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自分を振り返る

もうアラフィフの普通に社会生活ができないおっさんが、どうやってこの先、生きて行けばいいのか。
そんな事がわかればこんな状態にはなってない。
なのでなにかの気づきを期待して、前からやって見たかった子供の頃からの振り返りをして行きたいと思う。


ざっと子供の頃からの事を書く。他で何回も書いているような事なんで、見飽きた人もいると思うけど、とりあえず書く。

保育園の頃は積極的な子供で、動物や虫が大好き。昆虫図鑑や動物図鑑ばかり見ていた。兄の影響なのか、他の子供達より色んな知識も多かったんだと思う。「この子は将来どんな人に育つんだろう」と母親は期待していたらしい事を後からきいた。

小学生になり友達も多く出来るような明るい子だった。でも勉強は苦手だったし嫌いだった。

理科と体育以外は集中力も続かず、ずっと窓の外を見ていたり色んな想像の中で遊んでいた。

小学生4年生までは、ずっと女の先生でみんな優しかった。ずっと勉強は苦手だったんだけど、何かしらオレの得意な事を見つけては褒めてくれてた。「掃除が丁寧で偉いね」とか「虫の事なんでも知ってるね」とか。
家では馬鹿だのダメ人間だの言われて褒められる事がなかったから、素直に嬉しかった。

小3のある日、学校で遊んでる時に転んでしまって、手の爪の隙間に細かい木が刺さってしまって、病院に連れて行ってもらった時も「治療中泣かなくて偉かったね」と医者にも先生にも褒めてもらった。この時は驚いた。オレにとっては当たり前のことだったから。
どうしてこれが当たり前の事だったかというと、母親に痛かろうが悲しかろうが悔しかろうが男なんだから泣くなと刷り込まれていたからだ。オレは泣くことが恥ずかしい事と思うようになっていた。

小学五年生になり、担任が男の先生になった。性別は関係無いのかもしれないが、ひどい人だった。勉強の出来る子達は可愛がり、オレのような勉強の苦手な子達は馬鹿扱いするような人だった。勉強は出来ないし忘れ物が人一倍多かったオレはクラス1のダメ人間認定されてしまった。
5、6年と担任が変わらないので、2年間この先生と関わらなけばならなかった。オレをダメ人間扱いする人間が母親だけじゃなくなった。自我の出来上がって無い子供にとって、先生や母親の言葉は絶対だった。次第にオレはダメ人間なんだと、心の奥深くに刻み込まれて行った。

ひとつ今でもはっきりと覚えているエピソードを書いてみる。

卒業記念に制作するオブジェに使うために、小石を拾いに河原へ行った。先生からはなるべく細長い小石を選ぶようにと言われたので、一生懸命言われた通りの石を探した。変にこだわる子供だったせいか、なかなか思った通りの石が見つからず、石を見つけられない最後の1人になってしまった。そこで担任の先生に呼ばれ思いっきりビンタをされた。「お前はほんとにトロくさいやつだな。こんなのでいいんだよ」と言われて手渡された石は全然細長くないものだった。周りの同級生が持ってた石も丸いもの、平べったいもの色々だった。「なんで言われた通りの細長い石を探してたオレが怒られて、丸い石や平べったい石を持ってる子達は怒られないのか」理不尽さを感じていた。

母親と担任から受け続けた理不尽でオレの心は壊れていった。ある意味お前はダメ人間と2年間かけて母親に加え、担任からも刷り込まれてしまったのだと思う。

そして中学生になって不登校になる。

この後の話はまたの機会に、というか書きたくなったら書いていきたいと思う。
いまだに思い出す子供の頃の嫌だった思い出もこの先書いて行きたいと思う。

この歳になってもう手遅れなのかもしれないが、子供の頃の自分を慰めたい気持ちが今でもある。
書くことによって成仏出来ていない子供の頃の気持ちを昇華させる事が出来るのかはわからない。でもいまだにオレの心に影響を与え続けているのは確かだ。

#アダルトチルドレン #うつ病



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