当事者による搾取~二世問題、自称専門家問題、自助活動の有効性と限界
「(宗教)二世が二世を利用しようとしている」
そんな懸念がささやかれるようになっています。2022年7月の首相襲撃事件以降、巷では「宗教二世」の存在が認識されるようになりました。そして、当事者が声を挙げ、報道や出版物が増え、当事者による支援の動きが活発化するようになりました。
カルト問題に関わって来た私は、こういった一時的な盛り上がりは過去に何度も経験しており、どこかで潮を引くように静まっていくものだと知っています。関心がもたれなくなることは避けたいですが、一時的な加熱に飛びついたり依存したりすることは問題を解決に結びつけません。どこかで正常化しながら、より継続的な課題として社会に認識され、根付かせることが何より大切だと考えます。
二世による二世搾取が何を指して言われているのか、感じる個人によって違うと思いますが、私が従前から懸念しているのは自分自身の専門分野に対するものです。カルト問題に関わっている私がなぜ「公認心理師(国家資格)制度におけるモラルハザード」を指摘してきたのかと言えば、この問題はかなり同根の問題を孕んでいるからです。カルトリーダーであることの快感は支配出来る、自分を美化出来る、救い主でありたい願望を叶えられる、そういった欲望を孕んでいます。こうした欲望は単純な金目当てよりももっと複雑でやっかいなもので、わかりにくいからこそ、カルト現象やその周辺に広がる搾取問題が簡単に解消されず、密やかに拡がり続けるのだろうと思います。そして、それを少しでも抑止するためには社会の一人一人の意識づけが重要だと考えます。
そうした懸念が現実になっています。私の分野に限って言えば、既にメディアなどで訓練を受けていない当事者の公認心理師が自己宣伝したり、自称カウンセラーが二世問題を語り、クライアントを募ったりしています。一般の方から見れば、その実態はわからないので、国家資格をもっているのであれば、カウンセラーであれば専門家なのだろうと勘違いなさるかもしれません。しかし、例えば国家資格である公認心理師のカリキュラムはこのような内容として組まれていました。その受験資格の裾野を拡げ過ぎたことが大きな問題になっているのですが、経過措置で受験し、合格した人がプロのつもりでいるのであれば、これと同等の履修や訓練を受験段階で終えていることを証明する説明責任があります。ところが、未訓練の公認心理師が主張するのは「自分たちの受ける、合格する」権利ばかりで受益者に対してどのような影響があるか、権利侵害が想定されるかは言及されません。その姿勢自体が受益者、支援対象者に対して不誠実なのです。
これら未訓練の公認心理師のなかから修士課程で訓練を受ける方々も出てきています。遅蒔きながら誠意を示す選択をなさっているのでしょう。修士課程の訓練を終えて、そこで初めて「プロ」としてのスタートが切れます。移行措置の時期、合格時点で「ここからがスタート」などと喜び勇む未訓練者たちがSNSに続出しましたが、「合格したんだから、私の救済者願望を満たすためにあなたが実験台になりなさい」と要求しているも同様です。修士課程の訓練は「私に不足しているものはたくさんありますが、予め限界はお伝えしておくので、どうかご協力ください」と示すものです。おおよそ対照的な姿勢であることがおわかりいただけると思います。
心理専門職以外で何が起こっているかはわかりませんが、いずれ表面化してくることかと思います。個人的な経験ですが、私が専門職として訓練を受ける以前、カルトメンバーの自助活動に長く関わっていました。その経験もあって自助活動には大きな意義や有効性を見出しているのですが、同時に限界も感じて来ました。自助活動は仲間同士の一体感、互いの傷を癒し合う共同体の温かみを形成するものですが、時間が経つにつれ「いつまで過去を引きずっているの?」とメンバーを揶揄・冷笑し、自己啓発やビジネスの類をもち込む場面も出て来ました。他のメンバーに対する選民的な見下しや「これこそが正しい」別の何かが登場する瞬間でした。回復の個人差から生じる摩擦はカルト問題以外の自助活動にも起こりがちなことですし、「本当はこれが正しい」はカルト問題に特徴的なものかもしれません。いずれにしても自助活動が万能なわけではないことを証明します。しかし、得てしてアビューズされた側は自分の価値観をどう形成していいか混乱していることが多いですし、自我境界を踏み抜かれ過ぎて搾取に慣れ過ぎ、搾取に気付かないこともしばしばです。心理専門職以外においても、当事者以外からの搾取もさることながら、当事者自身がそれをやってしまうリスクに気をつける段階に来ているようです。
ちなみに、二世当事者で修士課程の訓練を終えて心理専門職(公認心理師、臨床心理士など)として働いている方は結構いらっしゃいます。彼らもそれぞれのスタンスから二世支援を考えていますが、訓練を受けているからこそ安易な自己宣伝はしない、自他への影響を考えながら出来ることを探すといった安定した姿勢をもっておられるようです。