見出し画像

私がパートナーシップを人生における最重要事項と考えている理由(ごく私的な話)

15秒で分かる今日のポイント
●私が特に仕事でもないのに「夫婦のパートナーシップ」の重要性を伝え続けている理由
●「夫婦のパートナーシップ」は人生そのものの質も子育ての質も大きく変える

先日、友達と話していて気付いたこと。どうやら、私が書いてることを見ていると、何の悩みも問題もなく、何でもうまくいっている人に見えるよう。

うーん、そうでもない。

確かに、私はけっこう明るくて、何の悩みもなさそうなぼーっとした顔をしているけれども、夫育てや夫婦のパートナーシップを提唱し始めたきっかけは割とネガティブな出来事にある。

なんで夫育てを意識して始めたのか。それは、不仲な親に育てられたから。

きっと幸せな夫婦の下で育っていたら、こんなこと発信したりしなかったんじゃないかと思う。

子供時代~社会人

私の両親は「ザ・昭和の夫婦」。お見合い結婚、亭主関白、自営業の共働き(24時間一緒)、家事育児は全部妻の仕事。

父親は時々ちゃぶ台もひっくり返し、言葉の暴力は激しく、父親は母親を「高卒で学がない!」と常にバカにしていたし、私たち子供に対しても「お前たちのような金食い虫がいなければ俺は自由になれるのに!」なんて言われ…

子供ながらに、結婚のイメージは最悪で…幼い頃から一生ひとりで生きていくんだ!!と決め、「学を付けるため」に勉強に励む日々…

大学時代、そんな両親の元を離れ、単身アメリカへ留学

そこで、自由な女たちに出会い、衝撃を受けました。夫に頼ることなく、自分を大事にして、自信を持って堂々と生きる女たち。

彼女たちに刺激を受け、ますます私は強くなり…

そして、父親が母親をバカにしていた「学がない」という言葉。アメリカの大学卒、というだけでは足りない!絶対に男にバカにされないように!と、京都大学大学院へ進学。社会人になってからも男顔負けで働く毎日。

そんな中、両親はついに別居を開始。当時同居していた妹たちも続々と家を出て、私は母と妹を応援するためにマンションを借りて、別居を支援。

その数ヵ月後父親が死んだ、と言う一報が入りました。

「お前たちさえいなければ自由になれる!」と言っていた父親が、孤独に耐えかねて、死んでしまったのでした。

大量に残された遺書を読んで、本当は妻とも子供とも仲良く暮らしたかったんだろうな、と。なんでそうできなかったんだろう?男の沽券?プライド?意地?

まぁそのへん全部です、きっと。

そんな最悪の結果を受け、私は更に独りで生きていく決意を固めたのですが…夫に出会ってしまったのです。

夫との出会い~今

当時はひげ面の山オトコ。眩しいほどにキラっきらした笑顔の、何も持ってないくせに、ただ、幸せそうな若者。何の根拠もないのに自分のこと好きそうな人。

孤独にがむしゃらに戦って、ある程度のものは手に入れてきたくせに、全く自信がなく、自己肯定感も低く、劣等感の塊で、人を全く信頼できない私とは対照的な人。何にもないのに幸せそう。理由もないのに自信ありげ。

そんな夫に心底惹かれ、初めて「この人と生きていきたい」と思いました。

そんな時、両親のことが頭をよぎり…この人と、あんな風になるのはイヤだ!!一生仲良くいたい。結婚して何年経っても、子供ができても、おばあちゃんとおじいちゃんになっても!

ずっと今の気持ちのままでいるために、両親を反面教師に、両親ができていなかったこと、足りなかったもの、徹底的にやらなくては。

最初から仲の悪い夫婦はいない。どこかで歯車がかみ合わなくなるんだ。「結婚した」事実にあぐらをかかず、向き合い続けなくては。

そう思って夫と向き合い始め、夫婦の関係について分析し始めたのが、パートナーシップについて考え始めたきっかけです。

最初は自分と夫の関係性だけにフォーカスして考え始めたパートナーシップですが、夫との関係がどんどん良くなるにつけ、子供にも大きく影響を及ぼしていることに気付きました。

そして、自分の自己肯定感の低さや劣等感、人との向き合い方が両親のパートナーシップに大きく影響を受けていることにも気付き...

子育ては子供と向き合うことより前に、「自分の人生と向き合うこと」や自分と他者、特に「最も身近な存在である夫とどう向き合うか」を考えることではないかと思っています。

いいなと思ったら応援しよう!