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「普通の人」なんていない。関係性を調節しながら、心地のいい環境を作ろう
わたしの身内は、みな個性が強い。
自己主張がすごかったり、片づけができなかったり、酒グセが悪かったり……。
付き合うほうはとても大変で、「いい加減にして……」と思うし、距離を置いてしまうのだけど、ふと思ったことがある。
「普通の人なんていない」
「みんなどこかしら、おかしな部分を持っている」
「いびつな部分を持っていることが、『普通』なんだ」
と。
「自分って普通じゃないのかな?」という悩みは不要
わたしはとてもメンタルが弱い。
以前パートをしていたときは、1ヶ月のうちに何度か、出勤できない日があった。
玄関で立ち尽くしてしまい、「行かなきゃいけないのに、行けない」という状態になる。
そんな自分を「おかしい」「普通じゃない」と責めていた時期があった。
「みんなと同じようにできない。なんで?自分っておかしいよね」
と。
それから何年も経った今。思うことがある。
「『普通の人』なんていない」
「みんな、何かしら人より秀でていて、何かしら人より劣っている」
と。
メンタルが弱く、パートは続かないわたしだが、勉強はまったく苦ではない。
こうやってブログを書くことも楽しくて、この点に関しては、人よりも秀でている部分だと言えると思う。
「多くの人ができること」ができなくても、自分の楽しみを持っているので、自分は幸せだと思う。
「できること・できないこと」には、個人差があるのが当たり前。
「主婦なのに、料理が好きじゃない自分はおかしい」
とか、
「学校が嫌いな自分は、普通じゃない」
といった判断が苦しみを生んでしまう。
「普通か、普通じゃないか」という判断自体を手放したほうがいいのだと思う。
そもそも、普通って何?
「そもそも、普通って何?」と思ったので、「普通」について考えてみた。
「普通は〇〇だよね」という話をする人がときどきいるけれど、それって、
「その人が当たり前だと思っていること」
「その人たちが関わっている人たちの中での常識」
だと思う。
付き合う人を変えたり、生活する場所を変えたりと、ちょっと環境を変えたら、「普通」はあっけなく変わる。
「普通は〇〇だよね」と言っている張本人の意見が、超偏っていることもある。
だけど、「カリスマ性があるから、声が通ってしまう」みたいな状況だってあり得る。
カリスマ性のある人が、「普通の人って〇〇だよね」と言っただけで、それがみんなの常識になってしまい、破滅の方向に向かうことだってあるのだ。
そう考えると、「これがみんなの普通だから」と盲目的に信じるのは危険だ。
「その環境でしか通用しない常識」も、たくさんあるのだから。
自分の頭で考えて、その意見に乗るのか、それともやめるのかを決断する必要がある。
「普通か、普通じゃないか」という判断で自分の行動を決めるのではなく、
「それが今の自分に合っているのか、合っていないのか」という判断で、決断をしたほうがいいと思う。
人は、欠けている部分や、尖っている部分があるのが当たり前。
おかしな部分があるのが「普通」なのだ。
いびつな自分を否定するのではなく、うまく関係を整える
ただ、みんなが尖った部分をむき出しにして生きていったら、衝突が起きると思う。
すべての人が、
「これがわたしの常識ですけど、何か?」
「わたしは、わたしとして生きていくから、自分を曲げないよ」
という姿勢で生きていったら、大変なことになるかもしれない。
(実際にそうなっていないから、わからないけれど)
無用な衝突を避けるために必要なことは、
「関係を調整すること」
だと思う。
いびつな自分を否定したり、無理やり変えたりするのではなく、人との関係のなかで、折り合いをつける方法を探すことが大切。
うちの夫は、運転が荒い(笑)。それに、頑固なところがある。
何度か、運転のことを指摘したところ、「余計なことは言わないでほしい」と大げんかになった。
運転のことに関して、わたしはとても嫌気がさしており、それを理由に、本気で離婚しようかと思うくらいだった。
でも、夫の「融通のきかなさ」を受け入れることにした。
その代わりに、夫の車には極力、乗らないことに決めた。
「お前が悪い」「あんたの考え方は普通じゃない」というやりとりをしても、関係が悪くなるだけ。
お互い、指摘して直るならいいが、関係が悪化するばかりなら、関係性を変えるときが来ている。
うまく折り合いをつけていこう。
その環境のなかで気持ちよく過ごせればいい
「普通か、普通じゃないか」という判断を手放して、
「今いる環境のなかで、心地よく過ごすにはどうしたらいいか?」
を真剣に考えるのがいいと思う。
相手の個性や大切にしていることを尊重しつつ、自分の個性や大切にしていることも、尊重する。
それができれば、必要以上に衝突しなくて済む。
わたしの父は酒グセが悪く、飲んでいる時間が長くなってくると、わたしの人格を否定し始める。
でも、酔っていないときは、「いい父親」だ。
酔っ払って人を批判する父をどうにかしたいと、いろいろとやってみたが、一向に直らない。
そこで、21時を過ぎたら、自分の部屋にこもることに決めた。
酔っ払っていなければ、「いい父親」なのだから、そのときにだけ付き合えばいい。
そう思ってから、父に振り回されることが減った。
こうやって、お互いのいびつな部分とうまく付き合っていくようにすればいいのだと思った。
「普通か、普通じゃないか」と相手のアラを探すのではなく、お互いの凸凹を尊重しながら、共生していく道を選ぶ。
関係を調整していくことが大切なのだと思った。
「普通、普通じゃない」に縛られない生き方を目指していこう。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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