「浅はか」さについての考察
序論:
まず始めに、私は浅はかさが必ずしも悪いものだとは考えていない。
人間である限り、どれだけ考え抜いても、結局のところは浅はかであるのが常だからだ。
しかし、誠実さを欠いた浅はかさに対しては嫌悪感を抱いている。
それは、相手のことを考えない自分勝手な言動の背景に、自分本位な人柄がの背景に伴えるからである。
浅はかさの分類:
「誠実な浅はかさ」と「不誠実な浅はかさ」の違いを明確にするために、以下の分類を試みる。
1.「考えない葦」
何も考えずに話す行為。自分にも他人にも無責任。
2.「勧善懲悪な2次元的思考」
限定的な条件下での短絡的思考による”最初の結論”を妄信する行為。
価値観の押し付けやSNSマウント
3.「傲慢なルーキー」
固定の立場から複数回の試行錯誤にて、全て解かったと勘違いする行為
有頂天鳥の目マウントが得意技、似非知識人
4.「永久に眠れる獅子」
多様な立場からの無限試行錯誤迷宮で遭難し、無言になる行為
世界に干渉しない事は、存在しないに等しい。
5.「哲学するドン・キホーテ」
世界に干渉する為に、未完成で浅はかな「考え」を披露する
他人の為に、公開リスクを自分が背負う勇気と決断
1~4は不誠実な浅はかさであり、5は誠実な浅はかさである。
「浅はかさ」と「誠実さ」
対人関係において重要な事は、「浅はかでない」ことではなく、「誠実である」ことであるならば、
浅はかさの解消ではなく、誠実になる勇気こそが求められる。
この部分を間違うと質が悪い。
「浅はかでない」の落とし穴
仮に「浅はかでないこと」が重要だとするならば、
その最適戦術は、自分の意見を極力発言しないという戦術になる。
あなたの意見に対しては、こういう研究データがありますけれども、
あなたの意見と矛盾していませんか?とか
あなたの意見はこういう意味ですよね?その場合、この統計データと全く異なる異なるのですが、どのようにお考えですか
と言う具合に自分の考えを挟まずに話すのだ。
これは相手を自滅に追い込む質問誘導なので、自分の考えが表面化しておらず、浅はかさの指摘が難しい。
ただしめちゃくちゃ嫌な奴である
論理に破綻がある相手に対して、論理が破綻していることを指摘しても無駄である。
論理の矛盾を否が応でも認めざるを得ない第三者データを提示し、意見を求める事で、
おのずと論理が加速し破綻にポイントにたどり着く。
結果自爆するのである。
ある意味スマートな手法であるが、ちょっと嫌な奴だなと僕は思う。
このようなミクロ議論での無双常套句は、マクロ視点を欠いており、本質を見失っていると感じる。
誠実さは痛みを伴う尊敬すべき行為
あくまでも一例であるが、「浅はかさ」を見せない事の行きつく先が前述の内容だとすれば、
目指すべきは、誠実であることだ。
どんなに考えを深めても、100%完璧な考えには到達できない。しかしながら、誠実な対応は誰でもできる。
誠実な対応とは、自分が浅はかであることを認め、その上で最善を尽くし、リスクを背負って自分の考えを開示することである。
そして、このような誠実な人々の発言を無碍にすることこそが、真に浅はかな行動であると私は感じている。