2023/7/18「「人はなぜ宗教を必要とするのか/阿満利麿」読書記録はしりがきⅠ」
【無宗教なのではなく「自然主教」信者?】
・自然宗教(民間宗教・民族宗教)
いつ、だれが、どのようにして始めたのかすべてがはっきりしていない
神話・社会的儀礼・慣習・先祖崇拝・シャーマニズム・自然崇拝を含む
これらが基本として創始者・教えがはっきりとしている創唱宗教が生まれ始める。
日本の年中行事(元旦の初詣・お盆・盆踊り・墓参り・彼岸)も代々受け継がれる自然宗教。年中行事が布教手段となっている。
何気なく行事に参加していることが自然宗教の信者になっているということ。
それぞれと無関係なわけではなく、互いに関係しあっている。
ただ、現代(私だけ?)は年間行事の存在も薄れてしまっているのではないか。それはどうなっていくことを意味するのだろうか。
【日本での「宗教」の誕生】
・「言葉」「名前」が付くというのは大きな節となり、意味を持つ。
ただ「宗教」という名前が存在する前からそのようなものは存在していたのではないか。
「日本は近代の出発点において、京都に忘れられたように存在していた天皇をわざわざ引っ張りだし、天皇が古代神話に由来する「現代神」であることを改めて強調した上で、日本国を支配する絶対者と位置づけ、その崇拝をこくみんに強要することによって、新しい国家のまとまりを実現しようとした。」
「天皇とは、太陽神の子孫です。初代の天皇は、神武天皇。天皇になったのは2700年前と言われ、「古事記」に登場しています。
天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫。(神の中でも中心的な神であり、太陽神とされています。現在の天皇も子孫なので、太陽神の子孫ということになる。)
古事記とは神話の部分が強く書かれた前半部分を「神代(かみよ)」。少しずつ、話が具体的になってくる後半部分を「人代(ひとよ)」。その、境目の部分で誕生するのが神武天皇です。
境目で誕生した神武天皇は、太陽神を中心とした「神様」と、「人間」の間にいてその2つの世界をつなぐ存在です。
このような話から、天皇は「人間の代表者」とされました。
そこから、「日本の象徴」になっていきます。
天皇の現代の仕事は国内と海外の行事に参加したり、「公務」を指す。
しかし、天皇のもともとのお仕事は、「祭祀」であり、国家と国民の繁栄、五穀豊穣をお祈りするのが仕事だったんです。勤労感謝の日には、国家と国民のために天皇はお祈りを行っている。新嘗祭とも呼ばれますね。
男系男子とは、万世一系のこと。天皇の後継は、男ではないといけないという決まりです。過去に女性の天皇がいたこともあります。これは日本人が農耕民族であることが関係しています。農耕民族が特に大切にするのは「種」。天皇家でも、種は命が生まれるものとして、とても大切に考えられていました。女系天皇が許されないのは、天皇家の種ではないといけないからなんです。なので、天皇家は植物になぞらえても1つの種を守っていることになりますね。昔から農耕民族は、「男は種であり、女は大地である」。と考えられています。」
「欧米列強との外交条約を結ぶにあたって、宗教という翻訳語が造られました。年頭にあったのはキリスト教です。
宗教という言葉は最初はキリスト教をイメージする言葉だった。
キリスト教は現世を超越した絶対者である神を何よりも重視する宗教であり、天皇を現世の絶対的な支配者だとする明治国家の考え方と激しく対立する必然性を持っていた。
明治国家はキリスト教に対して、天皇崇拝を危うくするものとして、維新のはじめから弾圧を加え、徳川時代以来の「邪教」のイメージを国民に押し付けた。
また、天皇崇拝の為の新しい神道は、憲法の「信教の自由」に抵触(それに対し、さしさわる(矛盾する)こと。また法律や規則にふれること。)しないように「神道は宗教にあらず」と主張された。
キリスト教以外の宗教に対しても、天皇崇拝を否定するような教義を持つ宗教は厳しく弾圧する政策がとられた。
その結果、宗教という言葉がキリスト教以外の仏教や新宗教を含むようになっても、どこかに警戒心を持つようになり、宗教には距離を置くようになった。権力によって「邪教」扱いを受けたり、実質は宗教であるにも関わらず、政府の都合によって宗教ではないとされる世界に関わるよりも、「無宗教」といって澄ましておく方が無難だと考えられた。」
・SNSの普及、働き方・生き方の多様化によっての社会の繋がりの希薄化、核家族、近所付き合い・人と人の繋がりの減少…一見無関係の事柄が全て繋がっていて宗教のあり方の変化や宗教の崩壊にも大きな因縁があるということ。
「祖先」も本来は村全体の大きなものだったが、どんどん「個」となり、やせ細った存在になってしまっている。「救い」をもたらすほどの力はあるのか?自然宗教すらも衰弱している。
「正月や盆の行事は形式的には続けられているが、かつてのような救い・死後の安心は手に入らなくなっている。行事の形骸化は「自然宗教」の形骸化でもある。
新しい霊力を一斉に身につけて、全員が一斉に年を重ねるからこそ、正月であったのです。しかし、満年齢制が敷かれるようになって、人が年を重ねるのは誕生日ということになりました。そうなると、正月は単なる長期休暇でしかありません。」
「日本文化は宗教と呼ぶわけにはゆかないが、いわば宗教の代替物となる世界を積極的に開発し、また豊かに育んできた。
俳句や短歌の世界、茶道や華道といった「道」の世界。こうした世界に入ると、いつの間にか人生を観照(本質を見極める)態度を身につけ、心静かに日々を生きてゆくことができるようになった。
また、近代以降の日本文学は、人生いかに生きるべきか、という人生論を様々に展開していきました。(伝統的な老荘思想や西洋哲学が主として知識人の間に受け入れられていた)
宗教の代わりになる文化が発展したところでは、小難しい宗教を選択する必要がなかった。」
?・老荘思想や西洋哲学と宗教との相違について知りたい。どのように影響しあっているのか。
・国家のまとまりを生み出すために政府によって「宗教」というものが良くないものとして規制されていた名残もあり、「宗教」という言葉自体に抵抗がる。宗教という言葉あってもなくても、具体的な信仰があってもなくても、自分の力ではどうしようもできない未来や死に対しての恐怖は人々にあり続け、どうにか乗り越えようとその手段を探そうとしてきた。その道を宗教以外のもの(文学や俳句・短歌、華道や茶道)に求めていった。意図せずそれぞれの宗教の要素を文学や俳句・短歌、華道や茶道から受け取っていたということ。