現場」という言葉がまさに似合う職場
極寒の中、デバイスセットアップも自分たちで行います

このような背景もあり、HOMMAのプロダクトはある意味、自分の子供のような存在でした。そのためレイオフにより不本意ながら事業を離れないといけない状況はとてもショックな出来事で、自尊心や自信も大いに失いました。半年ほどずっとレイオフにあったことを、出会った人以外に対外的に報告できなかったのも、そういった心境によるものが大きいです。

しかし時代は空前の「レイオフされたぜブログブーム!」

実は「レイオフされてまじで大変でした」のtypesterさんは元同僚で、同じ会社の話です。またkubotaさんの「会社がなくなるタイプのレイオフ」に登場する「興味のある会社に勤めている友人に連絡したらその人も最近レイオフされていた」人というのはおそらく自分です😂

みんな辛いことがあっても前向きに頑張ってるんだなぁという元気と勇気をもらいました。そして自分も落ち込んで腐ったまま新しい年を生きたくないなという思い、自分の人生のチャプターをしっかり閉じるために、このエントリーを書こうと思います。ご興味のある方お付き合いください。

ちなみに性質上、どうしてもウェットな内容になってしまいますが、守秘義務を守った上での話しか書きませんし、元勤め先にネガティブな感情があるわけでもなく、今後もどうこう言うつもりも一切ありません。あくまで自分の記録と反省文になればと思います。

レイオフのあしおと

一般的にアメリカのレイオフは「ある日突然やってくるもの」だと思われていると思います。実際、告知はその通り突然来るのですが、会社組織として見れば別にその場の思いつきでバンバン人を解雇するわけじゃないので、レイオフの予兆というのは確実に存在します。

アメリカでの雇用は基本的にAt-will(自由意志雇用)です。従業員はいつでも、どんな理由でも仕事をやめれるし、逆に雇用主もやめさせることができます。ただし、その後訴訟やトラブルに発展すると企業側としても非常に厄介なので、実際にはアメリカとは言え、ある程度のビジネス上の合理性を持って解雇を行う必要があります。

まず、解雇の中でもFireと呼ばれる、いわゆるクビ、懲戒解雇の場合は、それなりの理由が必要です。悪事を働いたとかならわかりやすいですが、パフォーマンスを理由にする場合はそのトラッキングや、改善指導など、目に見える形で当人に問題があったエビデンスを残す必要があります。実際やるとなると、結構大変です(それでも日本よりは断然簡単ですが)

また、今回のような整理解雇(レイオフ)の場合は、業績不振や事業縮小、業務再編と言った、従業員個人に依存した理由ではなく、正当なビジネス上の理由が必要です。故に

  • 事業売上やキャッシュフローは大丈夫か?

  • 自分の仕事や部署は事業の売上に貢献しているか?忙しいか?

あたりは重要なポイントになります。
自分の働きと会社の期待値がちゃんと合っているか、常に注意しておく必要があります。

また、大規模なレイオフの前段階としては、役職の移動、要職や責任者の整理や離職などが先行する事が多いです。特にコスト削減的な意味合いが強い場合は、人件費の高い役職者から整理していくのは自然なことです。嫌な予感としか表現しにくい部分ですが、その違和感を感じ取ったら十分に身の振り方を考えておきましょう。

どうやってレイオフされるの?

前述のtypesterさんの話を読む限り、私がレイオフされたあと、最近大規模なレイオフが行われたようです。これは全社的な事業再編に伴うものでしょう。自分の場合は要職?(と自分で言うのもなんだかなという感じですが、実際にタイトルがあってレポートラインも持っていたので、いちおうは要職だったんだと思います)だったこともあり、チームのレイオフに先行しての単独でのレイオフでした。

真相はわかりませんが、レイオフされた理由は色々考えられます。スマートホームのように物理からクラウドまで、かなり広い範囲の開発を必要とする仕事には、私のように何でも作る&作れるエンジニアというのはピッタリでした。ですがどんどんチームが大きくなるにつれ、私が強みを発揮できる分野が少なくなって行きました。私は何も無いところから問題を解決していく0→1タイプのエンジニアで、同時にビジネスの立ち上げもそれなりに得意なので事業の0→5あたりが超得意な人間です。一方で、手を動かしながら問題を解決していくタイプなので、実装の前段階での長い時間をかけた設計書やドキュメントの作成、大人数でのレビューや社内での様々な役職の人々との合意形成などは苦手でした。求められた役割だけにフォーカスしてコツコツとタスクをこなし、事業を成長させる1→100役割には向いていませんでした。

その上、アメリカの会社はチーム戦です。マルチプレイヤーであることよりも、特定分野の専門プレイヤーに徹する事を求められます。私のように色々やる人間は最初は便利なのですが、分業が進むと俗人的かつ中途半端で厄介だったのかもしれません。また、意外かも知れませんが、アメリカの職場では基本的に権限を持った人間にYesと言うことが求められます。日本よりもある意味、社内政治的なパワーバランスへの調整や配慮がすごく求められる文化があるように思いますし、そういうルールのゲームなのだと同僚には言われました。タイトルと言うのは重いです。自分はその辺りの立ち回りや根回しも苦手で下手でした。

そういった事情もあり、チームが大きくなると、アメリカの大きな企業から転職してきたメンバーとの価値観や働き方、考え方の違いが生まれ、コミュニケーションが上手くできずに悩むようになりました。指揮する人が複数人いるとチームも混乱するので、最終的には私が開発現場から外れて全社的な先進技術調査を担当する1人部署になり、その後、事業再編の過程でその役割ごとレイオフされたという感じです。

レイオフの瞬間は今でも覚えています。社長との1 on 1だったのですが、Zoomに入った瞬間に人事担当者の人も入ってきました。

「あれ?URL間違えましたか?ごめんなさい」
「いえ、これで合ってます。」

この瞬間にすべてを察しました。正直予見もしていましたし、会社側も色々考えての結論だと思います。私が担うべき役割が必要だったフェースが終わったという事でしょう。

レイオフの通告は失言をしないよう、極めて事務的に行われます。雇用の継続が難しく、私には選択権が無いこと。雇用保険の自費での任意継続が可能なこと。退職金が支払われること。いままでの事業への貢献に感謝しているということ。ネットで読んだことのあるような事項を淡々と説明されました。

最後になにかありますか?との事だったので、会社も色々と考えての決断だと思うのでそれを受け入れる考えであることと、ここまでプロダクトを開発してこれて本当に楽しかった事。このプロダクトを多くの人に届けてほしいというお願い。雇用を通してグリーンカードを取得できたことには心から感謝していることなどを伝えました。

ミーティングが終わったあとすぐに、GoogleやGithubなどすべてのアカウントは停止され、SlackからはBANされました。メンバーにお別れも言えないというのは本当なんだなと思いました。

アメリカのスタートアップで働けてよかったこと

最後はちょっと切ない終わり方ですが、この6年半、アメリカのスタートアップで働けて良かったなと思うことは沢山ありましたし、人生の経験やスキルやアセットを大いに伸ばすことが出来たかなと思っています。

グリーンカードの取得

紆余曲折10年、やっとグリーンカードを取得しました

グリーンカード(米国永住権)を雇用先を通じて取得できた事は大きな成果でした。私も妻も米国で働くエンジニアですが、滞在&就労ビザのステータスはあくまで雇用に紐づくもの。職業選択はとても限定されますし、常にビザの残り期間や勤務先を気にしつつ、人生設計が狂った場合の国外退去というリスクを意識して生活しなければいけません。そのストレスは経験した人にしかわからないかも知れませんが、本当に大変なものです。私も妻もビックテックで腰を据えて職業エンジニアというタイプではないので、仕事は常に流動的でした。本格的に渡米して10年、私のビザで妻の就労許可を支えたこともありますし、妻のビザで私の就労許可を支えて貰ったこともあります。実を言うと、HOMMAでの就労に関する資格は妻の配偶者として取得したものでした。つまり妻が仕事を失えば、その瞬間に私はHOMMAで働けなくなるという事です。この状態で会社サポートで永住権を申請してもらい、色々あって3年ほどかかりましたが、コロナ禍を経て2023年4月についにGCを取得することができました。

ちなみに凄いのが、我々夫婦がグリーンカードを取得した1週間後、なんと妻が勤務先をレイオフされてしまいました。映画かよってくらい本当に間一髪、超綱渡りのビザ奴隷人生からの脱出劇でした。

英語での仕事、マネジメント経験

当たり前ですが英語での仕事は本当に大変でしたが、自分が成長する良い機会になりました。自分は元々英語が全然出来なかったですし、今も苦手意識は多分にあるのですが、少なくとも今後アメリカでどんな事が起こっても英語でコミュニケーションを取って問題を解決しながら生きていけそうだと思えるくらいにはなりました。以前は英語を読んで理解するのが精一杯でしたが、仕事を通じてディスカッションをしたり、交渉事や駆け引きみたいなことも出来るようになったのは大きいなと思います。ランチタイムの雑談も普通に出来るようになったのは地味に嬉しかったです。やはり場数を踏むのは大切ですね。
一方で単なるエンジニアからマネジメントラインに仕事が上がると、要求される英語のスキルも大きく変わり、自分はまだまだ全然できていないなと痛感することが多かったです。エンジニアであれば指示された内容を理解して議論しつつ実装すれば仕事は終わりですが、マネジメントでは相手を説得したり、信頼を得たり、味方につける英語というのが必要です。こういった部分はソフトスキルも含めて、もっと練習しつつ学んでいかないと行けないなと思っています。

フィールドエンジニアリング

オレゴン州ポートランドのタワマン建築現場にて

不動産にテクノロジーを導入する仕事という性質上、その名の通り現場が動いて来てはくれないので、自らチームとアメリカの様々な現場を駆け回ってシステムの調査や設計、設置、設定などを行いました。建築現場には建築現場のルールや習慣があり、色んな事を学ぶことができました。連日現場に通ってると建築現場の様々な関連事業者のおっちゃんと仲良くなったり、施工方法や建築関連の技術を学べたり、テクノロジーを使うともっと効率的に出来るのになぁというビジネスチャンスに気づけたり、現場には本当に色んな情報が溢れているなと思いました。まぁ、これは自分のエンジニアとしての気質の部分が大きいのですが、現場至上主義すぎたのも社内で上手くコミュニケーションが取れなくなっていった要因なのかもしれません。現場では常に想像を超えた理不尽な事が沢山発生していて、それも含めて解決するのがエンジニアリングだと思っています。それ故に、ロジックでは説明できない部分を現場を見ていない人に丁寧に説明して支援を得るのが下手だったなと反省しています。今後は心に余裕を持って、伝え方を工夫していこうと思いました。

日本製品の米国進出

現場近くのAirbnbで照明コントローラのセットアップ

スマートホームの主要機能であり、デバイス数が多く細かい制御が必要な照明機器に関しては、APIや内部技術情報の開示だけでなく、製造やプロキュアメントまで責任を持って一緒にやっていただけるパートナーが必要だと考えました。ほぼ世界中の主要製品をベンチマークした結果として、私が考える中で最も費用対効果が高く信頼性が高い製品としてアイリスオーヤマ社の開発する業務用LED照明「LiCONEX」をどうにかアメリカでも使いたいと考え、社内を説得して仙台のアイリス本社工場に出向いて直談判をさせて頂くために訪問しました。結果としてアイリスのチームの方々も私達の考えや描く未来、現状の建築現場やスマート照明の問題に共感して頂き、業務提携を締結してアメリカでの製品提供を全面的にバックアップして頂けることになりました。ここですごいのが、今売ってる製品をそのまま出荷するわけではないのです。アメリカにはアメリカの大変厳しいULに代表される認証や建築法令基準がありまして、それを全部解決するために、なんと我々向けに専用のモデルを開発して頂いたのです。アイリスの懐の深さに感動した出来事でした。その後、同社のLiCONEXの採用は順調に進み、今もアメリカの家庭を日本の技術で照らしています。素晴らしい技術を米国に持っていくことができたいのは、私としても良い経験になりました。この場を借りてアイリスの皆様に改めてお礼を言わせて頂きたいと思います。

エンジニアを日本からアメリカに送り出せたこと

チームが小さいときは合宿みたいな事もよくやりました

チーム拡大前の初期のエンジニアメンバーには日本に住んでいる人も含まれました。前述の話にも繋がるのですが、フロントやバックエンドだけでなく、インフラやアプリなど幅広い領域を担当できるフルスタックに近いエンジニアというのは、分業&専門化が進んでいるアメリカで採用することは非常に困難です。アメリカでフルスタックエンジニアというと、本当になんでもできる超少数の優秀なグルみたいな人か、スクール出のジュニアしか居ません。なぜなら一部の人間を除いてフルスタックエンジニアとして一般的な企業のジョブロールで給料を上げていくことが困難だからです。何でも手広くできるエンジニアって日本の方が多いような気がします。幸いHOMMAには大変優秀なフルスタックの若手エンジニアがジョインしてくれました。時間はかかりましたが最終的に彼らがビザを取得する手助けができ、アメリカに送り出せたことは良かったなと思っています。アメリカで働くことはビザ的に非常に難しくなっている昨今ではありますが、自分が苦労した分、これからもアメリカに出たい若手エンジニアを出来ることから支援していけたらいいなと思います。

辛かった事&次に活かしたい事

レイオフされた人に連絡する

大規模なレイオフが発生したとき、レイオフ対象者同士の謎の一体感と言うか祭りのような盛り上がりがあります。誰が切られて誰が残っているのか?パッケージは?再就職先はどうするか?などなど。一方で単独でレイオフをされた場合は、そうやって盛り上がる相手は誰も居ません。ただ1人孤独にSlackから外されるだけです。私の前に単独でレイオフにあった人もいましたが、正直そういう人にどう声をかけていいのか、当時の私にはわかりませんでした。自分が単独でのレイオフを経験して今思うことは、もしレイオフされた人との関係が大切だと思うなら、ぜひ自分から率先して連絡してあげてほしいという事です。レイオフされた側はまぁ仕方ないかという気持ちもある一方で、やはり多かれ少なかれショックですし辛いです。また、レイオフされたということは、レイオフを計画した人、人選した人、決定した人が存在するということなので「一体誰に会社を追い出されてしまったんだろう」と誰を責めるわけでもなく考えてしまいますし、疑心暗鬼に陥ります。そうなると、自分からは怖くて元同僚に連絡を取りにくくなってしまいます。自分はまさにそういう状態で、私のレイオフを知って心配して自主的に連絡してきてくれた同僚以外には、自分から連絡を取ることが怖くて出来ませんでした。逆に、連絡してきてくれた人たちには大いに救われました。もし今後、大切な仲間がレイオフに合うことがあれば、私は自分から率先して連絡してあげる人になりたいなと思いました。

先人へのリスペクトを持つ

これはチームが大きくなったときに辛かったことです。また、日米限らず、どんなスタートアップにも訪れることだと思いますが、事業が大きくなって人数が増えてくると、立ち上げ時のプロダクトや実装の不備、組織や仕組みの至らなさが、新しくやってきたメンバーに混乱を与えるでしょう。新しくやってきたメンバーは口を揃えて、もしくは口に出さずとも態度で「なんだこのクソ実装は」「ドキュメントの1つも無いのか?」と先人を非難します。これは仕方の無いことだし、私も若いときには同じような事をしました。ただ、ファウンディングから携わっていて思うのは、スタートアップの開発は「常に75点を取り続ける」仕事だと感じると言うことです。ここでの75点というのは母校の高専の点数基準から来ていて、80点以上で優、70点以上で良、60点以上が可で、60点が赤点でそれ以下は単位を落とすという、体に染みついた肌感によるものです。スタートアップのファウンディングはお金も無ければ時間もないし、人は居ないのにやることは山のようにあるという大変な状況です。リソースを適切に配分し、その中でも「悪くないし、いいじゃん!」と思える「75点」くらいの成果を常に出し続けることで、事業の最初期は立ち上がるものじゃないかなと私は考えています。で、事業が立ち上がれば人もお金も付いてくるわけなので、その時にまた考え直し、出来なかった事を取り戻せば良い。なんなら金になる事業をやっと見つけたわけなので、そこから作り直してもいいとすら思っています。本当に作るべき事業を見つけるまでは、とにかくフレキシブルに、悪くない成果をしっかり出し続けることが大切だと考えています。

ただ、そんな事情は後から来た人には関係ありません。そこにあるのは足りない25点分の至らないダメダメなクソであり、先人の能力を否定して力不足を指摘する材料としては十分です。実際に迷惑をかけているので何も言えないです。

アメリカの会社のカルチャーというのは基本的にこれの繰り返しだと思っています。過去を否定し、新しいリーダーの提案とプランで素晴らしいイノベーションを実現する、ということが求められます。正直そっちの方がやりやすいです。ストーリーもわかりやすいしね。私もそう言うのがかっこいいな、あるべき姿だなと思っていた時代がありました。

ただ、どちらも経験した身からして、創業期には創業期の苦労と、そうならざるを得なかった理由がある事を身を持って痛感しました。不備があったとしても、仕方なくそうなってしまった事も沢山あります。その先人の努力と、踏ん張って出した成果の上で今のPMFがあるのですから、もちろん全肯定すべきとは思いませんが、その理由をちゃんと理解してリスペクトを持って接する方が良いなと今は思います。歴史的経緯、技術的負債、そりゃありますよ。仕方ないです。

人は1人では何事も成せ無いと思っています。もし自分が今後、誰かの事業をフォローする立場になったときは、ぜひその事業を立ち上げた人々へのリスペクトを持って、より良いものを一緒に作って行けるように頑張ろうと思いました。

対話を恐れない、逃げない

これは自分の中での大きな反省の1つです。会社内でエンジニアリングの事を正しく非エンジニアのステークホルダーに伝えて理解を得て進めていくというのは一般的に大変なことです。母語である日本語でも難しいスキルですが、ネイティブを相手に英語でディスカッションをして理解を得ていくというのは本当に大変でした。なかなか理解を得られず不毛に時間が溶け、責められ続けることに何度も心が折れる事があり、最終的に完成すればいいでしょ、動けば文句ないでしょ、自分に任せてください、と対話から逃げて引き取った事が何度もありました。もちろん引き取ったものは約束通り完成させましたが、完成させたところで評価されるものでなく、むしろ前述の「25点」の至らない部分を減点され指摘され続けるという悲しい結果になりました。マネジメントというのは大変です。担当領域の成果を出してまずは0点。そこから色んなステークホルダーを巻き込んで相乗効果を生みながらみんなで意欲的に成果を出して初めて加点です。ストレスが多分にあった環境だったという言い訳はありつつも、やはり対話を恐れて、ある意味途中で専門領域に逃げてしまったことは反省すべき点でした。英語が苦手であっても、たとえばドキュメントや資料を事前に沢山準備するであるとか、もっと頻繁にコミュニケーションを取りながら相手との信頼関係を築くであるとか、いろんな方法はあったと思います。今回の大きな反省を糧に、次から頑張っていこうと思います。

HOMMAの事業、その後と現在

前述のtypestarさんのブログや人伝に聞くところによると、私がレイオフされたあと、半年ほど引き続き大きなチームで開発を進めたが、色々な事情があってエンジニアリング部門以外も含めて多くの人が昨年末にレイオフされてしまったそうです。ただ、レイオフというのは悪い話ばかりではなくて、事業にとって必要なものと不必要なものを見定めて、より良い体制や成果を作るために必要な事だと思っています。事業や会社に取っては痛みを伴うものの、むしろプラスのアクションと言えるでしょう。少なくとも、プロダクトとしては良いものが出来たという自信はあるので、事業が広がっていくと良いなと思っています。

先日もプレスリリースが出ていましたが、今年は日本でもビジネスを展開して大日本印刷さんと組んで1000室あまりを提供するらしいです。また、新しく資金調達も決まったみたいです。おそらく日本でも採用が始まるんじゃないかなと思いますので、興味のある人は情報を追ってみてください。

正直、少し疲れてしまった

生きるのに少し疲れてしまったなという気持ちが正直あります。今までのエンジニア人生、色んなものを熱量を持って1から作り上げ、売上を作り、チームを大きくし、そして事業が大きくなると自分が会社を去らなければいけなくなると言う事を繰り返してきました。我ながら成功率というかヒット率は結構高めだと思いますが、こうやって生きていく人生の最後に残るものは何なんだろう?と考えてしまう自分が居ないと言えば嘘になります。かといってサラリーのためと人生を割り切って職業エンジニアに徹することも自分にはどうやら難しそうです。誰かのためや面白い未来のために、エンジニアリングを使って事業を立ち上げる。こんな面白い事は他にありません。これから訪れる人生後半戦、どうやって生きていくべきなのか、一度立ち止まっしっかり考えて見ようと思います。

面白いプロジェクト、ぜひお声がけください!

レイオフ後は疲れて色々と思うことがあり、GCも取得できたので人生初の「働かないアメリカ生活」というのを堪能しました。ビザで滞在するということは、常に働き続けないと行けないということ。走り続けた10年だか15年間でしたが、ここに来てやっと立ち止まることができました(そのかわり貯金は消えました)

今はアメリカで暮らし続けたいという希望と、ずっとワイフワークとして取り組んでいるSUNSET CELLARSのワイナリー経営とワインづくりに集中したいという目標を持ちつつ、やはり自分のアイデンティティとしてエンジニアという部分は常にどこかで持ち続けたいなと思っています。

フルタイムのお仕事は探してはいませんが、いくつかお声がけを頂いた業務委託のプロジェクトに関して仕込みを始めています。心機一転、楽しい2025年になればいいなと思っています。

自分のスペックはこんな感じです。

  • グリーンカード有り。合法的にアメリカでも日本でも働けます

  • ハードからソフト、アプリからクラウド、ネットワーク、AIの活用や電子回路設計まで一通り何でも出来ます&作れます

  • 建築、農業、酒、食品、流通、映像、金融&決済、いろんな分野のドメイン知識を持っています

  • ビジネス設計が得意でプレゼンが好きです

  • Linked In はこちら https://www.linkedin.com/in/kyoro/

もし私にお手伝いできるような面白いプロジェクトがあれば、ぜひお気軽にお声がけくださいね。

2025年も何卒よろしくお願い致します。

追記: ワイナリーを経営しています

アメリカでエンジニアをしつつ、カリフォルニアの小さなワイナリーを個人でお金を出し合って買収し、ワイン造りに仲間と取り組んでいます。エンジニアが経営する面白いワイナリーなので、よかったら記事を読んでみてくださいね🍷





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井上恭輔(きょろ)
記事をお読み頂きありがとうございます。アメリカで暮らしながら色んなものづくりにチャレンジしたり、趣味で様々な個人プロジェクトや個人サービスの開発や立ち上げを行っています。こいつ面白いなと思ったら、ぜひ応援をよろしくお願いします!

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