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大人になってから分かった『古畑任三郎』の5つの魅力
先週、放送30周年記念ということで『古畑任三郎』が再放送されていた。第1シーズンの放送時、私は9歳。小学生の頃、怖いもの見たさからサスペンスドラマを見ていたのを思い出した。
当時、サスペンスドラマの代表格は『火曜サスペンス劇場』だった。″タラりらタラりらタラりらタラらららんっ!″でお馴染みのオープニング曲は今思い出しても怖くなる。あの曲を聞くと胸が締め付けられるようで、子どもながらに危機迫る感じがして怖かった。その恐怖を乗り越えて見るのだが、最後までちゃんと見ていたわけではない。子どもにとって刑事の推理シーンは難しくて退屈だし、内容をあまり理解できなかった。
それでも見ていたのは、ベッドシーンを見たいからだ。私の記憶が正しければ、『火サス』は男女の愛憎劇が定番でベッドシーンが多々あった。性に興味があったことに加え、″見てはいけないもの″を見られることにワクワクしていた。私にとって『火サス』とは、大人の世界を垣間見れるものであり、性教育の側面が強かった。ちなみに不倫を知ったきっかけも『火サス』である。
『火サス』が絶対王者として君臨するなか、華麗に登場したのが『古畑任三郎』だ。『火サス』との違いのひとつは音楽である。″ぱーぱーぱッぱーぱーぱッぱーぱーぱッぱ〜″と始まる重厚かつジャジーなオープニング曲は映画みたいで、洋画好きの私には聞き慣れた感じで安心した。とはいえ、劇中の音楽には何回もドキッとした。殺人シーンや古畑が推理中に閃いた時の音楽はおどろおどろしくて心臓に悪い。再放送を見て最初に思い出したのは音楽のことばかりだった。
と、前置きが長くなったが、本日は『古畑任三郎』の魅力を思いきり語る。再放送を見てあまりに素晴らしかったので書かずにはいられない。
『古畑任三郎』の魅力1:斬新で飽きない
同作はプロローグから斬新だ。毎回必ず古畑が事件のポイントや小話を語るところから始まる。ドラマの主人公がストーリーテラー的な役割を担うのはただでさえ珍しいのに、それがサスペンスドラマなら尚更だ。語り終わるとあのオープニングが勢いよく流れ、視聴者の高揚感を煽る。今見てもしゃれた演出だ。
最も斬新なのはこの後。CMが終わるとすぐさま犯人が登場し、ものの数十分で犯行が繰り広げられる。サスペンスドラマは終盤に全てが解明されるのがお決まりだが、同作は前半部分で全てが分かる。スピーディーな展開のおかげでせっかちな私も途中離脱することなく最後まで楽しめる。大変ありがたい。
『古畑任三郎』の魅力2:コメディタッチ
古畑が事件現場に登場するシーンも良い。登場するや否や周囲との寸劇が始まり、彼の飄々とした振る舞いはクスッと笑える。しかし捜査が始まると、あの独特な喋りとねちっこい取り調べが繰り広げられ、犯人をじわじわと攻めていく。かといって、この間も決して暗くない。むしろコメディだ。
たとえば、市川染五郎が落語家役に扮した「若旦那の犯罪」では、古畑は自分の部下を呼び寄せて若旦那(市川)の前で落語をさせる。素っ頓狂な展開だがこれも立派な捜査で、後でしっかり伏線を回収する。喜劇の天才・三谷幸喜にかかればサスペンスも軽快だ。
『古畑任三郎』の魅力3:あり得ないから楽しめる
感心しきりで見ていたが、やっぱりフィクションと思うところもあった。まず、捜査のやり方。いくら警部補とはいえ、あんな自由に現場に出入りできないだろう。しかも、古畑は勝手に物を触ったり持ち出したりする癖があり、松嶋菜々子が犯人役の回「ラスト・ダンス」では、捜査の鍵となるピンキーという人形を現場から持ち出し、松嶋の前でそれを使って取り調べを行った。現実なら絶対に御法度だ。
最もフィクションと感じたのは、事件の解決スピードだ。たいてい古畑は現場に行った初日のうちにトリックを解明、犯人を逮捕する。いや、絶対にあんなに早く解決しないでしょ。もしあんな警部補がいたら、とっくに日本から犯罪は無くなってるだろう。フィクションとしか考えられない早さだが、だからこそ視聴者は夢中になれる。テンポの良さはエンターテイメントには欠かせないものだと思った。
『古畑任三郎』の魅力4:古畑の人柄
30年経ってもなお視聴者を夢中にさせる理由に、古畑の優しさも挙げられると思う。
犯人が自白するまでの彼はとにかく粘着質。どこに行っても追ってくるは、回りくどい質問をするはで、犯人を気の毒とさえ感じてしまう。取り調べ中は要領を得ない話ばかりするのに、点と点がつながりトリックが解明した後は一気に饒舌になって犯人を論破する。その時の表情は凄みがあって息を呑むほどだ。
ところが犯人が観念すると、さっきまでの形相はどこへやら。途端に犯人に寄り添い、優しい眼差しといつもの穏やかな口調で犯人の再起を願う言葉をかけたり、ウィットに富んだ投げかけで犯人を慰める。その言葉に犯人は涙したり、微笑んだり。ここで犯人は失いかけた良心を取り戻せるのだろう。
また、取り調べ中も犯人を苛立たせる話し方ではあるものの、基本的にはジェントルマンで人として嫌味がない。捜査の鬼だけで留まらず、愛すべき人柄が滲み出ているのも同作の魅力だと感じた。
『古畑任三郎』の魅力5:田村正和だから
これらの魅力は全て三谷幸喜の手腕によって生まれたものであるが、彼の思惑を忠実、いやそれ以上に再現できたのは田村正和だからだろう。
三谷幸喜は自身の連載『三谷幸喜のありふれた生活』(朝日新聞)で、「田村さんがいなくなってしまった今、古畑任三郎が事件現場に戻ってくることはもうありません。」と綴っている。この言葉から、田村正和の生まれ持ったルックスと佇まい、声質、圧倒的演技力、感性の全てが渾然一体となって古畑任三郎という人物を成立させたことが分かる。田村正和以外は演じられないし、彼が演じたからこそ『古畑任三郎』はずっと愛されているのだ。
以上が、私が感じた『古畑任三郎』の魅力である。ドラママニアではない、脚本についての知識もない、田村正和のファンでもないいち視聴者にすぎないが、再放送を見て改めてこの作品の素晴らしさに気づき、語らずにはいられなかった。今後テレビの再放送は未定のようだが、ティーバーやFODで見られるようなので、もっと見たい人はぜひ確認を。