「不登校=社会性が育たない、将来、困る」ではない
小学2年生の女の子を育てています。
幼稚園の頃から集団生活が嫌い。登園拒否がありながらも、なんとか卒園。
ですが、小学校に入ってからは、かなりの困難を感じるように。
小2になり、本格的な不登校に突入しました。
幸いなことに、母であるわたし自身が、不登校経験者。
高校1年から3年まで、ときどき学校に行き、ときどき教室、ときどき保健室。
それ以外のほとんどを、図書館で過ごしました。
図書館が9時に開館すると同時に、席を確保。
本を読んだり、勉強をしたりして、閉館の18時まで滞在。
その後は、市が運営する情報センターで21時まで過ごしていました。
実家は寝るだけの場所。
それは、親子関係がメチャメチャだったから。
その辺は、「複雑性PTSD」に関する記事で書いていきますので、割愛します。
そんな不登校のわたしだからこそ、伝えられることがあると思っています。
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さて、むすめの不登校について。
わたし自身は、それ自体についてあまり問題視していないんですね。
単純に、「学校というスタイルが、むすめの性格や個性に合っていないだけ」だと思っているので。
でも、うちの夫は、そう思えないようなんです。
「学校に行かなければ社会性は育たない」
「学校に行かなかったら、将来、困る」
としょっちゅう、口にしています。
でもですね、これは、ちょっと違うと思うんです。
「学校に行かなくても、社会性が育つ場合はあるし、学校に行かなくても、将来、安泰で生きていける人もいる」
と、わたしは思っています。
実際に、わたしは、それなりに社会性はある(つもり)ですし、専業主婦である今、幸せなんです。
「不登校だと、不幸になる」みたいな、短絡的な発想は危険だと思います。
問題なのは、不登校になった原因の部分であり、たとえば、「いじめられた」とか、「勉強についていけなくて、劣等感でいっぱいになってしまった」といった、心の傷の部分だと思うんです。
こういった傷が癒えないまま、不登校期間を過ごし、血をダラダラ流しながら、就職していく……。
それで、さらに傷を負って、仕事をやめて引きこもって……。
それを周りの人が勝手に、「やっぱり、学校に行っていないと社会性が育たないし、将来、困るのよね」と結論づけてしまっているだけの場合も、たくさんあると思うんですね。
大切なのは、「不登校だと将来、困るから、とにかく学校に行かせなきゃ」と子どもを追い立てることでなく、
「学校に行っていない期間に、どう過ごすか」
「学校で負った傷をどう癒していくか」
というのを真剣に考えた上で、
「これからまた、学校に行ったほうが、その子のためなのか」
「それとも、ほかの環境を探してあげるのがいいのか」
をニュートラルに判断していくことだと思います。
わたしは、今、あえて「専業主婦」を選んでいますが、パートをしていた時期もあります。
友達もちゃんといます。
人並みに、悩みながら、平凡な幸せを手に入れました。
不登校だから、不幸?そんなことはありません。
むしろ、今、「学校に行きたくない」と苦しんでいるむすめの、最大の理解者でもあります。
自分が苦しんだからこそ、人の弱い部分を理解することができる。
それは、エリートコースを進んできた人たちとは違った、自分の強みになっています。
(どちらがよくて、どちらがダメ、というわけではないですよ)
不登校経験は、強みになります。
ドロップアウトする経験は、若いうちにしておくと、人生後半が、イージーモードになります。心の傷から立ち直れば、挫折にも強くなります。
わたしの人生に歯止めをかけているものがあるとしたら、それは「不登校経験」ではなく、「不登校になるほど、追い詰められた経験」だったんです。
その辺を混同してしまうと、子どもが学校に行かなくなったときに、
「どうしよう、どうしよう」とうろたえて、「この子が不幸になってしまう」という発想になってしまうのではないでしょうか。
(実際、わたしも心の余裕がないときに、そうなってしまうんですよね)
そんなわけで、「不登校=社会性が育たない、将来、困る」という単純な話ではないことを、ご理解いただけたらと思います。
社会性がないように見えるのは、なぜか。
学校に行かないことで、なぜ、将来、困るのか。
親御さんが、子どもをしっかりと観察し、自分の頭で考えることが大事なのだと思います。
「わかりやすい答えがあったらいいのにね」と、いつもわたしは思ってしまいますが、そうはいかないのが、つらいところ。
でも、それが子育ての醍醐味でもあるんですよね。
深刻になりすぎず、子どもの小さな成長を、楽しんでいきましょう。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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