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人は生まれ 育ち 老いて 死んでいく 人は生まれ 知識を得て 能力を育て 能力を失い 体が弱り 死んでいく 得ては 失う この命 生死は いちどかぎりではない わたし達は 日々 新たな考え方や行動を身につけ 新たな自分が生まれる その代わりに 古い心のクセや行動を失い 古い自分が死んでいく わたし達は 生きることと 死ぬことを繰り返す 何を生かし 何を手放すのか 本当に命を失うまで 小さな生死を繰り返し 新しい自分を生
「がんばって」 あるとき その言葉を聞いて 「うるさい」って思った もう いっぱいがんばってるのに 「がんばって」 あるとき その言葉を聞いて 「よし、がんばるぞ」って思った ちょうど 気合いを入れてほしかったから 「がんばって」 あるとき そう言ったら 不安そうな顔をされた もしかして 「きっと 大丈夫だよ」って言ってほしかったのかな 「がんばって」 あるとき そう言ったら 「任せといて」という言葉が返ってきた そう言えば 彼は
気付いたら わたしは種で 気付いたら わたしは地面に根を張っていた 根を張る場所を選ぶこともできず 降りそそぐ 強い陽の光や 激しく振り続ける 雨を受け それでも 種でいることをやめられず ただ 根を深く深く のばした あるとき わたしの枝が折れた その枝の先には つぼみがあった わたしは つぼみを失い 花を咲かせることができなかった しばらくして 別の枝に つぼみができた それは すくすく育ち きれいな花になった けれど 花が
心が荒むようなできごとが 続く毎日でも 心が荒むようなできごとが なくなりそうにもなくても 明るいほうを見ていたい 明るい言葉を発していきたい 明るい気持ちで過ごしたい いつか きっといいことがあるから 明るい気持ちで蒔いた種は きっと 素敵な花を咲かせるから ーーーーーーーーーー 最後までお読みくださり、ありがとうございました。 ブログ『満たしのキョロ』を運営しています。よろしければ、こちらもどうぞ。
お母さんがくれたお守り ずっと握りしめて 生きてきた お母さんの 「あなたはいい子だね」 という言葉 わたしがずっと大切にしてきたこと 「いい子でいれば わたしは大丈夫」 でも あるとき いい子でいることがつらくなった 自由に気持ちを表現したい 自由にどこかへ行きたい 自由に決めたい お守りが「呪い」になった いい子でなければ いい子でなければいけないのに 本当のわたしは 自由を望んでいる ねえ お母さん お守りを手放していいかな
彼氏といるとき 「かわいらしい自分」の仮面をかぶる 友達といるとき 「親切な自分」の仮面をかぶる 子どもといるとき 「包容量のある自分」の仮面をかぶる 見ず知らずの人が近くにいるとき 「笑顔が素敵な自分」の仮面をかぶる そして、 ひとりになると 仮面をはずす あまり かわいらしくもないし あまり 親切でもない 包容力もないかもしれない あまり 笑わない 仮面をはずすと 気持ちがすーっと楽になる どんなときも こんな自分でいられたらいいのに でも 仮面をは
わたしには価値がない 物心ついたときには これが心に染み付いていた 価値がないから 努力しなきゃ 価値がないから 価値がある人みたいな成果を出せるように 誰よりも努力しなきゃ がんばって がんばって がんばって。 そしたら ちょっとだけ 成果が出たんだ でも わたしに価値がないことには 変わりがなかった もっとがんばりなさいと 親は言うし 先生も もっとこうしたほうがいいよ と言う いつになっても どんなにがんばっても 価値あるわたしには なれそうもない
わたしらしさって なんだろう 「今までのわたし」の延長が わたしらしいのだろうか 今までのわたしは 控えめで ニコニコしていて 自分より周りを優先するわたし これが わたしらしさなのだろうか ある日 わたしが 言いたいことを言って 笑ったり怒ったり いろんな感情をあらわにして 周りよりも まず自分を大切にするようになったら みんなは 「あなたらしくない」 って言うのだろうか 「個性」って言葉は かっこいい気がしていたけれど 今はまるで「鎖」のように思える 「あ
買い物に行った ワンピースを買って バッグを買って ピアスも買って。 抱えきれないくらいの 大きな袋を持って 家に帰ってきた でも わたしの心は満たされない 本当は ほしかったものなんて なんにも手に入らなかった あの人の「心」 みんなからの「羨望の目」 お世辞じゃない「褒め言葉」 かわいい格好をして うらやましがられるような生活をして そしたら きっとほしいものが手に入ると思ったのに わたしが買おうとしたのは 「理想のわたし」だ 理
「成長したね」 親や先生に言われる うれしい うれしいけれど 目に見える成長や 親や先生が認める成長だけが すばらしいわけではない まったく目に見えない成長もあるし 世間では評価されないけれど 本人にはとても大切な成長がある 評価される成長 評価されない成長 「評価」に縛られて 本当はどうでもいいようなことに 時間を割いて 本当は大切にしなければいないことを ないがしろにしてしまう 成長は自由であっていい 誰かと比較する必要もないし 周り
自由になりたい そう思うとき わたしには 「本当はこうしたい」 という思いがあって でも できないから 「自由がない、自由がほしい」 と思ってしまう 「本当はこうしたい」 という期待や希望がなかったら わたしは こんなに苦しまずに済んだのに 「もうこれでいいや」 って思えたら すごく楽で 悩まなくて済んだのに 「もしかしたら 自由が手に入るかもしれない」 と思うから苦しむ 「自分は不自由だ」 と思う 「自由」と「不自由」のあいだを
幸せってなんだろう いい天気で気持ちがよかった 作ったご飯がおいしかった おしゃべりが楽しかった わたしにとって 幸せって ほんのささいなことで いつでもそばにある でも そんなささいな幸せは ほんのささいなことで 台なしになってしまう イライラをまき散らす他人 言うことを聞かない子ども やることがたくさんあっていっぱいいっぱい 幸せなことは 日常にたくさん転がっているけれど 幸せじゃないことも 日常にたくさんたくさん転がっている 幸せと
両親は わたしが期待するような親ではなかった 好き勝手に行動して 好き勝手なことを言う 親ってそういうものなんだっけ 親って 子どもを想って行動して 子どもにあたたかい言葉をかけて もっと愛情を注いでくれるのだと 思っていた なんで自分の親は こんなにわたしにつらく当たるんだろう わたしは愛されていないのではないか もっとがんばらなきゃいけないのかな そんなことが頭をもたげるけれど あの子は何にもしていなくても 愛されている わたしだけ な
将来の夢は? かつて何度も聞かれたこと 先生や親や、友達が 何度も何度も聞いてくる 「夢?わたし、“あたたかい家庭”が持ちたいなぁ」 こんなことをボソっとつぶやいてみる 友達は「えっ?」という顔をしながら言うんだ 「もったいないよ」 「もっとすごいことできるよ」 「あたたかい家庭を持つなんて、夢じゃないよ」 って。 「夢」ってなんなの? 夢に、「正しい」とか、「間違ってる」とか あるのかな? 夢 それは、 みんなから認められるじゃないといけなく